どうも、風車です。先日、バイト先のシフト願いを提出しました。無論31日の昼間が空くようにして。これが聞き届けられなかったら、ワタシはここ半年間持ち続けていた、たった1つのモチベーションを失うことになるでしょう。だって冬のお祭りに行きたいんだいっ!! かなり見込み薄だけど……

 まあ、そんなわけで、前回の記事の続きからどうぞ……今回はちゃんと咲夜嬢にスポットが当たっている……はずです。

2:恋愛感情を内包した場合のお兄ちゃん発言

3:でもやっぱり兄貴は兄貴


2:恋愛感情を内包した場合のお兄ちゃん発言

 まあ、そういうわけで、ここまで考えるまでもないことだとは思うんですが、咲夜嬢の「お兄ちゃん」発言はそういった弁証法チックな恋愛感情とは全く無縁のものだろ、というのが今回のワタシの考え。てかそれ以前に、この一連のプロセスを考えた場合、咲夜嬢の発言はまるで流れが違います。
 何故って、上述の「お兄ちゃんへの恋愛感情」は、まず恋愛対象としての男性が存在しており、その対象が兄であるがゆえの倫理的禁忌の存在が大前提なわけです。
 咲夜嬢の発言をそのまんま取れば、まず兄に対して憧れを持つ感情の存在が第一です。で、そこにハヤテがいたもんだから、今度はハヤテを兄として慕うという展開が生まれます。

 つまりこういうことかと

 A「兄に対する憧れ」→B「ハヤテの存在」→C「ハヤテを兄と呼ぶこと」

 ここで咲夜嬢が兄を思うという行為は、あくまで演繹的な三段論法の出発点であり、弁証法の到達点(ジンテーゼ)ではありません。
 ただし、ここで問題になるのはAにおける「兄に対する憧れ」の詳細がいかなるものか、ということ。すなわち我々が咲夜嬢に対して抱いているのは、彼女がハヤテを単純に「お兄ちゃん」として見ていることなのか。あるいは兄に対する憧れという発言に「お兄ちゃんへの恋愛感情」という新機軸が既に取り込まれているのか、ということ。要するに単純な兄貴分への憧憬からくるものと、ジンテーゼとして登場してきた新機軸の兄への恋愛感情。この2つを明確に判別していかないと、咲夜嬢のハヤテに対する感情の真相を見抜くことは極めて困難だと思うんです。

 なんか表現がすごい抽象的ですが、今言っている「お兄ちゃんへの恋愛感情」という新機軸が取り込まれた上でのお兄ちゃん発言というのはつまり……

1)もともと「お兄ちゃん」と呼ぶ相手に対して少なからず好意を抱いている。
2)しかしながらそれを直接相手には公言しにくい(あるいはそういう状況にある)
3)かつ、相手は「お兄ちゃん」と呼んでも差し支えない程度には親しい間柄だという自覚がある。
4)その上で「お兄ちゃん」という呼称を実際に相手に発言することで、自分と相手との距離を縮めようとする。
5)これが了承された場合、結果として自分が相手を「お兄ちゃん」と呼ぶことそのものが、好意的な感情へと繋がる。


 賛否両論ありそうなプロセスですが、おおまかな流れはこういうものかと。

 本来「お兄ちゃんへの恋愛感情」というジンテーゼの形成のためには、妹の兄に対する好意だけでなく、それを受け入れようとする兄の姿勢が不可欠です。だからこそお互いに倫理的禁忌への背徳感に苛まれつつも、恋愛感情を深めていこうという方向に話をもっていけるわけで。
 一方、今相手にしているお兄ちゃん発言そのものは、単なる「発言」ですから相手の同意というよりは、自分自身のことが主体です。片思いでも両思いでも、この発言はそれぞれの状況においてそれなりの意味合いを持ちます。すなわち、自分と相手との距離を「兄妹」という形まで縮めるということ。
 ……と、ここまで考えると少し疑問に思うことが出てきます。こうした「お兄ちゃんへの恋愛感情」を含みにした発言というのは、そもそも「お兄ちゃん」と呼ぶ相手に対して好意を持っている上でのことです。では、仮に咲夜嬢がハヤテに対して好意を持っていたなら、何故このような手法でもってハヤテとの距離を縮めようとしたのか? 西沢さんのように、まんま相手に好意を告げるという手段に打って出たりしないのか?

 この根拠を求めるなら、咲夜嬢は上記の2番にあるように、直接ハヤテに対して好意を公言しにくい状況下にあるということになります。それが何なのかというのを結論付けるのはいろんな意味で非常に困難でしょうが……ここでは「ナギに対する遠慮」という仮説を立ててみます。

 ナギがハヤテのことを好きだというのを咲夜嬢が知っていようといまいと、ナギの執事に対して自分が好意を持ってしまうというのは、主であるナギ本人からすれば複雑なところがあるのではないか、という配慮の結果、自分のハヤテに対する好意をおおっぴらにするのは憚られる……というところが1つの根拠にはなるんじゃないかと。こと誕生日編でのナギとハヤテの会話を見るに、咲夜嬢がそこに何か差し挟むことはないだろう、と考えるのはごく自然だと思ったので。
 まあ、他にもいろいろ考えようは有ると思いますが、とにかく咲夜嬢はハヤテへの好意を直接的にあらわしにくい状況下で、婉曲的な好意表現として「お兄ちゃん発言」を利用した、という1つの仮説がとりあえず成り立ちます。


3:でもやっぱり兄貴は兄貴

 上述の理論を用いれば「咲夜嬢→ハヤテ」というベクトルも考えることはできますが、私としては上述のプロセスを用いてのベクトルの証明は、ラブコメの体裁を取っているハヤテという作品において非常に不自然な感覚を覚えざるをえません。なにしろ咲夜嬢に関しては恋愛感情にまで発展するようなハッキリとした描写は殆ど挙げることができないので。
 むしろこの「お兄ちゃん」発言は純粋に兄を慕い、憧れる感覚と、恋愛感情とまではいかない借金執事に対する好意との帰結からきたものであって、咲夜嬢にとってハヤテは兄として慕う存在でこそあれ、それ以上の感情を持つ相手ではない、と割り切ってしまった方が余程スッキリします。要するにこの時点でハヤテと咲夜嬢の間の距離感はほぼ確定されたと言っていいでしょう。もっとも、この発言によって距離感が近くなっていることを否定はできませんが。

 無論こちらの考え方とて、明確な根拠が出せるかというとそうでないというのは確かです。なにしろこれを考える上ではお兄ちゃんとして慕うということはどういうことか? ということを考え直す必要性すら感じられるからです。何故咲夜嬢は兄に憧れるのか。こと咲夜嬢にとって兄というのはどういうものなのか。そしてこれがハヤテにどう繋がるのか。これはもう想像するか、もしくは我々の持つ兄というものの考え方を出発点にして考えるほかはありません。ただ、仮にそこに背徳的な香りのする恋愛感情を抱かせる素地があるのなら、ワタシの考えは完膚なきまでに破壊され、お嬢のファンの一人としてコチラの方などと一緒に血の涙を流すことになりそうですが(笑)。

 ただ、作中の人間関係から咲夜嬢の立ち位置を捉えなおしたときに、この発言は面白い意味を持ちそうな気がします。Como el viento racheadoさんのところのフラッシュや、私自身の今までの見解とも関連するのですが、咲夜嬢は今まで雪路同様にハヤテの周囲を引っ掻き回す役柄として扱われてきました。こと1話完結のギャグ話では、咲夜も雪路もよくそういった役柄で登場します。基本的にはメインのメンバー達のいる空間に「外部から」何らかのトラブルを持ち込む存在なのです(ここでのトラブルというのは、何も悪影響とか否定的な意味合いのものだけではありません)。
 ところが、ハルさんや愛歌さんといった咲夜嬢と繋がりを持ちつつ、かつ白皇にいるキャラクターの登場が咲夜嬢の立ち位置を徐々に変化させていきます。こうしたキャラクターとのつながりが今後より取り沙汰されるのであれば、引っ掻き回し役としての、単純な完全な外部としての立場ではいられなくなりつつあります。

 そこにきて、今回話題にしている「お兄ちゃん」発言が、ある意味、咲夜嬢の立場を別な方面から固定化する役割となるのでは、というのがワタシの今回の考えです。
 今までの論旨から「お兄ちゃん発言」には、そこに恋愛感情を含みにするか否かで多少議論が分かれることは確かです。しかし、どちらの結論をとるにしても、この発言に伴ってハヤテと咲夜嬢との関係性や距離感が「兄⇔妹」というある程度一定のものに固定化させるという効果はそれなりに期待できるのではないでしょうか。友達以上恋人未満ってわけでもないですが。
 ヒナギクがハヤテのことを最終的に「ハヤテ君」と呼ぶことで、自分の彼に対する好意を具体化し、最終的なハヤテへの感情を決定付けたのと同様に、咲夜嬢は同じハヤテのことを「ハヤテ」ではなく「お兄ちゃん」と呼ぶことで、今まであやふやだった自分と彼との距離を具体化することに成功した……とみることはできないでしょうか?

 同じ引っ掻き回し役として活躍する雪路には、ハヤテ達に対して「大人」というハッキリしたステータスの違いが見えます。しかし咲夜嬢にはそれがなかった。当然ですが咲夜嬢は子供ですから。むしろその才色兼備な性格や属性についてはヒナギクにも親和性を感じます。しかし、ラブコメの渦中に入り込んでいるヒナギクやその他のヒロイン達から一歩引いたような位置に彼女はいる。それを表象するのがハヤテに対する「お兄ちゃん」発言なのではなかろうか。

 今後の咲夜嬢の登場如何によっては大きく変化するところではありますが、こういう意味で考えてみても、Como el viento racheadoさんのフラッシュにおける咲夜嬢のハヤテに向けられた破線矢印と疑問符は、大きな意味をもってるんじゃないか? と今回は考えてみた次第です。
 そして何よりも。ここまで長々と書き連ねていることを、フラッシュ一本で見せてくださるComo el viento racheadoさんが本当にスバラシイなと、書いてみて改めて痛感しました。

 そしてワタシはもっと文章を簡潔、明瞭、的確にすべきだ……サーセン。いろいろグダグダで……最後まで読んでくだすった方、本当にありがとうございます。