今回の作品は、かの「失われた世代」を代表する一人であり、1954年度のノーベル文学賞受賞者でもあるアーネスト・ヘミングウェイの短篇「雨のなかの猫(Cat in the Rain)」のパロディ小説です。
クラクラ要素とクラロワ要素の二つを混ぜています。

ヘミングウェイといえば中篇「老人と海」、短篇では「殺し屋」、「キリマンジャロの雪」などが有名ですが、個人的には短篇「密輸業者の帰還」がもしかするといちばん好きかもしれません。
ということで「密輸業者の帰還」もひょっとしたらパロディするかもしれません。
まあそれはそれとして。

ではどうぞ。
短いのでさっくり読めます。











   ホテルに泊まっているクラクラ出身者は二人だけだった。部屋に出入りするときに階段ですれ違う人々の誰も彼らは知らなかった。部屋は二階にあって窓から海が見えた。窓からは小さな公園とバーバリアンキングの像も見えた。公園には大きなヤシの木が何本かと緑のベンチがいくつかあった。天気がいいときはいつもイーゼルを持った絵描きのホグライダーたちがいた。ヤシの木の茂り具合と、公園と海に面して並ぶホテルの明るい色をホグライダーたちは好んだ。バーバリアンキングの像を仰ぎ見にクラロワ出身者たちが遠くからやって来た。石を削ってつくられたその像はよく磨かれていて、雨に濡れるとぴかぴかに光った。いまも雨が降っていた。雨粒がヤシの木から滴った。砂利の小道のあちこちに水たまりが出来ていた。雨のなかで海が長い線を描いて打ち寄せ、すうっと浜を戻っていき、それからまたやって来て、雨のなかで長い線を描いて打ち寄せた。バーバリアンキングの像のそばの広場にあった馬車はみななくなっていた。広場の向こう、カフェの戸口にウェイターのウィザードが一人立って誰もいない広場を眺めていた。
   クラクラ出身者の妻は窓辺に立って外を見ていた。外の、窓のすぐ下、一匹のホグが雨の滴っている緑のテーブルの下で体を丸くしていた。ホグは精一杯体を小さくして雨が垂れてこないように努めていた。
「私、あのホグ連れてくる」妻のアーチャーは言った。
「僕が行くよ」夫のバーバリアンがベッドから申し出た。
「ううん、私が行く。あのホグったらテーブルの下にもぐり込んで濡れないように頑張ってるの」
   夫は本を読みつづけた。ベッドの足側に置いた二つの枕に寄りかかって横になっていた。
「濡れるなよ」夫は言った。
   妻が階段を降りていって事務室の前を通ると、ホテルのオーナーのキングが立ち上がってお辞儀をした。オーナーの机は事務室の奥にあった。オーナーは初老で背が高かった。
「雨ですね」妻は言った。彼女はこのホテル経営者が気に入っていた。
「ええ、そうですね、ひどい天気です。とてもひどい天気です」
   薄暗い部屋の奥にある机の向こうにオーナーは立っていた。このオーナーのキングを彼女は気に入っていた。どのような苦情でもひどく真剣に聞くところがよかった。堂々たる威厳がよかった。何かと彼女の役に立とうとしてくれるところがよかった。ホテルの経営者であることに対する思い入れもよかった。老いた重たい顔と大きな手もよかった。
   この人はいいという思いとともに彼女はドアを開けて外を見た。雨はさっきより強くなっていた。ゴム製のケープを羽織った男が一人、誰もいない広場をカフェに向かって横切っていた。ホグは右の方にいるだろう。軒下を通っていけばいいだろうか。戸口に立っていると背後で傘が開いた。彼らの部屋を掃除してくれるメイドのマスケット銃士だった。
「濡れてはいけませんよ」と彼女は響きの良いクラロワ訛りでにっこり笑いながら言った。もちろんあのキングが気を利かせてくれたのだ。
   メイドに傘を差しかけてもらって、砂利の小道を自分たちの部屋の窓の下まで歩いていった。テーブルがそこにあって、雨に濡れて明るい緑色に洗われていたが、ホグはいなくなっていた。彼女は一気にがっかりした。メイドが顔を上げて彼女を見た。
「何かなくされたのですか?」
「ホグがいたのよ」クラクラ出身の若いアーチャーは言った。
「ホグ?」
「そう、ホグ」
「ホグ?」メイドは笑った。「雨のなかにホグがですか?」
「そうよ」彼女は言った。「テーブルの下にいたの」。それから、「ああ、すごく欲しかったのよ。仔豚が欲しかったの」と言った。
   彼女がクラクラ訛りで喋るとメイドの顔がこわばった。
「さあ、奥さま」メイドは言った。「中に入りませんと。濡れてしまいますよ」
「そうね」クラクラ出身の若いアーチャーは言った。
   二人は砂利の小道を戻って、ドアから中に入った。メイドは外にとどまって傘を閉じた。クラクラ出身の若いアーチャーが事務室の前を通ると、キングが机の向こうからお辞儀した。若いアーチャーのなかで、何かがひどく小さく、固く感じられた。彼がいると自分がひどく小さく、同時にとても重要な人物であるように感じられた。つかのま、自分がこの上なく重要な存在である気になった。彼女は階段を上がっていった。部屋のドアを開けた。ジョージはベッドで本を読んでいた。
「ホグ、つかまえたかい?」と彼は訊いて、本を置いた。
「いなくなってた」
「どこに行ったのかねえ」と彼は本から目を休めながら言った。
   彼女はベッドの上に腰かけた。
「すごく欲しかったのよ」彼女は言った。「どうしてあんなに欲しかったのかわからない。あの仔豚が欲しかったのよ。仔豚の身で雨のなかに放り出されてるなんて辛いわよね」
   ジョージはまた本を読んでいた。
   彼女は鏡台に行って鏡の前に座り、手鏡で自分を見た。まず一方の横顔を眺めて次に反対側を眺めた。それから後頭部と首を眺めた。
「私、髪を伸ばしたらいいと思わない?」と彼女はまた自分の横顔を見ながら訊いた。
   ジョージは顔を上げて、男の子みたいに短く髪を切り揃えた彼女のうなじを見た。
「僕はいまのままが好きだけどね」
「飽きあきしちゃうのよ」彼女は言った。「飽きあきしちゃうのよ、男の子みたいに見えることに」
   ジョージがベッドの上で姿勢をずらした。彼女が喋り出して以来ずっと目をそらしていなかった。
「すごくいい感じだけどね」彼は言った。
   彼女は鏡台に手鏡を置いて窓辺に行って外を見た。暗くなってきていた。
「髪をうしろにぎゅっと綺麗に束ねて大きなかたまり作って手で触りたいのよ」彼女は言った。「仔豚を膝に載せて、撫でたら喉を鳴らしてほしいのよ」
「そうなの?」ジョージがベッドから言った。
「そしてテーブルに座って自分の食器で食べたいし蠟燭も欲しい。季節が春になってほしいし鏡の前で髪にブラシをかけたいし仔豚も欲しいし新しい弓も欲しいのよ」
「なあ、もう黙って何か読めよ」ジョージは言った。また本を読んでいた。
   妻は窓の外を見ていた。もう真っ暗で、ヤシの木々にまだ雨が降っていた。
「とにかくホグが欲しいのよ」彼女は言った。「ホグが欲しい。ホグがいま欲しい。髪も伸ばせなくても面白いこともなくても、ホグを手に入れることならできる」
   ジョージは聞いていなかった。本を読んでいた。妻は窓から、広場でさっき明かりが灯ったところを見ていた。
   誰かがドアをノックした。
「どうぞ」ジョージは言った。本から顔を上げた。
   戸口にメイドが立っていた。獰猛な牙が生えた大きな図体のホグをぎゅっと抱いていて、尻尾が揺れてメイドの体に当たった。
「失礼します」メイドは言った。「オーナーがこれを奥さまにお届けしなさいと」