第一部 「ダークエリクサーと、それにまつわる変遷の日々」






今から少しばかり冗長なプロローグを語る。
ダークエリクサーについてを語り、僕のことについてを語り、僕と彼女のことについてを語る。






僕の住む村に、見たことのない四角いタンクが出来た。
インキみたいな臭いのする、青黒い液体を溜め込む施設のようだ。

「あれってなんなんです?」
僕はちょうどタウンホールから出てきた村人に訊ねた。
「あなたには縁のないものよ。」
村人はそれだけ言うと、庭園に向かってきびきびと歩いていった。

その施設が、ダークエリクサーと呼ばれる特殊な液体の貯蔵タンクであることを、僕は後に知った。
教えてくれたのは友人である三番目の大工だった。エメラルドを十個ほど彼の懐に忍ばせると、喜んで教えてくれた。

「ダークエリクサーを気化させずに溜め込んでおくことが可能な、とても画期的なタンクなのさ。」と大工は言った。
「ふうん。」ふうん、という感じだった。
「整備性もバッチリなんだぜ。」
「へえ。」へえ、という感じだった。
「お前さん、ひょっとしてダークエリクサーを知らないのか?」と大工は言った。
「知らない。」と僕は言った。

三番目の大工は、僕があげたエメラルドをすぐさまゴールドに替えてしまうと、僕を酒場に誘った。
バーバリアンの体臭がそこらじゅうで臭ってくる店だ。そして僕もまた、その体臭をここに累積している者の一人だ。
僕たちは店の辛気臭いテーブル席でエリクサービールを煽りながら、先ほどの会話を続けた。
「ダークエリクサーってのは、俺たちの村がこの先さらに発展していくためには必要不可欠なものなんだよ。」
「発展?」僕は首を傾げた。
「今よりずっと良質な暮らしを保証してくれるんだ、あの神秘なる黒い液体がね。」
良質な暮らし。神秘なる黒い液体。
「どうも胡散臭いな。そのダークエリクサーってやつで、ビールは造れるのかい?」
大工は笑って、エリクサービールを飲んだ。僕もエリクサービールを彼と同じ分だけ飲んだ。
いくら待っても、彼は僕の間抜けな問いに答えてはくれなかった。
僕は別に茶化したかったわけじゃない。ビールの種類が増えるなら大歓迎だと言いたかっただけだ。
「つまり僕たちはこれから、三種の資源を狩っていかなくちゃいけないんだね。」気を取り直して僕は言った。
「そうだね。頑張ってたくさん集めてきてくれよ、せっかく建造したタンクなんだから。」そう大工は言って、エリクサービールをうまそうに飲み干した。
僕もエリクサービールを飲み干した。「わかったよ。」
僕たちは焼き豚のスライスと塩どんぐりクッキーを食べながら、エリクサービールを何杯か飲み、店を後にした。
彼の奢りだったが、元はと言えば僕の金だったのであまり嬉しくはなかった。

外に出ると春の夜風が冷たかった。
僕が麻の服の袖に手を引っ込ませると、酔っ払って鼻を赤くした大工が笑った。
「冬になったらあの子に手袋でも編んでもらうことだね、寒がりさん。」
僕は何も言わなかった。
もう一、二杯、エリクサービールを飲んでおけばよかったかなと思った。



この村のアーミーキャンプに常駐するバーバリアンの数は、およそ五十人ほどだ。
昼間にごろ寝を決め込む者たちや、腕相撲で腕力を競い合う者たち、剣の素振りに勤しむ者たちなど、同じバーバリアンでもその行動パターンは様々であり、軍隊のような統率感などは欠片もない。
この統率感のなさがむしろある種の統率感を生んでいると言ってもいいくらいだ。

だが、アーチャーは違う。彼女たちはみな、統制を重んじる。
それは個人のための統制だ。馴れ合いを好まない彼女たちは、プライベートな部分を守るためにルールを守る。ルールを守らなければプライベートを主張する権利もない、というのが彼女たちの結束した考え方なのだろう。
彼女たちはいつも物静かに、大概は弓の手入れをして出番を待つ。三十人ほどの集まりだが、同族間でもあまり喋ろうとはしない。
彼女たちが仲よさげに共同作業をする場面など、僕は一度も目にしたことがない。
僕はそんな彼女たちのことを、とても義務的な種族だと思う。

ただ、そんな彼女たちの中でもやはり異分子的な存在はいて、あるひとりのアーチャーはときどき弓の手入れではなく編み物をして日々を過ごす。他種族ともそれなりに交流するし、周囲にも気を遣う。
僕が着ている麻の服は、その異分子的な彼女が裁縫してくれたものだ。



他所の村を襲い、資源を奪うのが僕たちの仕事だ。
金山やエリクサーポンプから資源はそれなりに獲れるが、村の発展にそれだけでは不十分なのだ。

個人的な見解を言わせてもらえば、別に村の発展なんて二の次でいいじゃないかと僕は思っている。
そりゃあ、奪いもするなら奪われもする。
だが、奪い合いの連鎖は次第にその掛け金を大きく膨らませていく。
村をより強固なものにするためには、より潤沢な資源を溜め込んでいる、より恐ろしく凶悪な、手強い村を攻め落とす必要が出てくる。

そういうのは正直言って、疲れる。
大して逞しい村じゃなくたって、生きていけるならそれでいいじゃないか。
金山とエリクサーポンプから獲れる資源でこつこつと硬い壁を塗っていく、そんな日々でもいいじゃないかと僕は思うのだ。
それが多少退屈で刺激に欠けるとしても、だ。
牧歌的で安らかな毎日を送ることができるのなら、それで。

でも結局のところ、牧歌的で安らかな毎日なんてものは、僕がバーバリアンである限りは永遠にやってこないのだ。
わかってはいる。
わかってはいるつもりだけど。



ある日、密集した雑木林を抜けた先で僕たちが見つけた村は、主を失い荒れ果てていた。
別に珍しい光景ではない。
魔法の森を長く探索していると、そんな廃村に出くわすこともある。
主なき今も懸命に村を守る防衛施設たちを、バーバリアンたちは歓喜の声を上げながら破壊し、放置された金山とエリクサーポンプから資源を巻き上げた。

僕はそのとき初めてダークエリクサーポンプを見た。
ふつうのエリクサーポンプとは似ても似つかぬ形状をしている。ドリル状の掘削機が地中を細く深く掘り進んでいき、ダークエリクサーの原液を引き上げてくる仕組みらしい。
同僚たちがなまくらの剣を叩きつけると、内部のシリンダーと小型の貯蔵タンクから青黒い液体がごぼごぼと溢れ出してきた。

同僚のひとりがしゃがみ込み、ダークエリクサーを舐めた。
「まずい。」と一言呟いて、彼は口の中のダークエリクサーを吐き出した。
「まずいのか。」と僕は聞いた。
「最悪だよ。油を舐めたみたいな味がする。」
確かにインキや油みたいな臭いがした。
火をつけたら景気よく燃え上がりそうな臭いだ。



それからしばらくして、闇の兵舎とかいう、ふつうの兵舎より一回り厳つい施設が村の外れに建った。
ダークエリクサーで生み出される闇のユニットの量産に成功したのだという。僕たちとは異なる体液で生成された存在が、あそこから生まれてくるというわけだ。
それから日を追うごとに、アーミーキャンプに常駐する顔ぶれに見知らぬ者たちが増えてきた。
ガーゴイルやホグライダーといった名の種族たちが、少数ながらアーミーキャンプの焚き火から離れたところに居座るようになった。

アーチャーたちは我々とは異なる体液で出来た彼らを気味悪がったが、その一方でバーバリアンやジャイアントたちは彼らを歓迎しようというムードを次第に高めていった。
バーバリアンは単純に物好きであり、ジャイアントは単純に心優しいのだ。

ある夜、何人かのバーバリアンたちが何人かのホグライダーたちを誘って酒場へと出かけた。

その翌日から、ホグライダーやガーゴイルたちはより焚き火に近い場所で生活するようになった。
相互の理解が生まれたのだ。
我々が仲間と呼べる間柄にまで打ち解けるのに、大した時間はかからなかった。
要するに仲間とは、焚き火の焼きニンジンを分け合えるような仲ということだ。

いつしか僕も、他の多くの同僚たちと同じように、ホグライダーたちとともに酒場へと出向くようになった。
僕たちはエリクサービールを飲み、彼らは新しく加工されたダークエリクサービールを飲んだ。
「君は他のバーバリアンと違って上着を着ているんだね。」とホグライダーのひとりがいった。
「こいつ寒がりでね。」僕の同僚が僕を無遠慮に指差して言った。事実、僕は寒がりなので素直に頷いた。
「それならダクエリビールを煽ってみなよ。」とホグライダーが言った。「エリクサービールなんかよりもずっと身体が熱く火照って、気持ちよくなるよ。上着なんてすぐ脱ぎ捨てたくなるさ。」
「それは困るな。」と僕は言った。「お気に入りの服なんだ。」
「まあまあ、飲んでみなよ。一口だけでも。」
僕は勧められるままにダークエリクサービールを飲んだ。
「うん、悪くない。」と僕は言い、口髭に付いた泡を手の甲で拭った。
確かに悪くない味だった。
エリクサービールに比べると多少喉越しが足らない感はあるものの、濃厚で芳醇な後味を舌に残す。
あのインキの臭いも、ビールに加工するとだいぶマシにはなっている。それどころか少し癖になりそうな臭いだ。
「悪くないだって?」僕の同僚が驚いた顔で言った。
「うん、悪くないよ。これはこれでうまい。」
「正気じゃないよ。ほら、あいつらを見てごらん。」
僕は目の前のホグライダーたちを見た。彼らは「ングング」と笑っていた。
「からかわれたんだよ。」と僕の同僚は言った。
からかわれた?

「闇の兵舎出身じゃないやつがダクエリビールを飲んでも、ふつうは美味しく感じないものなんだよ。」
店を出たあとでホグライダーのひとりが教えてくれた。
「君が無理をして、悪くないだなんて格好付けて言うもんだからね。ついヘンに笑ってしまった。」
確かに「ングング」はヘンだ。
「お前たちだってエリクサービールを飲めないくせにさ。」同僚のバーバリアンが悪態をついた。

ある日の夜。
気持ちの良い風が凪いでいたので、彼女を誘って浜辺へと出かけた。
「最近調子はどう?」と僕は訊いた。
「うん、まあまあ。」と彼女は答えた。
この一連の短いやり取りは、僕たちがスムーズに会話を始めるためのちょっとした作法みたいなものだ。

「最近うちの村はあの黒いの……ダークエリクサーばかり狙っているね。」と僕は言った。「あんなに溜め込んで、いったい何をやるつもりなんだろう?」
「多分、ダークエリクサーでまた新しいユニットを生み出すつもりなんじゃない?」と彼女は言った。「ガーゴイルさんや、ホグライダーさんみたいな。」
「また兵種が増えるのか。今度は女性だといいな。」
「どういう意味?」
「男ばかりでむさ苦しいからさ。」
「アーチャーだけじゃ物足りないと言いたいわけ?」
僕は笑って何も答えなかった。

岩場の上に座って潮風を肌に感じながら、僕たちはしばらく一緒のときを過ごした。
「冬に備えて、君にマフラーか手袋をつくってもらいたいんだ。」と僕は言った。
「どっちもつくってあげる。」と彼女は言った。そして笑った。

彼女は他のアーチャーと比べてみて、とびきり美人というわけではない。
でも、彼女の笑顔は何かしら僕の心を惹きつけるものがある。
それが内面的な美徳から来るものなのかどうか、僕にはよくわからないけれど。



考えても仕方のないことなんて、この世の中には腐るほどある。



ある夜、焚き火のニンジンに芯まで火が通るのを待つあいだ、僕は膝を抱えじっとして燃え盛る炎を見つめていた。

空腹を我慢するとき、目の前に吊り下げられたニンジンを見てばかりいると頭がおかしくなる。
同僚たちは皆すでに手遅れだ。思考回路がショートして、顎髭をよだれまみれにしながら焚き火の周りをうろうろとしている。
空腹の彼らは、脳のないスケルトンと同じようなものだ。何も考えられない。

空腹を忘れるためには、目の前のニンジンは存在しないと思い込んでしまえばいい。
燃え盛る炎だけを見つめていればいい。
要するに存在の無根拠な否定だ。

重要なのは目を逸らさないことだ。
視界に映るニンジンと炎のうち、ニンジンの存在だけをカットするのはひどく難しい。
それでも僕にはそれができる。
と、そう思い込む。
揺らめく炎のことだけで頭をいっぱいにする。
ニンジンはただのオレンジ色の、空中に浮かぶ細長いシミ。

そしていつも、気がついた頃にはニンジンが芯まで柔らかくなっていて、僕はそのとき初めて空腹を思い出す。
夜空の下で僕は、スライスされたニンジンを口の中でじっくりと味わい、それからエリクサービールを飲んだ。
ダークエリクサービールの味が脳裏をよぎった。



「どうやらお前さんには適性があるらしいんだな。」と友人の三番目の大工が言った。
彼がトンカチで大砲の分厚い板金を叩く横で、僕はただぼおっとしていた。
戦疲れと二日酔いが同時に襲ってきていた。
だから最初、彼が何を言ったのか理解するのに時間がかかった。
トンカチの音と混ざり合っていたせいで、僕には、
カチン・どうやら・ガンッ・お前さんには・ガツッ・適性が・ガチン・あるら・カチン・しいんだ・トン・な
そう聞こえた。
その不可思議なリズムに注意を引かれて言葉の意味がうまく頭に入ってこなかった。
僕が黙っていると、彼はトンカチを振るう手を止め、こちらを見た。「聞いてるか?」
「うん。適性がなんだって?」と僕は言った。
「聞いてるならいい。」彼は再びアップグレード中の大砲にトンカチを打ちつけ始めた。
「つまりお前さんには王としての適性があるということなんだ。」
カチン・つまり・ガンッ・君には・ガツッ・王としての・ガチン・適性が・ガンガンッ・あると・ガンガンガンッ・いうこと・ガチッ・なんだ
耳を澄ますとトンカチの音がうるさいし、かといって耳を塞げば彼が何を言っているのか聞き取れない。

ガンガンガンガンガンガンッ
カツンカツンカツンカツンッ
ガンガンガンガンガンガンッ
カツンカツンカツンカツンッ

吐きそうだ。
「悪いんだけど作業を一旦ストップして喋ってくれないか。」と僕は言った。「重要な話なんだろう?」
彼は作業を止めた。「重要? 俺にとってはそうじゃない。お前さんの人生を左右する問題にはなるだろうけどね、多分。」
「そうかい。それで、王っていうのはいったい何のことなんだい。」
「ラボの研究員たちのあいだで噂になっていたんだよ。お前さんがダークエリクサーを体質的に受け入れられるって話がさ。」と彼は言って、大砲の側面に肘を付いた。
「間違ってはいない。」と僕は言った。「確かに、ダークエリクサービールは悪くない味だったけれど。」
「エリクサーによって生まれた存在は、本来であればダークエリクサーとは肉体的に相性が悪いんだ。無理に摂取し続けると毒にもなるし、拒絶反応も起こす。」と彼は言った。
「またラボの連中は生体実験をしたのか。」僕はため息をついた。吐きそうだ。
「今回は違う。他所の村からの情報さ。」
「他所の村?」
「お前さんは知らんだろうけど、うちの村のチーフには一応それなりの、タテヨコの繋がりがあるんだよ。組合の中で情報を交換し合ったり、ユニットを派遣し合ったりしているんだ。ダークエリクサーを利用して、王を『つくる』ことができるということもそれで知ったわけだ。」
「だから、王っていうのは結局なんのことなんだよ?」
「王は王だよ。」と彼はこともなげに言った。
「冠を被る、あの?」と僕が言うと、彼はさも満足げに頷いてみせ、「スペシャルな存在。」と答えた。

それから数日後の朝、僕は特別な存在へと生まれ変わった。
あの三番目の大工の言う、スペシャルな存在ーーつまり、王ーーとやらだ。
そのときのことはよく憶えている。

研究室の無機質なベッドの上で目を覚ましてすぐに、僕は怒りの声を上げた。
「なんだこれは!」
僕は自分の上げた声に自分でびっくりしてしまった。自分の声ではないような質と大きさに感じられたからだ。
実際、僕の声は僕の想像以上の大きさで部屋の外にまで届いたらしく、声を聞きつけたラボの連中と三番目の大工が急ぎ足で部屋に入ってきた。
「おお、無事に目を覚ましたか。」と大工は言った。「どうだい、生まれ変わった気分は?」
「何が生まれ変わった気分だ。ふざけるな。」僕は怒鳴った。「この身体はいったいどういうことだ!」
僕はこの村の王、すなわちバーバリアンの王となることには承諾した。だが、肉体がこんなにも肥大化するなんて、これっぽっちも聞いていなかった。
僕の身体はジャイアントとぎりぎり腕相撲ができるくらいにまでサイズアップしていた。
大量摂取したダークエリクサーの影響なのか、トレーニングもしていないのに筋肉量も格段に増えていた。
「何をそんなに怒ってるんだ?」と大工は言った。
「体格だよ。こんなにデカくなるなんて聞いてないぞ!」
「別にいいじゃないか。逞しい奴はモテるぜ? 俺みたいなチビよりもさ。」
僕はため息をついた。心底からのため息だ。
そのため息は僕の予想よりもずっと大きな音を立てて口から噴き出てきた。
まるでドラゴンの吐息だ。どうやら規格外な肉体には規格外な排気量も備わるらしい。
「お前、初めからこうなることがわかっていたみたいだな。どうして言ってくれなかった?」怒りのトーンを抑えて僕は言った。
大工は腕を組んだ。「ジャイアント並みの体格になるって聞かされていたら、お前さんは王になろうとしたかい?」
「いや。」
「ほらね。」

「これからの僕の生活は……どうなるんだ。」
「まあ心配するなよ。大丈夫、普段通りでいいんだ。もしその身体が気に入らないのであれば、ダークエリクサーを飲まなければいい。そうすればお前さんの身体は勝手にしぼんでいくはずだからね。もちろん、身体がしぼんでしまえばお前さんはまたただの変わり者のバーバリアンに逆戻りだ。だからこちらとしては、日常的にがぶがぶと飲んでほしいんだよ。野菜ジュースを飲むみたいにさ。」
「野菜ジュースを飲むみたいに?」
「野菜ジュースを飲むみたいに。健康的な喩えだろう?」
そう言って大工はグラスを煽る仕草をしてみせた。笑えなかった。
「どこまでお前を信じていいんだ。」と僕は言った。
「信じるも何も、俺がお前さんに嘘をついたことが今まで一度としてあったか?」と大工は言った。
「騙されたことは何度もあるさ。今もね。」と僕は言った。「その人にとって必要な情報をあえて与えないというやり口は、嘘をつくのと結局は一緒だ。」

僕のために石を削り出して作られた祭壇は、冬場の墓石のようにひんやりとしていた。その日からそこが僕の居場所で、寝床だった。
ひとりぼっちで眠ることについて、とやかく言うつもりはない。変化に対する一長一短の短の部分が、しばらく僕の生活全体に付きまとっただけだ。

新しい生活に慣れないうちは、足繁くアーミーキャンプへと通った。そしてそのたびにかつての同僚たちーー今となっては同僚ではなく、部下ーーにヘンな顔をされた。
「王がこんなところにいちゃいけないぜ。」とバーバリアンのひとりが言った。「王は祭壇でふんぞり返るのが仕事なのさ。」
そして焼きニンジンの三分の一ほどを差し出された。

「まさかあんたが王になるなんて。」祭壇を通りがかった村人が言った。
「自分でもまだ信じられませんよ。」と僕は言った。
「やだ、王が敬語なんて使わないでよ。気色悪い。」と彼女は言った。
僕は深くため息をついた。大きなため息の音で彼女はけたけたと笑った。「ングング」じゃないだけマシ、と思わなければならなかった。

新しい生活に慣れてくるにつれ、アーミーキャンプが恋しくなることもなくなっていった。
そして新しい生活に慣れた頃には、それはもう新しい生活と呼ぶには相応しくない、ただの日常生活へと定着してしまっていた。
愛憎相半ばする、ただの日常生活。

三番目の大工の言うように、ダークエリクサーを二、三日飲まずにいると身体はサイズダウンしていった。ただ、ふつうのバーバリアンサイズにまで戻ることは絶対になかった。
どんな物事も、決して都合の良い方向に行くとは限らない。

いつしか僕が泣いていると、彼女がやってきて僕の肩を撫でさすってくれた。
「元気を出して。服ならまたつくってあげるから。」
もう服を着なくても全然寒くない丈夫な身体に生まれ変わったという事実は、本来ならば喜ばしいことのはずなのにちっとも嬉しくなかった。
僕はもう二度と寒がりに戻ることはできないのだ。



「ねえ、あなたが王になれたのなら、ひょっとして私も女王になれるのかしら?」と彼女が言った。
「どういう意味?」と僕は訊いた。
「私もね、ダークエリクサービールは悪くない味だなって思うの。」
「ほんとうに?」
「ええ。」
「ほんとうに?」
「ほんとうに。」
僕がそのとき、どんな顔をしたのかはわからない。思い出せない。
喜んだような気もするし、嘆いたような気もする。
あるいはその両方かもしれない。



夏になり、秋になり、冬になった。
彼女はマフラーと手袋を編んでくれた。
僕は喜んでマフラーを巻き、手袋をはめた。
サイズはぴったりと合っていた。
けれど僕はもう寒がりではない。

もちろん、マイナスばかりがちらつく日々の生活にも、プラスを見出すことは出来た。

寒がりでなくなったからか、僕は冬が好きになっていた。冬という季節がもたらす様々なものに、初めて心を惹かれた。
雪原、つらら、氷の結晶、白い息……。

幸せな冬はあっという間に終わりを告げた。
首をもたげた春の精が、雪解け水に濡れた草花に生命の息吹を吹きかけ始めた頃、彼女はアーチャーを統べる女王となった。



ベッドから起き上がった彼女がまずしたことは、触覚による身体の確認だった。
両手で顔をなぞり、耳をなぞり、首をなぞり、鎖骨をなぞり、胸からへそまでを撫でるようになぞった。
そしてベッドの脇で固唾を呑む僕と四番目の大工とラボの研究員たちをぐるりと眺めてから、彼女は初めて口を開いた。
「私のティアラはどこ?」

それはティアラと呼ぶにはあまりに無骨で、色気のない金の王冠にしか見えなかったけれど、彼女はそれを文句も言わずに頭にすっぽりと被って、祭壇の上に鎮座した。
彼女の綺麗なピンク色だった髪は、妖艶な紫色に変化していた。
彼女はピンク色よりも紫色のほうが似合っていた。彼女はきっと本来的に紫色を纏うべくして生まれてきた存在なのだ、と僕は強い確信を持ってそう思った。

身体が大きくなり、それに伴って指も大きくなってしまった彼女は、四番目の大工に頼んで新しい裁縫道具を拵えてもらった。
彼女のために作られた、女王専用の裁縫道具。

「ねえ、今度は何を作って欲しい?」
僕の隣に来て彼女は訊いた。
「そうだな。」僕は少し考えて、「外套を縫ってくれないか?」と言った。
「外套でいいの?」
「外套がいいよ。」
「わかった。良い布があるかどうか、村娘に聞かなくっちゃ。」そう言って彼女は笑った。
女王になっても彼女の笑顔は変わらず魅力的だった。むしろさらに魅力が増したように思える。
彼女の髪は花の蜜の香りがした。

僕たちはまたいつものように、海岸沿いを散歩しに出かけた。
僕たちの歩幅は以前よりもずっと大きくなってしまった。ただ歩いているだけでもあっという間に岸辺の端から端まで歩き切ってしまう。
だから歩幅を狭めてゆっくりと、ゆっくりと歩く。
「最近、調子はどう?」と僕は訊いた。
「悪くない。」と彼女は答えた。

「今のところ、女王になって良かったとは、思ってるの。」と、彼女はそんなことを言った。
「うん。僕はね、女王になってくれたのが君で本当に良かったと思っているよ。」と僕は言った。
「私もそう。あなたが王でなかったら、アーチャーの女王になろうだなんてつゆとも思わなかったでしょうね。」
「僕たちはきっと運が良いんだよ。僕たちのあいだには何か強力な結びつきみたいなものがあって、それが僕たちをより良い方向へと推し進めてくれているんだ。」
彼女の足が止まった。
「より良い方向かどうかは、まだわからないわよ。」と彼女は言った。
「まだ何一つ固まっていない気がするの。
私の周りと私自身に変化がありすぎて、私の中身が粘土みたいにぐにゃぐにゃしている気がするの。
でもきっと、からからに干からび過ぎて、どこかに致命的なひびが入るよりは、今のほうが良い状態なんだって……。」
言い淀むと、彼女は足下の砂利を蹴飛ばした。しばらく待ってみても彼女は喋らなかった。もしかしたら言葉の続きなんて、そんなもの初めから用意されていなかったのかもしれない。
「確かに、今進んでいる道がより良い方向かどうかは、今の僕たちに判断できることじゃないのかもしれないね。ただ僕たちは、今まで来た道と、今から行く道を信じるしかない。」と僕は言った。当たり前のことしか言えない自分に腹が立った。「泳ごうよ、久しぶりに。」
「まだ海の水は冷たいんじゃない?」
「それがいいんじゃないか。」
僕は王冠を岩場に置き、身に纏うものをあらかた脱いで海に入った。肌がぎゅっと引き締まる春の海だった。彼女は僕が脱ぎ捨てたものを丁寧に畳んで揃え、自らもクロークを脱いで腰布を取ると、はだけた服の裾をつまみ上げながら波に足をつけた。

心配ごとなんて綺麗さっぱり、春の海にさらわれてしまえばいいんだ。



二人の大工が工事を終え、彼らはその日のうちにまた別の施設のアップグレードに取り掛かった。
一人はダークエリクサーポンプの改良、もう一人はダークエリクサータンクの拡張を担当した。
村の方針により、我々の資源狩りはダークエリクサーを狙いうちするかたちにシフトしていき、ゴールドとエリクサーはそのオマケとして考えられるようになった。それでも両方ともそれなりに貯まっていくのだから大したものだ。
大工たちはゴールドで施設を強化し、エリクサーで壁を塗った。
そして尊大なる我が村のチーフは、潤沢なダークエリクサーを研究費に突っ込み、僕と彼女にはあらゆる手段でダークエリクサーを摂取させた。
僕たちの飲み物にはいつもダークエリクサーが微量に混ぜられ、ときには村人からおすそ分けと称してダークエリクサー風味の塩どんぐりクッキーをプレゼントされた。
まるで毒薬を盛られているような感じだ。
ろくに咀嚼もせず、ダークエリクサービールで無理やりにクッキーを流し込む日々が続いた。

そんな日々の中にもやはり楽しみはあった。
毎日就寝前に僕と彼女とで集まり、ダークエリクサービールを一杯飲みながら話すという楽しい習慣だ。

彼女といると、心が開放されたような、そんな安らかな気持ちになる。



ふと振り返ると、僕の住む村は以前よりもずっと強く、逞しくなっていた。



王になってからというもの、身の回りのあらゆるものが小さく見えた。
ビールジョッキ、焚き火の薪、牧草、ヤグルマソウ、ヒマワリ。それらの一切がまるでミニチュアの模型のようだ。
ジャイアントたちもこのような気分を常に味わっているのだろうか?
彼らは心優しい種族と呼ばれる。
僕もそう思う。
彼らはいつも他人の意向に合わせて生きている。
自分に合わせろ、なんてことは例え口が裂けても、いや天地がひっくり返っても言わないだろう。
ただ、僕の目にはその態度があまりにも温厚すぎるように映る。
「少しは自分の立場というものを主張しないと、どんどん居場所を食い散らかされていく。」隣り合った互いの祭壇に腰掛けて、僕は言った。「誰かの心地よいかたちが、自分にとって心地よいかたちとは限らない。当たり前のことだけど、そんな当たり前のことを彼らは無視して生きているように見える。」
彼女は黙ってダークエリクサービールを舐めるように啜っていた。

やがて彼女は口を開いた。
「私の居場所はあなたが守ってね。あなたの居場所は私が守るから。それでいい?」
僕はハッとなって、強く頷いた。
「ごめん。」と僕は言った。
「謝らないで。」と彼女は言った。「別に悪いことを言ったわけじゃないんだから。ただ、あなたっていつも少し考え過ぎる。」
「考え過ぎるようにしないと、頭が働かないようにできているみたいなんだ。」
「馬鹿。」
「馬鹿なんだ。」
「こんなに素敵なまなざしが、あなたにはあるのにね。」

まなざし。
彼女はよく僕のまなざしを特別だとか、素敵だとか言って褒めてくれる。
彼女にじっと瞳の奥を覗き込まれると、自分の身体が内側から彼女の指になぞられていくような、そんな気分になる。
僕からすれば、彼女のその確信に満ち満ちたまなざしのほうが、特別素敵に見えるのだが。

僕たちはダークエリクサービールを飲み干すと、互いの祭壇でぐっすりと眠った。
僕は彼女といると、自分がとてもポジティヴになれることを発見していた。






朝日が昇り、僕は目覚めた。
彼女はまだこんこんと眠り続けていた。

僕は彼女が目を覚ますのを待ったが、いくら待ち続けても彼女は目を覚まさなかった。



その日から、彼女は目覚めなかった。





これはある物語についての、少しばかり冗長なプロローグだ。