2006年12月21日

*この記事は『言葉と建築』という信州大学大学院の授業の課題(お題と呼ばれています)に対する僕の回答を再録したものです。


■お題

今日の話は2つあった。オーダーと簡潔性。オーダーでは秩序の英語にはorderとcosmosがあるという話をした。このcosmosとしての秩序はhttp://ofda.jp/column/に書いたのでちょっと読んでみて欲しい。
ところで今日のお題だがこのコラムに関連して、数学的秩序と宇宙的秩序を考えてみたい。数学的秩序とは数字で抽象化できる秩序のこと。一方宇宙的秩序とは宇宙の中にある見える見えないを問わず繰り広げられる世界に内在する秩序のこと。そしてある装飾学者に言わせればこの秩序を顕在化させるのが装飾という行為なのだと。
そこで僕はこの意味での装飾を君たちに探し出してもらいたい。その経験でもいいし、それはこういうことではないかという推論でもいい。宇宙的な広がりと想像力を沸き立たせる答えを期待する。

『言葉と建築:2006年冬』「第十講お題」より引用

■僕の回答

風が吹く。水面にさざなみが立つ。
我々は経験的にそれを当たり前のことだと考えている。
しかしそれは宇宙の法則にしたがった結果でもある。

例えば、しばしば建築の周囲に設けられる水盤を考えてみて欲しい(安藤忠雄がよく使うような)。それをじっと見ていると不思議な感覚に襲われることはないだろうか。

背後から風が吹き、その直後目の前の水盤に波が立つ。その時我々は水盤という装置を通して、風を見ることが出来る。体に感じないようなわずかな空気の揺らぎも、水は敏感に読み取って表情を変える。それをずっと眺めている時に感じるのは、もはや風や水といった具体的事物を超えた、宇宙的な力のようなものである。そしてそれは湖の表面のさざなみを見る時よりも、コンクリートで作られた水盤の上において、よりあらわになるのである。

他にも以前トヨタ・プリウスのCMで使われていたアメリカのウィンドファームと呼ばれる風力発電施設。丘の上に何千台もの風車が並び、同時に回っている様子は、自然というよりは宇宙的な力を感じるものだった。これらのように、見えない力を顕在化させる装置は、今回のお題における装飾であると言える。

建築における装飾は、モダニズムの断絶の時期を経て、現代建築ではモダニズム的装飾の排除以外に、大きく2つの流れに向かったと考えられる。一方は構造と表層の一体化という手法、そしてもう一方は表層のみを一つの体系と考えてデザインする手法である。

それらはどちらも、技術の発達が可能にした恣意的表現の狭い世界にはまっているように思えることがある。一歩引いてまずはそこにある何かを感じるという段階が、しばしば省略されているように感じるのだ。今回のお題から考えられるように、装飾はそれ自体が独立した表現として存在するわけではない。しかし同時に、それは単に従属的なものでもない。装飾の独自性と面白さは、何を感じ、それをどのように写し取るかという行為の中にあるのだと考える。

■復習

後日追記予定

(07:26)
*この記事は『言葉と建築』という信州大学大学院の授業の課題(お題と呼ばれています)に対する僕の回答を再録したものです。


■お題

今回は自然。
いつもは分かりやすいように適度に本の内容をはしょって話すのだが、今日は重要なので全部無理して話してみた。だから逆に分かりずらかったかもしれない。しかし自然は建築を考えるとき容赦なく我々と対峙する何かなのである。ところで僕にとって自然とは設計の中で常に自分が制御できない何かと感じている。uncontorlableなものを設計の中で常に想定しそれを自然と呼ぶのである。授業でも言ったが、分からない神秘性のようなものである。道無き道を進むような建築を作りたいとよく思う。それが僕にとっての自然ではないかと考えている。そこで今日のお題だがあなたにとって自然とは何か?ひどく抽象的な質問だが、逆にどのように答えてもよい。話が広範にわたるものであるから質問も広く答えられるようにしてみた。ただし授業の中で出てきた人物でもテーマでも概念でもよいが何かを取り入れて答えて欲しい。

『言葉と建築:2006年冬』「第九講お題」より引用

■僕の回答

自然について語る言葉を持っていないような気がするので、まずは始原の建築について考えてみたいと思う。

フィラレーテやロージエは、始原の建築を木の幹で作られた素朴な小屋とし、そこに構築の原則を見た。これは藤森照信が建築の起源を、人類が石を積み上げた時だとしていることと通じる。その素材の違いは、自然を異なる素材で模倣したことと関連付けて考えられるが、ここではとりあえず問題にしない。重要なのは、彼ら「構築派」の人々にとって、始原の建築は自然の中に何かを構築することと同義であったことである。

一方、ゼンパーは空間を囲うことを始原の建築と考える。ゼンパーはその上で自然と建築の関係を切断する方向に向かうが、ここでは始原の建築に対する考えのみを問題としたい。ゼンパーの立場をとれば、例えば花見で美しい桜の下にシートを敷くことだって、建築である。シートは領域(=空間)を切り取り、座ることの出来る場所を作るのである。つまり始原の建築は必ずしも構築的なものである必要はない。

これは藤森照信に反論して、阿部仁史が建築の起源を、人類が洞窟の中で居心地を良くするために砂を敷き詰めた時だとしたことに通じる。あるいは隈研吾が『反オブジェクト』や『負ける建築』において、建築の環境との切断を批判したこともこの立場に近い。彼ら「領域派」の人々にとって。建築は自然の中への構築ではなく、自然とその中に存在する身体とを緩やかに繋ぐ境界である。

ではここでそれらの始原の建築と、自然との関わりについて考える。

構築派の人々にとって、自然は人間と対峙する絶対的な存在である。一方領域派の人々にとって自然は建築という行為を通して身体と対話することのできる相対的な存在である。どちらかと言えば僕の自然観は後者に近い。

確かに建築を考える時、自然は絶対的な存在として君臨しているように思える。けれどそれは人が自然を克服すべきものとどこかで考えているからではないだろうか。つまり自然はそこに向かう自身を映す鏡のような存在ではないだろうか。もしかしたら、好きだよ、と言えば好きになってくれたりするんじゃないだろうか。

■復習

後日追記予定

(07:23)
*この記事は『言葉と建築』という信州大学大学院の授業の課題(お題と呼ばれています)に対する僕の回答を再録したものです。

*ちなみに以下の2題については提出できませんでした。
第6講 11/8 機能 - function
第7講 11/15 歴史 - history


■お題

今回のお話は記憶である。これはかなり建築から遠ざかり心理学や哲学の分野に突入している。今回の話もかなり哲学的な内容が多かったように思う。しかしあまり難しく考えなくてもよい。覚えておいて欲しいのは3つの表象である。それは知覚表象と記憶表象と想像表象である。そして今日のお題だが、あなたが建築を見たときにこれら3つの表象が融合した経験はないか?あるいは2つでもよいのだが、そうした融合によって経験がより豊かに感じたことはないか?その経験を言葉にして欲しい。字数は800字くらい。

『言葉と建築:2006年冬』「第8講お題」より引用

■僕の回答

ほとんど何もない空間に、あふれる人を見た。

2004年、ひどい台風の中、僕は磯崎新の大分県立図書館を訪れた。取り壊しが危惧されたこともあるそれは、数年前にアートプラザとして改装され、貸しギャラリーと磯崎新の建築展示室となっていた。ずぶぬれになりながら、やっとのことでたどり着いた。

台風の中訪れるような物好きは僕くらいだったのか、朝9時過ぎに到着して12時に帰るまで、館内にいたのは職員の方と僕だけだった。後から実は臨時休館にしようとしていたところに僕が来てしまったのだと知るのだけれど。

全館をゆっくり見てエントランスホールに戻った。エントランスホールは60年代ホールとなっていて、宮脇愛子などの作品が展示されている。壁面展示がほとんどで、非常に大きな空間が、何もない状態で広がっている。

ホールの端のカウンターで僕は聞く。
「お姉さんはここが図書館だった頃に来たことってありますか?」
彼女は答える。
「ええ何回か、中学校の頃とか、夏休みに。すごく混んでたように覚えてます。図書館としては使いにくかった、ってここに配属されてから聞きました」

頷きながら、僕ががらんとしたホールを振り返ろうとする。その瞬間、ざーっという音が暴力的に後ろから襲う。その音の洪水の中、僕はほとんど何もない空間を振り返りながら、でもそこに、あふれる人を、確かに見た。

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音はちょうど警備の人が外溝を見回って帰ってきたために自動ドアが開いて、打ち付ける台風の雨音がホールに響いたものだった。でもその時僕は、それを図書館だったころの建築にあふれる人の音だと無意識に考えていた。今では図書館がそんなにうるさかったはずはないと思うのだけれど。

一瞬だけだったけれど、僕はそこにないものを見た。幻覚といえば幻覚だ。でも普段から幻覚をみたりするわけじゃない。どうしてそんなことが起こったのか。館内を見ている時、僕はがらんとしたエントランスホールを見て歩きながら、図書館だった頃の様子を想像していた。その想像は、僕のよく知る図書館を思い出しながらのものだったと思う。つまり記憶表象によって想像表象を補っていた。また図書館だった頃の写真も展示されていて、想像表象を補っていた。

そして図書館だった頃は混んでいたという職員の女性の言葉を受け、その想像表象は強化された。振り返ろうとした時に聞こえた雨の音が、図書館の喧騒のように聞こえ、きっかけを与える。その瞬間、振り返った僕の目に見えた知覚表象と、膨らんでいた想像表象が融合し、僕は目の前に見える空間を、人のあふれる空間として認知したのだ。

あれほどの融合は、その後まだ経験していない。建築を訪れる時、僕はそのあるべき姿を想像しようとしている。もしこう使われていたらどうだったろう、そう考える。目を閉じてみたり、空間内に人を配置してみたり。あるいは自分の設計を図面や模型で見るときもそうだ。知覚した図面を立ち上げ、空間に人を配置し、その賑わいを想像する。いくつかの理想的な建築の記憶が、その時役に立つこともある。

建築を「見る」、そのことだけであれば知覚表象で十分なのかもしれない。けれど建築を「感じる」ためには記憶表象に裏付けられた想像表象と、知覚表象が融合することが必要だと考える。その融合は別に幻覚にまでならなくていいのだけれど(あれはあの時だけの、奇跡だ)、少なくとも意識的に、それらの像を結びつけることが重要なのだ。

■復習

後日追記予定

(07:21)
*この記事は『言葉と建築』という信州大学大学院の授業の課題(お題と呼ばれています)に対する僕の回答を再録したものです。


■お題

さて今日の話はフォルム、形である。これはなかなか面倒くさいテーマである。だから講義内容を反芻することはしない。即お題である。「あなたは建築の形をヴェルフリン的に認識することができるか?」できる人はその経験を記せ。そうではない人はヒルデブラント的、シュマルゾウ的そのどれかの認識方法に則り自らの経験を記せ、800字とする。

『言葉と建築:2006年冬』「第五講お題」より引用

■僕の回答

2年前に行った宇都宮美術館でのリートフェルト展では、建築をウォークスルーの映像と、床に描かれた実物大の平面図で展示するという2つの試みがなされていた。どちらも実際に展示できない建築をどう体験させるかという目的で行われていたが、その効果はまったく異なっていた。

まずウォークスルー映像は、自分の筋肉を実際には動かさず、また映像が自分の意思とは異なって動くことで、逆にその映像を空間としてではなく、ただの動く絵として認識してしまうことに気付いた。これは映像があたかも鑑賞者の視点にカメラをセットしているにもかかわらず、実際にはカメラを動かしているのは鑑賞者ではないという矛盾から起こっている。同じ映像でもカメラを神の視点におけば、鑑賞者はその視点が自分のものではないことに気付き、空間内に想像上の別の視点を挿入することが可能になる。つまり一見分かりやすいウォークスルー映像よりも、神の視点の映像あるいは写真や図面の方が、鑑賞者の想像を限定しないという点で、空間認識が容易になる。

一方実物大の平面図の効果は顕著であった。床に壁の線が描かれ、一部に家具が置かれているだけという簡単なものだったが、実際に動いてみるとそこには壁が現われ、空間を感じることが出来た。また他の鑑賞者がその平面図上を動いているのを外から見るだけで、空間が立ち現れてくるように感じた。これは実際に筋肉を動かしつつ想像で壁を補ったこと、また他者の視点に自分の視点を重ね合わせたことを示している。

これらの体験から分かることは、建築の形はただ単に視覚の集積(動画)のみで理解されるのではなく、視覚の集積が実際または想像上で主体的になされる必要があるということである。

ヒルデブラントが形を空間の問題と捉え、事物を知覚する過程が実際の空間体験をなぞることによって行われると主張したことには賛同する。しかしヒルデブラントは建築の特異性を、「空間それ自体が、固有の形態という意味において、目にとっての効果的な形態となる」とした。それは上述の体験とは異なっている。したがって僕の体験はむしろシュマルゾウの認識方法に則っていることが分かる。つまり主体内部からの投影によって空間は想像することができ、実空間の認識すら、その投影を重ね合わせることで可能となっているのである。

この建築における形の認識は、主体の空間経験にその多くを負っている。したがって現代建築では経験的認識をずらすことで、形の認識を反転させようとする試みがなされる。例えば妹島和世の梅林の家では、部屋の境界に窓が開けられていて、それは通常の空間経験による認識では絵画のように見える。この錯覚は、境界を極端に薄い鉄板で構成するという建築的操作によって可能となっている。また青木淳が2002年に国立近代美術館で行った展示は、壁の厚みの中に空間をつくり、内と外、表と裏という認識を反転して見せた。形の認識がシュマルゾウ的な空間への主体の投影であるからこそ、こういった建築的操作が意義あるものになるのだと考える。

■復習

後日追記予定

(07:17)
*この記事は『言葉と建築』という信州大学大学院の授業の課題(お題と呼ばれています)に対する僕の回答を再録したものです。


■お題

さて、今日の話はフレキシビリティ。『言葉と建築』では柔軟性と訳したがどうもあまりいい訳ではなかったと反省。しかしそれに代わる言葉も見つからない。この内容の現代的意味で言えば、コールハースが使うredundancy(余剰、過剰)とか僕の言い方ではcapaciousness(包容力のあること)等の言葉の方が内容をを正確に言い当てている。
さてグロピウスが言うようにこの概念の登場とともに建築家の設計は単に竣工時の建築を設計するだけではなく、100年後の建築を設計するところまでその射程は延びてしまった。これは結構面倒くさいことである。100年後の建築など、いや社会など予言できない。自分の死んだ後のことまでどうやって責任をとれようか?しかし建築家はそれを期待されることになってしまった。そこで「あなたは100年建築をどういうコンセプトで設計するか」これが今日のお題である。800字以内で答えよ。

『言葉と建築:2006年冬』「第4講お題」より引用

■僕の回答

100年建築のコンセプトとして僕は「想像力をかきたてる建築」を挙げる。

まず、100年建築を柔軟性と関連付けることには違和感を覚える。建築は柔軟だから、100年建築になるわけではない。

建築の柔軟性に関して、「建築自体はまだ全然使えるのに、社会的機能を果たさなくなって取り壊されることが多い。だから柔軟な建築にしなければならない」という論議がある。確かに柔軟性を高めれば、一定の変化に対応することは可能だ。しかし、100年建築になるかどうかは別である。建築は「残す必要がない、残したくない」と思われたから取り壊されるのであって、その間接的な理由に柔軟性のなさがあったとしても、直接の理由は結局のところ残したいか残したくないかなのだ。残したいと思われれば、その建築が、その時点の要求に対していかに不自由であっても、工夫して残そうという努力がなされるだろう。

そうすると結論は、現時点で最良の建築を作り、残したいと思えるような愛される建築を、というのがコンセプトになるように思える。しかしこれもそれだけでは不十分である。

例として伊東豊雄による中野本町の家を挙げる。施主は伊東の姉であり、夫を亡くして娘2人と住む家が中野本町の家であった。娘たちが成長した時、中野本町の家は取り壊される。彼女たち3人にインタビューした本の中で、彼女たちはそれぞれ、こういった意味のことを述べている。「誰かに貸したり、増改築したりすることは想像もできなかった」と(*)。

つまり中野本町の家は、ある短いスパンの中で、使用者と建築が絶対的に結びついた幸せな例とも言えるし、同時に、それ以外の用途や使用者を想像さえさせない排他的なものでもあった。いくら愛されていても、その建築は使用者に新たな役割を想像させることはなかったのである。

従って100年建築は、使用者の想像力をかきたてるものでなければならない。この場所が住宅だったらどうだろう?もしここが美術館だったらどうだろう?そういった想像を育み、それが素敵だと思う人が多ければ、適切な方法で100年建築になっていくのである。

*後藤暢子・後藤幸子・後藤文子『中野本町の家』住まいの図書館出版局

■復習

後日追記予定

(07:15)
*この記事は『言葉と建築』という信州大学大学院の授業の課題(お題と呼ばれています)に対する僕の回答を再録したものです。


■お題

今日の話はデザインの言葉の意味の2重性。それは物であり概念であった。そしてその2重性は西洋哲学史に貫かれる、形式と質料、西洋美術史に流れる、線と色、そして学問の体系である自由学芸と熟練技術。この3つの他分野にわたる、しかし関連する項目の対概念を背負っているのである。そして再度この言葉を建築に引き戻して考えるなら、現在の建築教育において、このデザインの2重の意味は合体してこそ充実したものになるはずであるというのが本日の結論。
そこで今日のお題だが、この観念的に入り込むと800時程度の論考ではまとまるはずも無いのでやや稚拙な問いだが、こうしよう「あなたは線的な絵画と、色的な絵画のどちらを好むかその理由は何か、具体例をあげて答えよ、800字」

『言葉と建築:2006年冬』「第三講お題」より引用

■僕の回答

好きな絵を思い出してみる。すぐに思い出したのは去年ブリヂストン美術館で見たザオ・ウーキーである。世田谷美術館の難波田龍起も好きで何度も見に行った。どうやら僕はいわゆるアンフォルメルの絵画が好きみたいだ。でもここで問題が生じる。アンフォルメルは果たして線的か?色的か?

アンフォルメル(仏:informel)は文字通り「形ではない」ということを意味するが、形ではないことがすなわち色だということではない。アンフォルメルはキュビズムなどの幾何学的抽象表現に対抗して現れた表現であり、もちろん色彩主義的な側面も持っていたが、西洋絵画におけるコロリスト(色彩主義者)とは異なる。そして色的ということがすなわち色で表現するということではない。色的ということをどう捉えるか、それが重要である。

線的な絵画と色的な絵画のどちらが好きかという問いは、何をもって線的・色的と定義するかによる。僕はここでいささか唐突かつ乱暴だが、「線的:何を伝えるか」「色的:どう伝えるか」という定義をしたい。それは形態と素材ともいえるし、「言葉と建築」で述べられているデザインという言葉の2重性、すなわち実際に出来たものとドローイングということにもつながる。またアンフォルメルと同時期に起こった抽象表現主義が、アクションペインティングなどの手法を用いたことも、「どう伝えるか」ということに主眼を置いたものだと考えれば理解できる。

ではなぜ僕は色的絵画(どう伝えるかに主眼を置いた絵画)を好むのか。それは線的絵画の強さにある。

線、あるいは形態というものは非常に強い。その例として、絵画ではないが杉本博司の《建築》シリーズが挙げられる。20世紀の有名建築をアウトフォーカスでとったこのシリーズ写真は、テクスチャーを失った建築がそれでも強度をもって訴えかけることを示している。僕はその強い形態への反発を覚えるのである。形態そのものに反発するのではない。形態の強さへの無自覚さに対してである。

しかし建築をいくら素材から考えたとしても、建築は形態を持たずしては存在し得ないし、アンフォルメル絵画がいくら線を排除したとしても、そこには境界としての線が存在する。また鑑賞者は無意識のうちにアンフォルメル絵画の中に線的なものを探すだろう。つまりこれは始まったときから負け戦なのである。それでも僕はその形態の強さを無批判に受け入れるのではなく、それをどう伝えるかということに意識的であることを好む。負け戦に臨む姿勢をとりたい。形態を排除したいわけではない。その強さに自覚的になって、どう伝えるかということを考えたいのである。

アンフォルメルにおけるフォルムとは、「形態」であると同時に「形式」のことであり、形式化しつつあったそれまでの抽象絵画への反抗であった。建築においてポストモダンは形式化しつつあったモダニズムへの批判であったが、有効に機能したとはいいがたい。したがって建築においても、線的なものを批判し、色的なものを組み合わせていくことが、現在求められていると考える。それがたとえいつか自身が形式化し、批判されることになったとしても(確実にそうなると思うし、実際にそうなりかけているのだが)、その姿勢は必要である。

■復習

後日追記予定

(07:13)
*この記事は『言葉と建築』という信州大学大学院の授業の課題(お題と呼ばれています)に対する僕の回答を再録したものです。


■お題

今回のお話はコンテクスト。文脈であった。授業でも話したが、美しい街並み、或いは歴史的な街並みの中で建物を新築する時にはその街並みとの馴染みというものをいやがおうでも考える。それはまあ常識というものである。しかしそんな継承すべき、あるいは注目すべき街並みが無いような場所に建物を建てるときあなたはその場所をどう考えるか?
そこで質問。東京湾岸の埋立地、隣地の3方は原っぱ、一辺は海。海にはコンテナ船が行きかう。空は羽田飛行場に着陸する飛行機が轟音をたてて飛んでいる。100メートルくらい先には工場が見える。そんな場所に10階建てのマンションの設計をすると考えてみよう。あなたはこの状況から何をこの場所のコンテクストと考え建築の設計に反映させられるだろうか?コンテクストくそ食らえとコールハースのように言うのか?それとも何かを得ることができるのか?800字で答えて欲しい。

『言葉と建築:2006年冬』「第ニ講お題」より引用

■僕の回答

まず、埋立地にコンテクストは存在するか。ロジャースが言う、環境に先在する歴史としてのコンテクストを考えれば、埋立地にも歴史は確実に存在する。ただそれが建築家が「参照すべきと考えている」歴史ではないだけだ。コンテクストの抱える問題点はこの「参照すべき」という限定にある。

海を埋め立てる、埋立地にマンションを建てる、工場地帯だったところが住居になる、それらの一連の活動がコンテクストである。そこにはロウの言う形としてのコンテクストは存在しないように思える。しかしその場所にマンションを設計することで、コンテクストが付加されるし、ある意味では未来を限定することになる。

周りの原っぱにはこれから何が建つだろうかと考え、またこの地域をどういったものにしていくことが理想か考え、その未来図の中でのマンションを設計する。それがこの場所でコンテクストを参照し、設計に反映する、僕なりの考えである。それはある一種の恣意性をもって未来を誘導することである。

コールハースがFUCKと言ったのは、歴史的な街並みや自然などの周辺環境のみを問題とする狭義なコンテクスト観に対してではなかったか。また隈研吾が「負ける建築」で指摘した、「こういう理由でこうなりました」、というような受動的な姿勢がコンテクストの参照という行為を一種のポリティカルコレクトネスのようなつまらないものにしてしまったのではないか。都市の活動に対するコールハースの姿勢は、コンテクストを無視しているのではなく、挑戦的に再構築しようとする試みであり、隈が負ける建築と言っている彼自身の建築は決して「負けて」はいない。

恣意性を排除するのではなく、注意深くしかし大胆に、弱く見えてはいてもしたたかに、未来を見据えて設計することが、コンテクストを考えて設計することだと考える。

■復習

後日追記予定

(07:10)
*この記事は『言葉と建築』という信州大学大学院の授業の課題(お題と呼ばれています)に対する僕の回答を再録したものです。


■お題

君のこれまでの学びの舎である学校、小学校でも中学校でも、高校でもいいが、その建物の性格を描いて欲しい、授業では性格とは『用途、場、雰囲気、製作者の性格』などなどいろいろありました。それも思い出しながら、自分の学校の性格をインパクトのある言葉で皆に伝えてください。(字数は800字前後)

『言葉と建築:2006年冬』「自分の学校の性格」より引用

■僕の回答

「性格」という言葉から単純に連想して擬人化すれば、僕の通った中学校は、「押し付けがましい」性格をしていた。

僕が通っていたのは新設されてまだ間もない頃だったが、木々の揺れる中庭を囲んだ構成、円形ガラス張りの明るい図書館、教室前の廊下に設置されたベンチなどは、それまで通っていた古い小学校(南運動場、北側廊下という典型的な学校だった)とは大違いで、最初は建物の新しさもあって、わくわくさせられた。

けれどこの中庭も図書館もベンチも、次第に居心地の悪いものに思えてきた。どこにいても誰かに見られているような気がした。それらの美しい場所は、僕には学校パンフレットの写真のような、理想的な中学生像を押し付けられているように思えた。
僕らが学校で集まるのは、屋上に向かう階段の突き当たりだったり、体育館の2階のバルコニーだったり、およそ歓談の場所とは思えないところだった。そういった場所の方が、安心できた。それに薄暗い小学校の図書館の方が、僕は好きだった。

僕はそういう意味で、僕の中学校は押し付けがましかったと思う。設計者が意図したのかどうかは分からないけれど、「明るい学校・健やかな生徒」というような型に、僕らは無意識のうちに反抗していた。

一昨年帰省した時、久しぶりに中学校を通りかかった。まだ寒い2月のことだったが、僕の後輩たちは元気に中庭で遊び、語っていた。あれほど苦手だった廊下のベンチには、カップルや友人同士が仲良く座っていた。彼らの目には「押し付けがましい」建築はもういないだろう。

僕らが繊細で彼らが単純だとか、そういうことが言いたいわけではない。建築がその性格をこの10年ですっかり変えてしまったとも思わない。建築の性格は、その用途や設計者の意図を超え、利用者と建築との関係性の中に存在する。建築の性格について語ることは、その建築の性格をそう感じた「私」について語ることだ。感性に圧倒的な何かを伝えてくる建築もあるが、それにしてもその一部を観察者の自己の投影に負っている。

■復習

後日追記予定

(07:07)

2006年12月12日

資格試験いろいろ

僕は今3年生の授業を受けているのだけど、3年生の秋からといえば就職活動だ。

留年のことはもうどうしようもないので、とりあえず資格試験をいくつか受けてみた。

本当は宅建(宅地建物取引主任者)とかIC(インテリアコーディネーター)とかIP(インテリアプランナー)とかを受けようと思っていたのだけれど、宅建とICは締め切りを忘れてたし、IPはちょっと勉強時間が足りなさそうだったので諦めた。

他にキッチンスペシャリストを受けようという計画もあったのだけれど、認知度が低そうだなぁ、と迷っているうちにこれも締め切りをすぎてしまった。

■TOEIC

とりあえず9月にTOEICを受けた。英検は準1級を持ってるのだけれど(でもその実力はないと思う、高3の時にとったので)、就活といえばTOEICだから、何冊も参考書を買い込んで、夏休み後半のは2週間ほどみっちり勉強した。毎晩ジョナサンに通った。

おかげでTOEICはまず満足のいく点が取れた。

もしこれからTOEICを受けようという人がいたらアドバイスを。

1.語彙力がすべて。フレーズ集などで丸暗記すること。
2.英語を耳に慣らしておくこと。
3.模試形式の問題集で時間配分に慣れること。

■福祉住環境コーディネーター2級

他に何か受けようと考えて、締め切りに間に合うものを探して、福祉住環境コーディネーター2級を申し込んでいた。

就職活動に役立つかどうかは未知数だったのだけれど、建築がちょっと関係ある資格だし、福祉についても興味がないわけではないので、勉強は苦ではないのではと思っていた。

なのでテキストもいそいそと3冊買って(公式テキストは高価すぎた)、ばっちり勉強するつもりだった…

…のだけど。

受けようと思ったのが夏休み中で、10月から学校が始まり、全く勉強する気になれなかった。テキストは持ち歩いていたのだけど、第1章以外全く読めないまま、前日を迎えた。前日は前のバイト先の友人Tの引越し、あと妹島和世の講演会。どちらも行って、Tに焼肉おごってもらって、帰宅したら23時。非常にヤバイ。

試験日の11月26日(日)になってから三茶のジョナサンに向かう。三茶の昭和女子大で13時半から試験だったのでそれまで勉強する覚悟だった。新宿から世田谷までの夜のバイクは凍えた。

4時くらいに1時間ほど意識が飛んだものの、何とか2章を終わらせる。だがこの時点でもう10時。だんだん集中力もなくなり、12時には会場へ。会場でも集中できないまま3章4章は手付かずで試験開始。

前日の夜のバイク移動が響いたのか、鼻水出まくりの最悪なコンディションの中、常識力を働かせる。建築系の設問はない知識を総動員する。70点が合格点だったので数えてみると、自信のある設問は65点ほど。非常にまずい状態だった。見直してまた常識力を働かせて何問か直し、2時間の試験時間を40分ほど残した状態で鼻水がヤバイので終了。

帰宅して仮眠してユーキャンの解答速報で自己採点するとなんと96点。奇跡が起きた。どうやら今年は簡単だったらしい。ラッキーだった。

■カラーコーディネーター2級

良く分からないまま申し込んでいた。就職活動にはあまり役立ちそうもないけどテキスト自体は興味深かった。

でも勉強自体は例によって出来ないまま、試験当日、12月3日(日)になってから夜中のジョナサンへ。今度は新宿の靖国通り沿いジョナでまた昼まで勉強。僕は家で勉強できないのでよくジョナサンで勉強するのだ。

バウハウスの話や、ゲーテの色彩論などのところは興味深く読むが、色測定の話のところは途端に眠くなる。3章まで終わらせてタイムアップ、会場の文化女子大へ。

試験でラッキーだったのは建築分野からヴェンチューリとバラガンの2人が出題されていたこと。これで10点分稼ぐ。あと絶対出るとテキストに書いてあった自動配色は直前に見ていたため余裕。これで15点は確実だけれど、合格点は70点。

でも夜中に読んだことは意外と覚えていて、結構サクサク解けて、30分ほど余らせて退出。

帰宅してまたユーキャンで採点したら91点。良かった良かった。



以上が僕の就職活動で受けた資格試験(検定試験)である。
とりあえず年が明けたら簿記2級に挑戦するつもり。
別に資格ゲッターになりたいわけじゃないけど。だってお金かかるしね。

(22:43)
半年以上、日々の記録は書いてなかったのだけれど、何となく復活させてみる。

今日は明日からフランス旅行に行くFに借りていたメモリースティックを返して一緒に57号館のホワイエでCOOP-NOODLE(醤油味)を食べた。Fはとんこつ味に挑戦して失敗していた。

その後フラ語と環境設備製図。

設備製図についていつも思うのだけれど、この授業はどのくらい意味があるのだろう? 簡単な資料が配られ、さらりと説明が行われ、後はひたすら写す。みんな説明なんてほとんど聞いていなくて、貼り出される参考作品(去年のもの)を見て、写す。もう何回もやっていることだから慣れてきて、デジカメ持参で参考作品を撮り、それを見ながら写す。

僕はどうもこの作業に意味が見出せない。

描いていてところどころ分からないところがある。TAに聞きに行くと、「そういうものだから」との答え。先生に聞けばもう少しマシな答えが返ってくるけれど、それでも曖昧なままだ。

僕は意味の分からない線は引きたくないのだ。

と思いはするものの、自分で調べてみようとまでは思えないのは、やっぱダメなんだろうな。

帰宅、久しぶりにテレビを見る。課題がたまっている。

モノサシのお題は坂牛先生の住宅についての感想。

いくつか雑誌で見たことはあるから、感想を書くことは出来なくもないのだけれど、前回出しゃばってしまったので(ちょっと反省している)、書くかどうか迷う。

妹が体調が悪いらしい。大丈夫だとは言っていたけれど、なんだか相変わらず激務みたいなので心配だ。

(21:30)