2007年02月18日

あまりにもリアルな『非』日常

77186874.jpg日付が前後するが、2007'02/16 人生においてとても重要な話をした。



『世の中』について。



先ず、この日記を読んでくれているキミ。考えてみてほしい。

ボランティア』をどう思うだろうか?
漠然とし過ぎない様にある程度限定して、
『恵まれない人達を助ける事』
障害者でもいいし、病人でもいい。
僕らが話したのは『貧しい国の人達』の事だが。




その場には3人の人間が居た(内1人が俺)

1人は『偽善的で好きじゃない』本人も募金などは一切しない。

1人は『助けてあげたい』その為に自分の人生を使ってもいい。

1人は『自分に出来る事はしたい』全てを投げ打つ事はできない。でも無視するのも忍びない。









3つ目が俺。

個人的な見解だけども、同じ意見の人が圧倒的に多いと思う。



どっちつかず。




俺と同じ意見の人に聞きたい。
1つ目の意見をどう思うだろうか?
『ヒトデナシ』と軽蔑する?『確かに』と感じる?


2つ目はどうだろう?
『いい人ぶるなよ』と蔑む?『素晴らしい人だ』と讃える?



考えた上で、続きを読んでほしい。




1つ目の意見をだした人は、決して悪人ではない(毒舌ではあるが)。
募金するのが嫌な訳じゃない。
この人が言うには『じゃあナゼ毎日募金活動をしないのか?大地震があった時だけ募金を募るのはナゼ?心臓病の子供の為にはするのに、同じ心臓病のサラリーマンの為にはナゼしない?』



つまり、納得できない事はしない。



2つ目の意見を出した人は、純粋に善い心を持った人だ。
俺と同い年の人間だが、ずっと海外に住んで日本との国交を良くする為に生きている。
考えられない事だが、彼が言うには『ステップアップの為に自分と同じ事をしている人も居る』らしい。



しかし、納得したいから行動した。




何が正しくて、何が正義か、解る人は居るだろうか。




サッカー選手を夢見る貧しい国の少年にとって、
尊敬するスター選手から貰ったボールと、どこかの資産家が売名の為に持ってきた食べ物のどちらに価値があるのだろうか。





壱千の為に壱百を犠牲にする事は『正しい』のだろうか。




世界には、星の数よりたくさんの矛盾があって、考えても考えても答えは出ない。


どうして道路に線を引いて、お金を入れる機械をおいたら『駐車場』になるのか解らない。

お金を入れなければ『駐車違反』になる理由が解らない。

純粋な彼の気持ちが、政の一環『イメージアップ』とされてしまうのが理解できない。







あの日、自分の置かれている状況が恵まれている事を知った。

自分の生まれた国が裕福な事を実感した。






『ラッキーだった』と笑って過ごせばいいのか、
『恵まれているからこそ!!』と、行動を起こすべきなのか、

何一つ解らないままだけれど、



話の終わりに出た結論は













『考えても解らないね。
 解らないから、自分の思うようにするしかない。
 自分の周りに居る大切な人達だけは幸せに出来るように。
 自分が愛した人達だけでいい。
 ずっと笑えるように、各々が頑張ろう。               』




ただ、それだけだった。