……なんか意味深かつナーバスなタイトルになっちゃってますが、話題はハヤテです。こんな紛らわしいマネするから、ただでさえ長文のブログが余計に読みにくくなるのです。だれもしないであろう悪い例です。

 やはり千葉から大阪はあまりにも遠すぎました……あ、分かってらっしゃるとは思いますけど、USJとかじゃないですよ。take23さん主催のオフ会の話ね。そもそもオフ会というものに参加した経験のないワタシですが、今度機会をいただけたら是非に参加してみたいです。バイタリティーとセンスの溢れるハヤテブロガーの皆さんにお会いして、英気を養いたいです。

 ていうかtake23さんのカラオケの選曲にすごく興味が湧きましたよ。是非一度ご一緒したい。

 ……というわけで、どうも風車です。最近友人に誘われてソード・ワールドのTRPG(テーブルトークRPG)を始めてみました。何故か知らないけど1回のミッションが7時間近くかかったりします。いくらTRPGでもかかりすぎ。でも原因は主にワタシだったり(笑)。ちなみにワタシが作成したキャラクターの名前は、ハヤテの某登場人物から取っています。流石に咲夜嬢をもじったら他の仲間にバレバレなので、専属メイドさんの方から拝借しました。現在、パーティの前線に立つファイターとして活躍しています。


まあそれはさておき、とにかく1つ挙げておかねばならないことがある。こちらで紹介されていたフラッシュについてです。

「Como el viento racheado」さんの
ハヤテのごとく!キャラクター相関図・恋愛編

 ワタシは以前「ぷらずまだっしゅ」さんがまとめておられた相関図を見て「わお、こりゃいい」と思ってたんですが、こちらもまたすげえ。ていうか、マウスポインタを矢印にのせた瞬間に本当にびっくらこきました。もうあちらこちらで話題になっておりますが、本当にスゴイです。ワタシがどうしようもなく長い文章でやらかしていたことを、フラッシュ一発でハッキリと示してくださいました。
 さっきからスゴイとしか言ってないんですが、本当にそうとしか言い様のない出来なので……とにかくまだ見ていないという人は是非一度見ていただきたいです。
 しかもわざわざワタシの記事を参考にしてくだすったと、アリガタイお言葉をいただいてもいたのに、こうして反応を示すのがすげえ遅くなってしまった。ホントスイマセン。で、結果としてbosqueさんが第二段を発表しておられたということに今日気付きました。

 まあ自虐はともかく、このフラッシュを見つつ、この作品における情報の隔たりは広範囲で、しかも複雑に絡んでいることを再認識しました。というかどう絡んでくるか分からないから意識すべき情報の隔たりが結果として多いってだけかもしれないけど。それもハヤテの恋愛模様に関するだけでもこうなっているわけだから……。実際情報格差だなんだと言っていても、こうして具体的かつ全体的に捉える作業をしてこなかったワタシにとっては画期的なフラッシュでした。
 そしてこのフラッシュで何よりも興味深かったのが、咲夜嬢からハヤテへと出ている破線と疑問符。一つ目のフラッシュでは咲夜嬢がいなかったことを鑑みると、フラッシュを作られたbosqueさんも「咲夜嬢→ハヤテ」のベクトルには、多少疑問を持っておられる様子です。これには非常に共感できました。

 ちなみにワタシ個人としては、ハヤテと咲夜嬢が恋愛関係で繋がりを持つことはない、と考えてしまってもいいと思っているのですが……その辺も含めて、ハヤテと咲夜嬢との関係が変化しているのかどうか、特に咲夜嬢の誕生日における「お兄ちゃん発言」にスポットを当てて考えてみたくなりました。

「ハヤテのごとく!」考察的な何か
  〜咲夜嬢はハヤテの妹たりえるか〜

 咄嗟に考え付いたけど、すげえサブタイだな、これ。
 まずは単純明快に考えて見ましょう。そもそも咲夜嬢の誕生日におけるやり取りを考慮して考えるなら、彼女にとってハヤテは「お兄ちゃん」以上の存在ではない、ということになります。
 ところが、この世には「妹属性」とか「妹萌え」とかにも表象されるような「兄妹間の恋愛感情」という概念が既に存在しております。これを通して咲夜嬢の発言を見てしまうと、そこに少なからずハヤテに対する好意が見て取れるようになります。そもそも他人のことを兄として慕うというわけですから、そこに特別な感情がないとは考えにくいのも確か……
 ていうかそもそも、どうしてシ○プリよろしく兄妹(逆もありましょうが)間の恋愛というものが、ここまで熱く取り沙汰される現状に相成っているのか? という「お兄ちゃんに対する恋愛感情」というものがどういうもんなのか。その大前提から改めて考えていかないと、何故「咲夜嬢→ハヤテ」という恋愛ベクトルが「お兄ちゃん発言」によって強調されているような錯覚に陥ってしまうのか、その辺が分からなくなってしまう気がするんですよ。いや、そんな気になっているのはワタシだけかもしれんけど。


 これ以降、さしてエロゲーやギャルゲーに精通しているわけでもないワタシが、普通にお兄ちゃんだ妹だというネタをふんだんに取り入れて考察を進めていくので、違和感から不快感まで感じる方がいるかもしれません。とりあえずあらかじめ断っておきます。妹萌えとか、そういう考えに否定的な方には少しマズイ表現も多少あるやもしれませんので、そういった方は遠慮されることをお勧めします。


1:ヘーゲルっぽく妹萌えをまとめてみました。

 本来「お兄ちゃん」ということと「恋愛対象としての男性」という2つの要素は、互いにテーゼに対するアンチテーゼであり、二律背反の事象であると思われていました(というかワタシ自身かつてはそう思っていた)。しかしこれが弁証法的に止揚され「お兄ちゃんに対しての恋愛感情」として認められることが、ことマンガやゲームの分野では恋愛要素の1つとして様々な形で扱われるようになってきています。というか、最早ギャルゲー・エロゲーの定番要素となりつつある気もしますが。
 いうなれば「騎士とお姫様」という旧き良き宮廷恋愛物語を更に突き詰めた感じですかね。こっちでは恋愛と義務とが相反するわけですが。

 さて、改めて考えてみたい。つまり咲夜嬢がハヤテのことを兄と呼びたいと願ったのはどういう感情からか? ということを。この話が掲載されていた週のワタシのハヤテの感想では、どうしようもない暴走を記事上でのたまっていたので、1ヶ月以上経過した今、冷静に考えてみる。

 さっき挙げた「お兄ちゃん」と「恋愛対象としての男性」という2つの項目。なんぞシステムチックな描き方をしてみるとこういうことになりましょうか。


A「恋愛対象としての男性」⇔B「兄としての男性」
             ↓
            (止揚)
             ↓
   C「お兄ちゃんに対する恋愛感情という新機軸」

(A:テーゼ  B:アンチテーゼ  C:ジンテーゼ)


 ワタシ自身ヘーゲルをかじるどころかなぞった程度しか知りませんが、つまりこういう動きがあると思われます。
さて、ここでA〜Cまでを具体的に検証していきます。まず先にあるべきはテーゼとしてのA。つまり恋愛感情そのもの。一言で言うならば「本能」ぶっちゃけすぎてる気もするけど、まあとりあえず。
 これを否定するのがB。「兄として」というのは詰まるところ「倫理的禁忌」でしょう。言説としてこういう意味を取るということが端的に分かればいいというだけですんで、詳しい言及は避けますが。

 本能としてある男性(お兄ちゃん)が好きだ。しかし倫理的にそれが許されない。これがAとBが互いにせめぎあっている状況です。で、現実ならどう考えてもアンチテーゼの方が勝って兄妹間の恋愛を諦める、という選択肢になるでしょう。では逆にテーゼの方が勝る状況とはどういうことか? これはCにあたるお兄ちゃんへの恋愛感情とは全く違う次元に行き着くはずだと考えています。つまり「お兄ちゃん」ではなく完全に「男」として捉えるということ。逆に言うと倫理観というアンチテーゼそのものを吹っ飛ばしてしまうような状況です。はっきり言ってしまおう、これじゃあちっとも盛り上がらんじゃろ(笑)。

 だってこの手の話の場合、アンチテーゼとして立ちはだかる倫理観に苛まれて、それでもお兄ちゃんのことが好きで、もう一線を踏み越えてしまいそうな……ってところの葛藤に面白みがあるのであって、更に兄と妹が恋人として互いを意識するようなことがあっても、2人にとっては倫理的禁忌を犯しているという背徳感が(無意識下であろうと)少なからずあるわけで……でもだからこそ! というところに2人の共通の理念があって、結果お兄ちゃんに対しての、そして妹に対しての恋愛感情という新機軸が生み出されて来るんではないかい? と、少なくともワタシは思うのです。
 まあ、前述のような葛藤を当の2人(兄と妹)が感じているのか、あるいは読み手である我々が勝手にそういう考え方を通して覗いてしまっているのか、というところの差異はあるでしょうが。

 ……なんかすげえ話の内容がヤバゲですが、言いたいのはそういうこと。単純に倫理的禁忌を無視して恋愛感情だけが先行しちゃったら、それはただの恋人同士と殆どかわりません。そもそも兄と妹であるという必要性がなくなってしまう。つまりお兄ちゃんに対する恋愛感情を考えるとき、我々は「本能」としての恋愛感情だけでなく「倫理的禁忌」という本来なら抑止力になるべきものの力を借りることでこの考えを成立させていることを忘れてはなりません。テーゼとアンチテーゼのどちらかが優越するのではなく、絶妙な均衡とぶつかり合いの上に止揚されていくのでしょう。

 1つ例を挙げるなら、西尾維新の「きみとぼくの壊れた世界」に登場する櫃内兄妹でしょうか。この兄弟の描写は妹萌えのようなものではなく、むしろ兄貴が倫理や道徳にサヨナラして、妹の好意を男女の関係として受け入れていくという一面があります。少なくとも兄貴である様刻からの視点ではそういうことになるかと。
 しかし作中で様刻がそうしたように、倫理や道徳をかなぐり捨てるという行為自体が、それ以前に倫理的禁忌を意識していなければ不可能であり、アンチテーゼとして存在することに変わりはないだろう、とする考え方も出来なくはないでしょう。結果そういった状況に際し「禁じられた一線を現在進行形で踏み越えつつある」という秘匿されなければならない、露見してはいけない、特殊な感覚が生じてくるように思えます。これはある意味ジンテーゼとしての結実を見ているようにも思えますが、この作品の性質上、単純に恋愛感情としてだけ捉えるわけにはいかない部分も内包しているので、私としては微妙なところです。

 もう1つ、より極端な例として、
手塚治虫の「火の鳥(望郷編)」
におけるロミとカインを挙げておきます。もっともこの2人は兄妹ではなく母と息子ですが。この話では、自分たち以外誰もいない無人の星にたどり着いたロミが、夫を亡くした後も生きてゆくために、そして子孫を作るために自ら冷凍睡眠を行い、カインが大人になったときに目覚め、カインとの間に子をもうけて子孫を増やすという展開があります。
 普通なら許されない行いですが、この物語の舞台は地球じゃありません。そこで倫理観というアンチテーゼを脇に置いており、かつ、子孫を残さねばならない。自分の息子を無人の星で孤独に死なせるようなことをしたくない。という緊急的な要求に裏打ちされて、テーゼそのものが本来のものから大きく変質しています。アンチテーゼに対してテーゼが優越性を持つためには、こういう恋愛とはかけ離れた状況が必要になってしまいます。


 ……ってなんで妹萌えの話題だけでこんなん書いちまったんだ? 長すぎるのでいったん切ります。スイマセン。次回の記事では咲夜嬢をちゃんとピックアップしたいと思います。