続けて学校を三日休んだ。私はもう八十時間以上、起きっぱなしだった。気だるさのようなものがずっと続き、けれどもまるで眠たくならなかった。唇がかさかさになって、生理不順が起きていた。お風呂に入っても汗が全然出てこなくなった。心配した両親が私を病院に連れていった。原因は心労によるものと診断され、睡眠導入剤だけ処方されて帰ってきた。私は毎日そのくすりを服用して睡眠を試みたのだけど、全身がさらに気だるくなって意識が薄ぼんやりとするだけで、ブラックアウトにまでたどり着くことはできなかった。両親は次に私を心療内科に連れていく気でいるらしかった。私はそんなところに行きたくなかった。私は心の病気ではないからだ。それに、仮に心療内科で診察を受けたとしたって、私は何を話したらよいのだろう? バルキリーちゃんが私の鉛筆を持っているはずなんです、って? 夢で会えたら私は彼女から鉛筆を返してもらうつもりなんです、って?

 完全に眠れはしなかったけれど、毎日決まった時間にご飯を食べ、お風呂に入り、身体を横たえていると、心身ともにわずかながら回復するのが感じられた。眠れなくとも私はまだ大丈夫なのだ。学校を休んで五日目の朝、朝食後にあたたかいシャワーを浴び、髪を軽く乾かして化粧水だけ少し使ってから部屋に戻った。ここまではいつもの繰り返し。

スマートフォンを手に取ると通知が届いていた。津村くんからの着信だった。私は誰かと喋るような気持ちにはとてもなれなかったので、折り返しは入れなかった。というか、平日の朝にどうして? 一限目の十分ほど前に着信は来ていた。今はもう、とっくに授業が始まっている。連絡を完全に無視するのもなんだか気が引けたので、『ひどい声なので電話は無理です。』とメッセージを打った。するとすぐに返信が来た。『俺は今、古典の鈴木先生と戦っています。奴は眠りの呪文が得意なようです。』

 眠りの呪文?

 私は少し考えてから、『鈴木先生が授業中に何回「すなわち」って言うか数えてみて。そしたら授業なんてあっという間に終わっちゃうから。』と返した。またすぐに返信が来た。『やってみる。言った回数、数え終わったら教えるよ。』それからまたすぐに彼からメッセージが来た。『早く体調が良くなって、学校に来れるといいね。』私はそれに感謝の言葉で返した。

 スマートフォンをしまってしまうと、私は椅子に座って机の上にある鉛筆を全て並べて、順番に鉛筆削りで削っていった。芯が丸まっているものも尖っているものも未使用のものも全て均等に削っていった。どうしてこんなことをするのか、私にもわからない。とにかく私は無心に鉛筆を削り続けた。これは何かの儀式のようにも見えた。今まで日常的に行ってきた鉛筆削りとは全然違う種類の行為だった。灰皿に積もった木屑が溢れてきても私は気にも留めなかった。

 合計で四十八本の鉛筆を削った。机の周辺で木と鉛の混じったにおいが漂っていた。それはただ無作為に鉛筆を四十八本削るよりも恐らくずっと疲れる行為だった。そして私はこの疲労感ならぐっすりと眠ることができるかもしれない、と思った。私はベッドに潜り込むと、津村くんのことを考えた。彼は私のアドバイス通りにやっているだろうか? 眠りの呪文に打ち勝つことはできたのだろうか? 彼が今も起きていると私は信じたかった。もし彼が自らの欲求に打ち勝つことができていたなら、私もそれを励みにできる気がした。励んで眠ろうとするというのもかなりヘンテコだけど、もしも私の眠りを妨げている者が『妖怪』だとしたら、私はそいつと対峙して、打ち勝たねばならなかった。

 そして胸の奥に、バルキリーちゃんの虚像が灯ったのを私は久方ぶりに感じることができた。それは『混じりっ気なし』の私のバルキリーちゃんだった。彼女は私のかたくなな膜を押し開いて、私の中の私のもとへやってきてくれた。

彼女の無骨であたたかな手に冷たく震える手を引かれ、私たちは私の胸の奥からするすると抜け出した。普段目で見ているものの様相は陰にひしめき、それらの総体はざわついたくらやみの世界に見える。私は彼女に誘われるままに、上へ上へ、あるいは下へ下へと進んでいった。
 五感を手放す。意識がくらやみの中に溶け込んでいく。私の中の私と彼女だけが、どこか遠い遠い場所へ向かって加速していく。





 青臭さの中にほのかな甘さを感じる、むず痒いかおりに包まれたひまわりの花畑の中で私は目を覚ました。

「あら、しばらく顔を見せないと思ったら」

 上半身を起こして声がした方向に目をやると、そこにはひまわりに水をやっている村人の姿があった。

「のん気ですね、チーフ。私もそののん気さを見習いたいものですよ」

「ここは?」私はたずねた。

「まだ寝ぼけているんですか、チーフ?」村人は言った。

 寝ぼけている? 私は立ち上がり、身体に付着している草を払ってから――私は寝間着姿ではなかった。いつの間にか学校の制服を着ていた――辺りを見回した。

 見覚えのある風景。見覚えのある森林。見覚えのある村だった。

「でもまあ、実を言うと心配していたんですよ」と村人は言った。「もう六日も村に来てくれなかったから、私はてっきりもうチーフが死んでしまったのかと思ったくらいですよ」

「私は毎日ここに来ていたの、それまで?」

「何言ってるんですか、チーフ。村の長が毎日村でおつとめするのは当たり前のことじゃないですか」

「おつとめ?」

「おつとめですよ、チーフ」と村人は言った。そして空になったジョウロを携えてそそくさと壁の向こうに行ってしまった。

 私のおつとめ。それは毎日学校に行って授業を受け、勉学と教養を授かること。そのはず。それじゃあ、学校じゃないこの場所で、私は何をしたらいいの?

 自分が何をしたらよいか、その答えを探すために、私は花畑から出た。村人が歩いていった、連なる壁のほうへと歩いた。硬質な結晶状をした紫色の壁は高く鋭く尖っていたけれど、低い段のところに木組みの梯子がかけてあったので、それを上って村の内部へと進んでいった。花の蕾のようなかたちをした大砲やら、木と金属を組み合わせたやぐらのような高台やら、粘土質の石とガラス質の紫色の結晶が織り交ざった小山やら、大きくてずっしりとした円形の筒やら、先端にキノコみたいな傘の付いた棒が何本か突き刺さっている樽やら、とにかくそういう物騒で物々しい物たちの横を通って、私は扁平な屋根の張った蜜柑色の建物に辿り着いた。壁に囲われた村の中心部に位置するそれは、他の施設より一回り大きく、その壁面にはまだ若い蔦が生い茂っていた。

 私が中に入ってよいのかと玄関口で迷っていると、その中からつばのない作業帽をかぶった小男が出てきて、「久しぶりだな、オイ、チーフ!」と威勢良く声をかけてきた。ニッと笑う彼は綺麗な歯並びをしていた。

「ほら、ぼけっとしてないで入って! さあ早く!」

 私は小男に呼びかけられるままに、蜜柑色の建物の中に足を踏み入れた。