きょーみほんい

僕の面白がっていることです

久留米に行ってきました

kurume-1プロジェクトの出張で先週から一週間福岡県久留米市に行ってきました。週末を挟んで打合せの予定があったため、週末は久留米に留まって周辺を観光などしていました。
まずは正しい観光客よろしく、西鉄久留米駅の観光案内所でレンタサイクルを借り、自転車で回るオススメのコースを聞いて地図をもらってから出発します(笑)。
まず訪れたのは久留米市の石橋美術館です(写真一枚目)。この一体は美術館だけでなく劇場に公民館、中央図書館が庭園の中に配置されていて、一種のテーマパークになっています。久留米市はブリヂストンの創業地で今でもブリヂストンの工場がありますが、これらの施設もブリヂストンが建設して久留米市に寄贈したものです。実にのどかで良い庭園でした。収蔵している作品も、青木繁の《わだつみのいろこの宮》を始めとして、日本近代洋画の質の高いものが揃っていて大変見応えがありましたよ。
久留米では街を歩くとところどころに『石橋』の文字を見かけますから、さながら日立や豊田のような企業城下町の趣がありますね。
kurume-2続いて訪れたのは、「焼き鳥フェスタ」。B級グルメの街、久留米ならではのイベントです。ちなみに「くるめ」ですから、「゛」をつけると「グルメ」になります。(笑)
焼き鳥屋さんのテントが10軒ほど並び、どれも10分くらい並ばないと買えないほどの行列。真ん中に座って食べるテントエリアとステージがあり、その周りをお酒など飲み物を売るお店が囲んでいます。自分もお昼ごはんに焼き鳥4本を購入したものの、凄い混みようで食べる場所を見つけるのに苦労しました。
kurume-5焼き鳥屋さんが直線的に並んでいるのは、お客さんとは反対側に煙を排出しているからです。煙は一生懸命扇風機で反対側に飛ばしているのですが、この日は気温も32度。いくら焼き鳥の煙でも相対的に温度が高くないと浮力が働かず、上昇しないため、地上付近を漂うことがよく分かります。焼き鳥職人さんはテントの中に食材を置いて、テントの外側で焼き鳥を焼いているのですが、例えばこれを逆にしてテントの下で焼き、テント上部に強力な換気扇をつけてテントをレンジフードのように機能させることはできないものだろうか。。。むぅ
なぜこんなふうに焼き鳥そっちのけで必死に煙の分析をしてしまったのかというと、いま設計している建物の広場にこの「焼き鳥フェスタ」が来る予定があり、そのときにこの煙を何とかしないといけないという課題をもらっているからなのですが、大変困難な課題であることがよく分かりました(笑)。※こんな感じで一人だと観光中でも半分仕事をしてしまうのは完全に職業病です。 (´▽`)
kurume-3さてさて。焼き鳥フェスタを後にして、次は筑後川流域のサイクリングロードへ。のどかな風景が広がっています。河川の増水時のために確保してあるこのような土地は全国共通らしく、東京でも荒川や多摩川沿いなどはサッカー場や野球場が並ぶこんな風景ですが、久留米は割と釣りをしている人が多かったかな。こうした河川が全国的に同じ風景だというのは、実は河川事務所が国交省管轄なのと大いに関連があるのだろうか。。。
kurume-4久留米の中には水天宮の本宮があって、ここも欠かさずお参りしてきました。東京の水天宮もここの分社だそうですね。

夜は「武ちゃん」という地元では有名な屋台のお店でちゃんぽんを頂きました。屋台なんて東京ではほとんど入らないですから、結構勇気を振り絞ってのれんをくぐったのですが、、、ここで偶然、プロジェクトでJVを組んでいる地元設計事務所の北島さんと会いました。全く申し合わせたわけでもないのに、久々の再開。これは本当びっくりしました。
どうやら彼も近所の焼鳥屋さんとか、これまた偶然ここに来た知り合い仲間と自然発生的に飲んでいたようで、僕もその輪に入れてもらいました(thanks 北島さん)。東京では偶然知り合いに会うシーンなんてほとんどないわけですが、久留米ではそれは日常茶飯事で、オープンで緩やかなコミュニティが発生しています。これは大変楽しい時間でした。そういえば屋台の写真撮り忘れましたね。。。

久留米には一週間滞在していて、個人的にこうした飲食店の集積が本当におもしろいナァと思って観察していたのですが、
この久留米という街はどうも小規模の個人事業主が多く、意外なことに同業者でも仲が大変良いようですね。例えば自分のお店が終わった後にも他の同業者の店に寄って情報交換しに行ったりして、お互い方向性が被らないように上手く棲み分けたりしているようです。時間帯も微妙にずれていて、2軒目3軒目とはしごしやすい(笑)。店員さんが他のお店をフツウに薦めてくれます。東京とはエライ違いです。
ただ逆にその根強い地元ネットワークのためか、街の中心部にはチェーン店が根付かない、ということがあるようです。市の中心はネットワークで守れても、車社会のため郊外のチェーン店に静かにお客が取られていきます。これはどこの地方でも事情は似てますでしょうか。

一方で、東京は異常な都市です。物理的には果てしなく広範囲に広がっているのに、完璧な交通網や情報技術によって人々が繋がっていて、それでも皆はそれなりに「近い」と思っている。恐らく将来的にはもっと交通網が完璧になり、もっと各個人が「近い」と思えるように、情報技術が限りなく発達するのでしょう。技術的にはその方向性を追求した方が確かに進歩的ですし、ビジネスとして世界的にも可能性があると思います。
しかしそれでも、たとえこの先100年、200年その仮想的な「近さ」を追求したとしても、結局のところ久留米のような「物理的に近い」というシンプルな人間関係には敵わないのではないかと思うのです。
そういえば、もう今日で連続テレビ小説の「あまちゃん」も終わってしまいましたが、「あまちゃん」の中に対比的に描かれている世界も基本的には同じですよね。
都市のコンパクトさ、物理的な近さというものの中に豊かさを見る目を持って、地方都市はもっと見直されても良いのでは、と思います。

『ヴェニスの商人』を見てきました

venis市川猿之助主演、蜷川幸雄演出『ヴェニスの商人』を彩の国さいたま芸術劇場に見に行きました。もともとは劇場のサポーターである事務所宛に来た招待券だったのですけれど、幸運なことに棚ボタ的に見に行くことが出来ました。
えと。平日のマチネ公演なのでいちおう仕事中なのですが、そんなことお構いなしに完全に楽しんでしまっています(笑)。

いや本当に良い演劇でしたよ。一番の見所はやはりユダヤ人のシャイロックという役に対して、歌舞伎という伝統的なものを当てはめたということで、このこと自体が凄く創造的なことだと思います。
『ヴェニスの商人』の筋書きは大変有名ですけれども、これは言ってみれば大富豪の高利貸であるユダヤ人シャイロックが社会に対して行った挑戦なのです。ユダヤ人であり、社会の中で孤立していたシャイロックはとあるきっかけで宿敵アントーニオの胸の肉1ポンドと引き換えに金を貸すという契約を結び、その契約の順守を叫ぶことでアントーニオを殺し社会に対して仕返しをしようとした。
この戦いの結果が有名な「胸の肉1ポンドを担保として受け取る権利はあるが、アントーニオの血を1滴も奪ってはならない」という例の判決に終わるのですが、これは判決がもともと決まっているインチキ裁判のようなものですよね(笑)。裁かれる人も裁く人たちも仲間なのですから、完全な茶番劇です。要するに『ヴェニスの商人』というのは早い話がユダヤ人に対する勧善懲悪の物語なのです。
孤立した社会の中では法律の正しさ、にすがるしかユダヤ人シャイロックとしては戦うことができなかったのでしょう。

シェイクスピアの時代には当然のように喜劇として語られたこの『ヴェニスの商人』ですが、現代の観客に対してはどうしてもそうした人種差別という主題が浮き彫りになってしまう演目なのです。描き方も大変難しいと思います。
今回の『ヴェニスの商人』の凄いところは、これに市川猿之助さんの「歌舞伎」を当てはめることで、現代においても『ヴェニスの商人』の主題を余すところなく見事に描き切ったというところなのです。変に隠すことも主題を曲げることもなく、直接表現することができた。まぁそれでも現代人である自分は裁判の場面まで「喜劇」というほど笑えなかったのですが。
市川猿之助さんが蜷川さんにヴェニスの商人をとリクエストしたということですが、本当に慧眼ですね。感心しました。
市川猿之助さんをこれほど長い間歌舞伎から引き抜いて演じてもらうこと自体、蜷川さんにしかできない稀有なことですから、まさしく彩の国さいたま芸術劇場でしか作れなかった演目なのだと思います。

olimpico二番目のツボは、舞台セットがテアトロ・オリンピコだったことです。いや、コレハ建築の意匠関係の人が見ればすぐわかりますよ。 (´▽`)
左の写真は今回の「ヴェニスの商人」の舞台ではなく、自分が昔行ったイタリアのヴィツェンツァにあるテアトロ・オリンピコそのものですが、これをそのまま絵で描いたという感じでした。演劇中このセットは不動で、この中央の大きなアーチ型の扉と両脇の扉、2階の窓が開いたり閉まったりするだけで舞台転換していました。
正直に白状すると16世紀末ならともかく、なんだかずいぶん転換の少ない簡易な舞台だなぁと思って見ていたのですが、実は観客席の横の方から見ていたからそう見えただけで、どうやら中央付近から見ていた人は真ん中の扉の奥の世界ではいろいろ転換していたようですね。(笑)

「ヴェニスの商人」にテアトロ・オリンピコを持ってくるというのは、建築史的時代考証からすると非常に正しいのです。テアトロ・オリンピコを設計したアンドレア=パラーディオは歳の差はあれシェイクスピアとほぼ同時代人ですし、なにより彼が活躍したヴィツェンツァという都市は当時はヴェネツィア領。
この時代はヴェネツィアにとっての貿易国オスマントルコが強大化した上に、ヴァスコ・ダ・ガマのインド航路の発見などにより海洋貿易がうまく行かなくなってきて、それまで貿易に特化した島国であったヴェネツィアがイタリア本土に土地を広げていった時代なのです。
ヴィツェンツァはそうしたヴェネツィアの属州のひとつで、建築などの文化はそうした時代に成熟化していくのですが、パラーディオが活躍できた理由もそこがヴェネツィアであったからなのです。パラーディオはヴェネツィアにも2つ有名な建築をつくっていますよね。

saitama長々と書いてしまいましたが、最後に彩の国さいたま芸術劇場について。この劇場は細かいディテールに至るまで本当に密度が高く設計されているといつ見ても感心します。建築的にも見どころは多いのですが、蜷川幸雄監督のお陰で劇場運営としても大変成功していて劇場世界の中での評価も高いので、いま僕も劇場の設計をしていますが彩の国さいたま芸術劇場に引っ張られてるな、と感じることがよくあります。場所さえもう少し良かったらナァ、とは僕でも思いますが(笑)
またこの劇場に良い演劇を見に行きたいものです。

穂の国とよはし芸術劇場見学会

豊橋_交流スクエア6/15(土)に「くるみの会」メンバーにて、穂の国とよはし芸術劇場の見学会を行いました。僕を除いて4名の方が遠路はるばる参加してくれました。ありがとうございました。

この日は平田満さんの『父よ』と平山素子さんのバレエ『Trip Triptych』という公演が大小2つのホールで2本続けてあるという、劇場にとっても初の試みでした。せっかく劇場に来ているのですから建物を見るだけでなく公演を楽しんでいただければ、ということでこの日を狙って見学会を企画したのです。
劇場を見学しながらその2つの公演を見て、ちくわを食べて帰るという、まさしく豊橋の劇場を満喫する一日でした。お疲れ様でした。
僕としては4/30のオープン記念式典以来の来館で、もちろん見学会の説明をしにきたわけですけれども、人の動き方を見たり、スタッフの方に話を聞いたりしていくと、この劇場が実際にどう使われているのかが良く見えてきて、個人的にも得るものが多かったですね。例によって細かすぎるので、詳細は書きませんけれど(笑)。

しかし、演劇の『父よ』とフランス印象派ダンス『Trip Triptych』は本当に全く異なる方向性の演目で驚きました。
父よ
アートスペースという200名の小劇場で上演された『父よ』は、定年も間近に控えた4兄弟が実家に集まって、85歳になる父親の面倒の見方を話し合う、というような現実的で身近な話題でした。その議題を中心に話し合う中で、見栄と保身が見え隠れするような、ディープな四兄弟の身の上話がそれぞれ展開された挙句、結局肝心の議題の方は微笑ましいオチで終わるというもの。
稽古自体も本番と同じく、アートスペースに実際に舞台を作ってやっていたようですが、そのせいか舞台セットが劇場にだいぶよく馴染んでいましたね。初めてこの劇場を見た方などは果たしてどこからが舞台セットなのか、見分けがつきにくいような状態だったかもしれません。
それは言い換えると、まさしくこの200名という劇場のサイズを意識して作られた演劇だということで、座席のどの場所から見ても舞台との一体感を感じるような迫力がありました。小道具なども凝っていて見どころの多いお芝居だったと思います。ヨーロッパの劇場のように、このように演劇をつくる場と演じる場が近くなっていけば、演劇自体のクオリティも上がっていくのでしょうね。


trip-triptych一方、フランス印象派ダンス『Trip Triptych』の方は東京ですらめったにお目にはかかれないだろう、相当に特殊な演出のバレエでした。なるほど確かに印象派なのだろうな、と思ったのですが、テーマとしては風や水といった自然物を扱っていて、音楽にのせてその表現のトライアルを繰り返しているという感じで、古典のように一貫したストーリーがあるわけではありません。しかし本当に綺麗で絵になるバレエになっていて、見たことのない不思議な世界観が繰り広げられていました。これが豊橋で見られるのですから、豊橋市民にとってはすごいことだと思います。
このバレエの舞台の使い方などでちょっと気づいたところなどを備忘録的に挙げておきますね。

豊橋_art_galleriaこの演目は新国立劇場で3日間公演したあと、豊橋が唯一の地方公演でした。
そのためもあってか個人的に見ていて気になったのですが、舞台の一番後ろの背景を構成する幕である大黒幕+ホリゾント幕まで上げてしまうようなときがあり、黒いペンキを塗っただけのコンクリートの壁とグリッドパイプがそのまま見えていて、残るは東西幕のみという状態のときがたまにありました。この部分はあまり積極的に見せるものとして作っているわけではないので、これは割と設計者的には異常事態なのです。 Σ(゚д゚;)
それは後舞台までしっかりある劇場『新国立劇場』を想定して製作しているものを、豊橋の、そこまでは奥行きのない舞台で上演する、ということで、奥行きをとった上で壁やパイプなどはそのまま見せちゃおうという判断になったのでしょうか。舞台照明も東西幕の横に立てた櫓のようなものから、という不思議なあて方をしていましたし。全体的に苦心して使っていただいているのがよく伝わって来ました。
客席数を減らしても前舞台を組むという判断が出来たなら、果たして問題は解決したのでしょうか。。。むぅ。
こんな感じで、特殊なものを見るととても勉強になります。

ちなみに、主ホール内の写真は撮影禁止ですので、主ホールの内装はおろか、演劇の写真などは当然撮れず。小ホールの横のアートガレリアというところの写真を載せています。
僕は主ホール内撮影禁止のサインを作った本人ですが、カメラを首から下げて入ろうとしたらスタッフの方に注意されました。(笑) なにぶん管理しにくい人間なものでご迷惑をお掛けしました。

また面白い公演などあったら豊橋にもちょくちょく顔を出そうと思いますので、よろしくお願いします。

森鴎外記念館

鴎外記念館_正面文京区の施設として去年の11月に新しくできた、森鴎外記念館に行ってみました。国立国会図書館の関西館を設計された、陶器二三雄さんの事務所の作品です。
全体として良くまとまった、細部に至るまでクオリティの高い現代建築、だと思います。

素材の特性を良く理解している故に可能な、ヴォリュームの力強さ。計画性の高さ故に成り立つ、ミニマルな細部。スイスの建築家Peter Zumthorを思わせるような質の高い建築ですね。
写真映りはインパクトが強いのに、実際に見に行くと??と思う現代建築も多い中、こういうしっかりとした仕事を見ると嬉しくなります。文京区は大変良い買い物をしましたね。
カメラを新調してたくさん撮りましたので、調子に乗ってたくさん載せてみますね。

鴎外記念館_アプローチこれが団子坂からのアプローチです。よく見ると三角形に上のヴォリュームがずれて前に出てきます。
厚みのある「レンガ」という素材だから出来る、シャープでシームレスな造形ですが、上のヴォリュームを突き出させることで、レンガが「積まれる素材」であることから少し逸脱しています。思いっきり逸脱することもできますが、大きくは逸脱しない。この程度が本当に巧いと思います。



鴎外記念館_エントランス大きなステンレス両面貼の自動ドアを入って正面。この正面の壁はおそらく意図的にコンクリートの下地調整を甘めにしてあって、上から降り注ぐ光に対して微妙なゆらぎが生じるようになっています。見せ場だけに迷うところですが、森鴎外の生涯を語る「正面」としては、確かに揺らぎのないパキッとした面で見せるよりも良かったのではないか、と思いました。



鴎外記念館_受付その壁の横にある受付です。この場所はミュージアムショップも兼ねていて、鴎外の著作などが売られています。このスペースは一見コンクリートの壁の中に木材が嵌めこまれたような不思議なスペースに見えます。見てみますと床はもちろんフローリングですが、床以外は木調の塩ビ系シート(ダイノックシート同等品)を使っています。この素材の選び方がこうした枠を消したような見え方をつくるときのポイントになっています。



鴎外記念館_枠横の枠は人の目に近いということでスチールか何かで細い枠を作ってシートを巻き込み、コンクリートの壁にぶつけていますが、天井は最後のコンクリートの厚さ分だけシートをコンクリートの上に直貼りして納めています。こうすると、ほとんど出隅で異素材が入れ替わるような、一見不思議で、現代的な表現になります。塩ビ系シートですので、巾木がなくてもなんとか納まりますし、ますますエレメンタルな表現になります。


「枠のない建築」ですね。
現代建築はこうして結構一生懸命「枠」を消そうとするものですが、枠を消すにもきちんとした作法というものがあるのだな、と考えさせられます。
細かいですが、右の方にチラッと見えている、使わないときは壁面に収納できる「傘立て」も個人的に結構ツボでした。ただ、雨が降る可能性もないような今日みたいな日には仕舞って下さい。。。(笑)

鴎外記念館_旧玄関側これは実際に森鴎外が出入りした南側の玄関です。南側は地形的に尾根道のようになっていて、下に区立文京八中や区立汐見小学校が面する陽当たりの良い綺麗な道となっていますので、当時でも団子坂ではなく、こちらから出入りしたくなるのは良く分かります。門の前の石や大きな銀杏の木が森鴎外が実際に住んでいた「観潮楼」の時のまま残されています。



鴎外記念館_車椅子駐車場この玄関横の車椅子駐車場のマークが結構凝っています。石の舗装の中に埋め込まれているのは、御影石の水磨きでしょうか。こういうところに気がつくと自分でも呆れますが、この敷地に余裕が無い中、周囲に馴染むようにこのマークを入れるというのは結構重要な配慮だと思います。



なんだか、いろいろ絶賛してしまいましたが、他の細かい点も含めて本当に良い建築だと思いました。
絶賛し過ぎもバランスが悪いので細かいことを言うと、壁と床の取り合いが徹底して壁勝ち、時には床の方にスリットが切られていて(空調の吹出しか何かかと思いますが)、巾木がないデザインとなっていますので現状は掃除するのが大変かもしれません。
ただ巾木かあるいは雑巾摺かみたいな議論で良く思うのですが、施設の掃除の仕方も人力で掃除機をかけるのではなく、将来的にロボット掃除機ルンバみたいになっていくのだとしたら、また蹴飛ばした時にできる黒ずみがなんとか掃除可能であるなら、別にこれでも構わないのではないかと思います。

中にある「モリキネカフェ」も庭が見えて大変落ち着くスペースです。本格的な調理はできないカフェとして設計されているらしく、あまりメニューに種類はないのですが、飲み物の他には「文人銘菓」が食べられます。僕は「吾輩は猫である」クッキーみたいのをいただきました。猫の形で可愛かったのですが、温めるだけでもせめてもう少し品数を増やせる気もしますね。
文京区さん!カフェの充実にもう少しだけがんばってください!

建物のことばかりで言い忘れましたが、もちろん森鴎外の展示も映像など充実していて面白いです。建築を志す方は見に行っても損のない建築だと思います。

Bye-bye、とよはし

交流スクエアついに去年の5月から続いていた豊橋の生活が終わり、東京に戻って来ました。
異動が直前に決まったというのもあって、ここ一週間は豊橋を懐かしむ暇もないほど、物凄い勢いで片付けをしていました。しかも「自分の家の引っ越し」とほぼ同時に「現場事務所の引っ越し」もしなければならないというのがあり、どこに行っても片付けをしているような状態。。。
さらに、ありがたいことに長らくお世話になったいろんな方々が見送りの会を開いてくださるということで、結果的に「自分の家の引っ越し」は後回しになり、最終日にどどんとツケが回ってきたという始末。(笑)

引っ越しって、作業の片付けの順番を間違うとあとから余計大変ですから、手順を考えながらどんどん準備を進めますよね。滞りなく引っ越すための「段取りパズル」みたいなところがあるわけです。なものでいろんな事をやりながら急ピッチで引越準備しているうちに、さながら殿(しんがり)軍の大将みたいな心持ちになっていました。(´∀`*)

最終日は撤退業務に忙しすぎて写真を撮るのを忘れましたので、少し前の劇場内の写真をどうぞ。交流スクエアという、施設の要となるスペースの写真です。

*****

豊橋では本当に良い人たちに囲まれましたし、仕事としても良い経験が出来ました。
劇場という一大プロジェクトの建設現場に詰めて、その竣工までの様々なプロセスに関われるという経験ができたというのは大変貴重でしたね。
最後の最後まで本当にいろいろありましたが、良い劇場をつくるために全力を尽くすことができたということと、たくさんの方々の御陰で現場生活を楽しく健康的に乗り切れたということに、感謝したいと思います。
これからもちょくちょくは豊橋の劇場に行きたいと思います。みなさんも近くに寄る機会がありましたら、演劇でも見に来てくださいね。

開館準備に突入

PLAT_mainhall
穂の国とよはし芸術劇場PLATは1月に入ってから怒濤のように検査が続いていましたが、1月末で一通り終了。2月1日から仮使用が始まって、職人さんたちが一気にいなくなり、豊橋文化振興財団の方が一部ですが、事務室に引っ越して来ました。なにはともあれ、建物が無事使われ始めるのは嬉しいものですね。
写真は先日撮影した主ホール客席の様子です。よく見ると、まだオーケストラピットまわりの調整などをしています。建物自体こんな風にまだ少しずつ手を入れているような状態なので、一段落ついたにしてはなかなか写真を撮るタイミングがなく、今回はとりあえずこれ一枚。

まだまだ外構工事などが残っていますが、これから劇場は本格的に開館準備段階にシフトしてきています。開館記念公演は野村万作さん・野村萬斎さんの「三番叟(さんばそう)」、狂言「棒縛」、小曽根真さんのジャズピアノコンサートです。こちらは市民応募の300名と、関係者のみ参加可能です。
5月24〜26日には蜷川幸雄さん演出の「ヘンリー四世」が来るなど、2013年上半期は豪華なラインナップが用意されているようです。豊橋周辺に住んでる方はもちろん、豊橋駅から歩いてすぐの場所にありますので、東京からでも新幹線に乗って気軽に来てくださいね。

本当にこれから穂の国とよはし芸術劇場が良く運営され、豊橋周辺の人びとの文化の核になって行ってほしいものです。

*****

昨日は、名古屋まで世界劇場会議という国際フォーラムに参加して来ました。劇場建築の設計者や技術者だけでなく、行政の方や運営に関わる方まで様々な劇場関係者が参加している会で、地域に密着した文化の拠点となる「公共劇場」のありかたとはどういうものか、についてとても熱い議論が交わされていました。
そうした「公共劇場」のビジョンの中で、劇場の建築家たちに対して、「劇場建築とはどうつくられるべきか」、という難しい問いも投げかけられました。
建築家の本質的な立場とはまず、モノとして良い劇場をつくることであり、良い劇場として運営することではありません。その建築自体によって、良く地域住民に愛され、良い運営がなされるような下地をつくるのであって、それ以上のことは実際には出来ないのです。
そのため、「公共劇場」が建築のみで直接つくられることはないのですが、そのような劇場を目指すことを設計・建設のプロセスの中で常に意識し、デザインするなら、建築家にも「公共劇場」をつくる手助けは十分にできるだろうと思います。

*****


そういえば、今日は国指定重要無形文化財の「豊橋鬼祭り」の日でした。特にノーマークだったのですが、江戸時代の武士みたいな「裃(かみしも)」を来た人たちがたくさん練り歩いて来て、奇妙な声を上げるので何の騒ぎかと思いましたよ。Σ(・ω・ノ)ノ
ウチの前にも来てなにやら白い粉のようなものを撒いていましたので、特に近寄らなかったのですが、さっきYouTubeにて学習しました。こういう事だったのですね。
起源も意味も全然違うようですが、仮装した上に色んなモノを投げていること自体、どこかヨーロッパで言う謝肉祭のノリと通じる物がありますね。。。時期も似てるし。むかし、謝肉祭中にスイスに旅行していたら、仮装した人に変な物を投げられて被害に遭ってトラウマになりましたので、あまり詳しいレポートができなくて申し訳ないですが。(笑)

「とってもゴースト」in 町田市民ホール

topimg_ghost01
「どうして?すごいじゃない。生きてるのよ、あなたは。」

音楽座の「とってもゴースト」はこんな台詞でも十分に聞かせる、一遍のおとぎ話の様な世界観をもったミュージカルでした。
トップファッションデザイナーとして虚勢を張って生きて来た主人公の入江ユキが、突如事故で亡くなって天界へのガイドがやってきます。しかし、やり残したことへの未練からそのガイドも振り切って逃げ出し、ゴーストのまま俗世に留まろうとする。当てもなく彷徨っていると靴のデザイナーを目指す迷える青年と出会い…、というストーリーとなっています。
えと。もっと分かりやすくストーリーが紹介されてますのでリンク貼っておきますね→「とってもゴースト」
作品を通じて人間の生き方、幸せとは何かを考えさせるような印象に残る言葉がたくさんありましたが、
やり手のデザイナーから一転ゴーストへ、というように否応無しに「見栄」や「エゴ」が取り去られてゼロに立ち返った状態からは、かえって素直に人間本来の姿を見つめることができる、のかもしれません。

この「とってもゴースト」は新しく完成する「穂の国とよはし芸術劇場」の舞台監督になられる高瀬さんが紹介してくださったのですが、筋書きも明快で音楽も素晴らしく、また笑えるミュージカルという感じで、久しぶりに良い演劇を見た気がしました。

恥ずかしながら高瀬さんに教えていただくまで知らなかったのですけれども、
音楽座という劇団は僕の地元の町田を拠点として活動していて、脚本の執筆から演出、音楽もオリジナルで創作するという希有な劇団だということです。
そのためか「とってもゴースト」には、既存のミュージカル作品を単に解釈して演出するのではない、オリジナルとしての強さ、自由な工夫とユーモアがあって、作品がとても生き生きしているように感じました。

*****

自分は20年以上町田に住んでいましたが、町田にこんなに素敵な劇団があったことを全く知らずにいた、というのは衝撃でした。
これは、町田市民ホール自体が可変性の乏しい舞台に加えて設備も古くなっていて、良い公演を呼べないということにも一つの原因があるような気がします。
市役所の建替えの際にこの町田市民ホールと一体にして建替える案があったものの、多額の税金を投じることに対する市民の反対でホールの方は諦めた経緯があると聞いていますが、
現実には劇場の設備が古くて良い公演が呼べないために、結果として市民の劇場に対する意識も低く、自然と「劇場の建て替えなど必要ない!」という意見が主になって行くという負のスパイラルがあるのでしょう。

音楽座の方々も結構苦労して使っているなぁ、というのは公演を見ていても良く伝わって来ました。
例えば音楽は小編成のバンドを舞台前面に組んで演劇に合わせて演奏するのですが、なにしろオーケストラピットがつくれないため、客席の三列分をカバーをかけて「囲い」をつくり、舞台前の客席通路辺りに楽器を並べて弾いていました。
当然演奏者が客席の高さと変わらないところにいるので、舞台上に演奏者の頭と楽器がぽこぽこ出てきているように見えます。
そんな環境でも音楽座のような素敵な劇団がホームタウン公演ということで、毎年町田市民ホールで公演してくれるのは、町田市民としてはありがたいことですね。

「とってもゴースト」が終わった後席を立とうとしたら、「音楽座ミュージカルKIDS」と「音楽座ミュージカルシニアGLEE」という地元の団体が歌って踊る15分くらいのクリスマスソング・パフォーマンスがあるというので、そちらもしっかり見て来ました。
こうした取り組みは地元にファンを増やしていく意味でも、素晴らしい取り組みだなぁと思いました。

また何か見ましたらレポートしますね。

オーロラお目見え

オーロラ
着々と現場は進んでいますが、今週はついにオーロラがお目見えしました。意図していた色やパタンが上手く出せたので、一目見てすごく安心しました (´▽`)。
いままで何回かオーロラの説明はしましたが、分からない方のために簡単に説明しますと、豊橋では舞台上部(フライタワー)や客席天井上部の「どうしても大きなヴォリュームとして見えて来てしまう部分」をフワフワとした造形で覆い、豊橋のシンボルとして意匠化しています。
たまに、実際にオーロラがあるの?というご質問を頂くのですが、このオーロラは緯度の高い地域で見られる「大気の発光現象」ではありません。材料はガルバリウム鋼板の折板(焼付塗装)で、造形的にオーロラっぽいので「オーロラ」という愛称で呼ばれています。
ただ、「オーロラ」という名がついている以上、本物のオーロラについても勉強しましたし、是非とも本物のオーロラにも負けない綺麗なオーロラが豊橋にある!と言われるようなモノにしたいと思っています。

オーロラの色はグラデーションを構成する5色の色でできています。要するに同じ色調、彩度のまま、明るさだけがだんだんと変わって行くような5色です。レンガの色に合わせて映えるように、少し赤みを入れました。
その色を仮に(明)1→2→3→4→5(暗)とすると、実際のオーロラの配列は1→2→3→2→1→2→1→2→3→4→5 のように、隣り合う色が必ず次の色になるように配列されています。なんというか、色が波打っているようなイメージですね。
ようするに、このオーロラは「形」と「色」という二つの波が重なり合って共存しているのです。「形」の波が波打つところでは「色」の波もそれに呼応し、「形」が平坦なところでは「色」の波はそれに離反するように動きます。
オーロラ_線路側

いくつかの方向から見た写真を載せますが、このオーロラ、見る時間帯や直接光の当たり方、あるいは天気によって、かなり色が変わって来ます。晴れの日の陽の当たる面は白っぽい印象ですが、日陰だったり、曇りや雨の日は濃く、色の違いもはっきりと見えます。
空が映り込むからでしょうね。夕焼けの時は特に赤い色が綺麗に出ていましたよ。

光の当たり方によって「形」と「色」という二つの波の優劣が入れ替わり、時間によって異なるハーモニーをかもしだす。そういうコンセプトとなっています。

このオーロラの色については最終的には自分が主導してスタディし、決定しました。
模型をつくり、CG上で散々シミュレーションをして、3度モックアップを吊り直してもらうなど、万策を尽くして出来上がりの姿をイメージして進めていますが、それでもやはり建築の出来上がりの姿というのはできてみないと分かりません。こう言うとある種無責任に聞こえてしまうかもしれませんけれど、ここにしかない意匠の建物をつくろうとするときには必ずこうしたチャレンジがあるものです。
そういう意味で、足場が取れた姿を見るまでは結構不安ではあったのですが、部分的に出来上がった姿を見てなんとか上手く行くだろうと一安心しました。

オーロラ_正面

色の違いは結構繊細なもので、隣接する2色など、小さなサンプル上では違いがほとんど分からないくらいしか違いません。ただ離れて見ると、確かに違うのが分かります。
こうすることで、全体としては一つのエレメントでも、よく見ると刺し子のようにテクスチャが織り込まれているような繊細さを出したかったのです。
はっきりと異なる色を何色か使うという建築ならありますが、これだけの近似色をこれだけの大面積で貼り分けて行くというのは、なかなか他に例がない試みだと思います。また、それをきちんと見分けて貼ってくださっている職人さんたちにも感謝ですね。
全て足場が取れたときどう見えるか、楽しみです。豊橋市民の方にも気に入ってもらえると良いのですが。

ここからが楽しい時間!

とよはし全景_mini

こんにちは。豊橋の劇場は2月初めの竣工に向け急ピッチで工事が進んでいます。先日ようやく線路側の足場が一部解体され、レンガがお目見えしました。
約140mに及ぶ長大な2層のレンガ壁がゆるやかなカーブを描いて線路脇に横たわっています。写真を2枚撮って繋ぎ合わせてようやく全景が入ります(笑)。新幹線も近くを通っていますので、この景色は東海道新幹線からも見えます。豊橋駅の東側ですので、通りかかった人はぜひ探してみてください。
このレンガ壁の上にオーロラとよばれるふわふわしたヴォリュームが載ります。よく見ると上部の足場が複雑な形状をしているのがわかると思いますが、これはいよいよオーロラを取り付ける段階に近づいて来たため、足場をその形に盛り変えているのです。オーロラの姿は11月中旬ごろから少しずつ見えてくると思います。

5月に監理事務室に来てから、仕上げの色や品番等を決定する作業を続けてきましたが、この時期になると、だんだんとその完成形の姿が見えて来ます。長い間練り上げて来たイメージが現実化される、とても楽しい瞬間です。

この劇場の一つの見所はこの色彩豊かな主ホールの壁面リブです。このリブの色については原寸のモックアップを3回つくってもらい、監理事務室にてほぼ3ヶ月に渡ってスタディしていたものですが、この2週間くらいでリブの取り付けが進み、ようやくその雰囲気が分かって来ました。

市民見学会では既にお見せしましたし、そろそろオーソライズされてきましたので、リブの写真もここで部分的に公開しますね!
リブ壁
しかし本当に、リブを一目見て、これは間違いなく良い劇場になる、と確信しました。感想を聞いてみると、リブの姿が見えてきて現場で働いている職人さんや技術者の方々も少しテンションが上がったようでした。

特に音楽ホールなどに行かれた方は見たことがあると思いますが、通常、劇場の壁面は豊かな音を客席に返すため、ランダムに配列した木リブ等を設置することが多くあります。ランダムにすることによって特定の波長だけを強く反射することなく、拡散された良い響きを得ることができるのです。

この劇場では「劇場に来た」という高揚感を演出する仕掛けとして、また豊橋にしかない劇場をつくる一つのデザインモチーフとして、木材の色をそのまま使うのではなく、赤を基調とした多彩な色をつけることにしました。上でイメージ写真も載せましたが、色をつけるアイデアは豊橋発祥の「手筒花火」がひとつのヒントとなっています。
演劇のホールとしては演出上ブラックボックスが好まれる傾向があるのですが、このリブ壁は照明は調光できるようにしていますので、だんだんと明かりを小さくして消すことが出来ますし、消してしまえば演劇には全く干渉しない、黒い壁となります。

こうしたデザインも、豊橋市の方や、管理される財団の方の深い理解がないとできません。そう言う意味で、このリブ壁はなんとかその期待に応えようとして生まれたデザインでもあるのです。
本当出来上がった姿をみるのが楽しみですね。

また新たな部分が見えて来ましたら、レポートしますね。

レンガの裏に名前を残そう

レンガ
最近、豊橋の劇場の監理事務室で取り組んでいるプロジェクトがあります。
それはお施主さん、設計者、施工者、メーカーの人から実際に作業される職人さんまで、この現場に関わったなるべく多くの方々に、「レンガの裏に名前を書いてもらうこと」、です。
名前を書いてもらったレンガは、もちろん実際の内壁として積みます。場所としては「交流スクエア」と呼ばれるメインの吹抜空間に面したレンガ壁、アートスペース(小劇場)の入口付近の予定です。

こうした取り組みは構想段階では良くあるアイデアではあるのですが、我々のような立場の者が声を大きくしてプロジェクト化し、現場にいる皆が協力して取り組まないと、なかなか実現には至りません。
今回はレンガを積み終わる直前ではありましたが、なんとか皆で一致団結し、一週間強程度という短期間で実現にこぎ着けました。我々監理者は二人とも、お施主さんや、運営に関わる方などにレンガを届けに行ったり、東京の設計事務所に持って行って新幹線で担いで帰って来たりとずいぶんとカラダを張りました。 (´▽`)

レンガは書き終わったら会社毎に集まって集合写真を撮ってもらえるようにして、見える記憶としても残す予定です。我々監理者は二人で撮るのも寂しいので舞台分科会のメンバーや現場JV(ゼネコンの人たち)と一緒に撮ってもらいました。(写真のデータをいただきましたので、掲載しておきます)

****

このイベントを一致団結して実現できたのは、きっと現場にいた全員が「レンガの裏に名前を書く意義」についてすぐに理解し、賛同してもらえたからだと思います。なので余計な解説は必要ないかもしれませんが、いちおう僕らが考えていたことも少し書いてみようと思います。

これは、一言で言えば「棟札」のようなイメージですよね。
棟札を残した昔の大工たちは単に「だれそれが関わった」という歴史的な史料を残そうとしたのではなく、「自分たちはここでしっかりとした仕事をした」、と後世の人にも胸を張って言えるように、自分の名前を木の札に書いて残しました。
豊橋のレンガの場合も考え方は全く同じです。
名前が書いている側を裏にしてレンガを積むわけですから、建物が平穏無事に建っている間は見ることは出来ませんが、例えば100年後この建築を解体することがあったときに棟札のように発見され、まずは歴史的な史料として名前が残るでしょうし、
また、見えていない間も、自分の名前が残っていると思えばその劇場の仕事をした、ということが個人の誇りになります。願わくば、きっと建物に対する愛着を持ってもらえると思うのです。

現代建築は特に建築家ばかりが名を残し、それに関わった現場の人や、職人さんたちは、痕跡すら残らないイメージがあります。その原因について詳しく語るのはここではやめておきますが、そうした歪んだあり方もこうしたイベントを積み重ねることで細々とながら変えて行けたら、という思いもあります。
建設に多くの人が関わっているということも建物が使わ続ける中での大切な価値なのですから。

現場にいる技術者さんたちや職人さんたちはあまりにも専門化され、特定の作業に特化した技能を持って様々な現場に当たっているため、出来上がっても建物を見に来ることもほとんどないそうですが、自分としては現場に常駐をして初めてそうした話を聞いてとても驚いたものです。

設計者なら、おそらく開館後も何度も建物を訪れて人を案内し、演劇を見、使われているところを見て、ようやく喜びを得るものです。我々はまだ細分化されない仕事ができているということで、幸せなのかもしれません。
ですので、我々と同じように是非、現場管理者や技術者の人にも、また職人さんたちにも家族や友人を連れて演劇を見に来てほしい、と思っています。

そんな設計者の願いを込めて、イベント化させていただきました。
うまくいくといいのですが。
Archives
プロフィール

tomo

Recent Comments
記事検索
  • ライブドアブログ