どうも風車です。ついに念願の初任給が入りました。さて、まずはDS版のハヤテを買わねばなるまい。そしてお嬢のルートを398回はクリアせねば。そして次に箱とアイマスを買って、やよいと“はい、たーっち”せねばなるまい。もち円周率にも触れてみたいけど。そしてハヤテとなのはのDVDをボックスでだな……

え? 洗濯機はどうしたって?

知 ら ね え よ

ここは士月さんリスペクトでミルコを出すべきだったろうか。とか思う今日この頃でした。
というわけで、今週末にやったこと、思ったことをつらつらと以下に書いてみる。


1:サンクリに初めて行ってきました……

 実は用事のあった場所が新宿付近だったもんだから、池袋まで電車にして30分足らず。そして普通にサンクリに参加できてしまったという日曜日の午後でした……この事実に気付くのがもっと早ければ……サンクリは初参加のワタシがお目当てにしていたのは、言うまでもな我等が会長take23さんが出されていた咲夜嬢本。そして2週間ぶりにtake23さんにお会いしつつ、念願の咲夜嬢本をゲットして参りました。

読んでみてボリュームたっぷりの中身にびっくり。
だって一冊全部咲夜嬢だよ!? すごいよ、すごすぎるよ!
月並みで申し訳ないがそんな言葉しか出てこない位、楽しく読ませていただきました。これを実現してくれたtake23さんには、本当にいくら感謝しても足りません。本当にお疲れ様でした! そしてありがとうございました!

ちなみに、ワタシの文章が同人誌という媒体に乗っかったのはこれが初めてでした。まさかの同人誌デビュー(え? 違う?)になろうとは、本当に人生って何が起こるか分かりませんなー。

テーブルトークRPGと物語〜リアリティはどこからくるのか〜
「tanabeebanatの日記」より
(関連:ヒナギクさんちの晩ごはん)(←「明日はきっと」経由)

 こういう記事に即座に反応できないあたりが、ネット環境のない辛さです。いや、ネット環境があってもこの遅筆に定評のある風車がすぐに記事を書き上げるとは思えないのも確かですが……


 しっかし、曲がりなりにもここ半年でソード・ワールドRPGのセッションを10回くらいやってた身としては、まさかハヤテでテーブルトークRPG(以下、TRPGと呼びます)を話題にされることがあろうとは思いもしなかったもんですから、ついつい反応しちゃいました。まあtanabeebanatさんが読んでいらしたという「ロードス島戦記」や、同じくソード・ワールドの世界観を舞台にした「魔法剣士リウイ」なんかは全然読んだこと無いんですけれども。
 それでも「へっぽこーず」のリプレイは全部読みました。アレは読み物としても普通に楽しいのでオススメです。てことでワタシのTRPG経験値はだいたいそんな程度、つまりソード・ワールドRPGに偏っているいうことを、一応最初に述べておきます。

 さて、これらの記事を読みつつ、昔1度だけ自分もTRPGに関する記事をハヤテ関連でちょろっと引っ張り出したことがあるのを思い出しました。そのときは「物語とはなんぞや?」という問いかけに対して、ゲームの理論ではこういう考えがあるって形で一例として出したに過ぎないんですが。とりあえずそのとき参考にしたサイトへのリンクを張ってみる。

「RPGと物語:物語とは何か」

 前掲の記事においてtanabeebanatさんは意図的に「物語」という言葉の使用を避けていたようですが、上記のリンク先にもあるように、ワタシはというと、TRPGにおいても物語というのは少なからず意味を持ってくる要素であると思うので、あまりこの単語を使うのは躊躇いません。
「物語というのは、出来事と出来事を因果関係をもって結びつけたものである」というのがワタシの持論です。とりあえずその意味においてのみ限定して使用すれば、tanabeebanatさんが危惧していたスーパーハイブリットシステムへの視点は避けられると思いますので、今後この考察において「物語」と称したときにはそのような解釈で読んでいただけるとありがたいです。

 というわけでようやっと本題に入るわけですが(前置き長すぎだな……)、そもそもTRPGとはどういうものなのか。Tはテーブルトーク、つまり机を囲んでみんなで語り合う、というゲームの形式を表していますが、では残るRPGは? とりあえずこの単語が「ロールプレイング・ゲーム」の略称だということはすぐ分かると思いますが、丁度ソード・ワールドRPGの完全版ルールブックが手元にあったので、そこから詳細を抜粋してみます。


“ロールプレイング”とは「役割を演じる」という意味です。ロールプレイング・ゲーム(RPG)はその名のとおり、ゲームに割り振られた「役割」を演じていくことで進行します。RPGに参加する人間は大きく2つに分けられます。一つは“ゲームマスター(以下GM)”、もう一つは“プレイヤー(以下PL)”です。(中略)GMを監督、PLを俳優とみなせば、映画や演劇を作る作業に似ています。
 しかし、映画や演劇とは大きく異なることがあります。それは、PLたちがシナリオを知らない、ということです。PLが知っているのは、自分が受け持つキャラクターだけですキャラクターの能力や特徴をもとに、PLは、キャラクターを行動させます。GMのシナリオには、キャラクターの台詞など、なに一つ用意されていないのです。

(以上、ソード・ワールドRPG完全版 P10より)


 てことで、難しくって説明しにくい部分は全てルールブックに頼って解決。それがマイ・ジャスティス(←オイ)。そもそもRPGは英語の「Role(=役割) Playing(=演じる) Game(=訳すまでも無い)」の略称なわけですから、当然といえば当然ですね。そして普通のRPGならばゲーム機やパソコンがやってくれるだろうシナリオの進行や戦闘の処理といった様々な事柄を、TRPGではGMが一手に引き受けます(これを俗に「マスタリング」と呼びます)。
 だからGMとPLの間では、常に会話が行われ、それによってキャラクター達の行動を決定していきます。更に実際に行動する上でそれが上手くいくかどうか、といった通常のゲームにおける乱数や確立部分を、主にサイコロの出目によって処理していきます。

 つまり、何も剣と魔法のファンタジーだけがRPGなわけではないのです。ことTRPGにおいては、PLがキャラクターの役割を演じる形式のゲームは総じて広義におけるRPGとなるわけですね。だからTRPGにはファンタジーに限らず現代モノや軍隊モノ、更に学園モノやホラー、時代劇モノまでいろいろなジャンルのものがあるそうな。つまりはロールプレイできればよし、と。だからぶっちゃけた話、ハヤテのようなギャルゲ的なTRPGというのも、作れないことはないと思うんですよ(笑)。まあ、実際にあったとしたら相当特殊な類には間違いないでしょうが……

 さて、そんなことを考えながらtanabeebanatさんの仰るようなハヤテとTRPGの共通点、あるいは逆に相違点をいろいろ考えてみると……


1:サイの目の解釈〜偶然をどう認めていくか〜

 特にソード・ワールドにおいては、何か行動を起こす際に必ずと言っていいほどサイコロを振ります。たいていは普通の6面ダイスを2個使用し、出目の合計である2〜12の値を利用して乱数や行動の成否を決定するのです。ただし、出目が1ゾロ、つまり合計で2の値をとった場合には、どんな行動も絶対に失敗するようになっています。逆に6ゾロ、つまり12の値を出すと、いかなる行動も絶対に成功します。これは、どんな素人でもものの弾みで成功する可能性があるのと同様に、どんな達人でも何かの理由で失敗する可能性がある、という極めて現実的に偶然の要素を取り込んだ結果、生じたルールのようです。

 ここで問題になるのは、これらの自動成功・自動失敗のようなゲーム的要素を、物語においてどのように説明をつけていくかということ。前述したように、物語には必ず因果関係が存在します。そして、マンガや小説をはじめとする、全ての創作物において、偶然というのは嫌われます。バトルもののマンガでボス級の敵を「偶然」「ものの弾みで」「なんかいいところに攻撃が入って」倒したなんて話、普通は聞きません。これがゲームだったら「クリティカル」とか「会心の一撃」とか言うだけでカッコがつくんですがね。ワタシも以前セッションで、ボスクラスの強敵モンスターをクリティカルの連続で一撃で倒してしまい、苦戦するだろうというGMの意図を見事に裏切ったことがありました。

 これら偶然の要素を読者にとって納得のいく形で因果関係を示していくことができないと、よく言われる「予定調和」だの「ご都合主義」という言葉が聞かれるようになるわけですね。それを防ぐには事前にこれらに対する伏線の用意が必要です。しかし作劇において常識であるこれらの行為を、ゲーム的な偶然に対して適用するということは「何が起こるかわからない」というTRPGの最大の醍醐味と少なからぬ矛盾をきたすように、ワタシは思います。


2:ルールブックとキャラクターシート

 今までの説明を見ると、TRPGというのは柔軟性と発展性に富んだゲームで、縛りが少ないように感じます。これは半分正解ですが、半分間違いだというのがワタシの考えです。
 実際普通のゲームでは絶対ありえないような行動の選択肢でも、PLが提案してGMが了解してくれれば、採用されることがあります。しかしその一方で、好き勝手にPLがゲームバランスを崩す行為をしないよう、事細かなルールがTRPGでは定められています。例えば戦闘においてキャラクターは10秒を1単位として行動することになり、その10秒間でどのような行動が取れるか、2つの行動を10秒で同時に起こせるかについてなど細かく制限されています。なのでGMだけでなくPLもルールブックを所持しながらでないとゲームをスムーズに進行できません。
 更にキャラクターシートという用紙には、PL自身が考えたキャラクターのステータスや職業・技能、生まれや身体的特徴・外見に至るまで、キャラクターに関する様々なことが書かれており、PLはそれに基づいてロールプレイを行います。

 こういった事細かな設定・制限の数々は、ハヤテにおけるカレンダー的にキッチリ決められた時間経過に基づく出来事・ストーリーの管理や、単行本の巻末におけるキャラクターのプロフィールにも通じるものがあるように感じます。こうした綿密な設定に基づいて、畑先生はこの作品のロールプレイを行っているのかもしれません。

 あるいはハヤテにおける時間経過に基づくイベントの発生は、キャンペーンシナリオにおける、GMのシナリオ選択にも似ているかもしれません。セッションのシナリオによっては、活躍できるキャラクターが限定される場合があります。例えば街を舞台にしたアドベンチャーの場合、戦闘要員である戦士や神官といったキャラは殆ど自分の持ち味を発揮できない反面、普段戦闘で活躍することの少ないシーフが情報収集の面であちこち動き回ることになります。また、それとは別に「今まで目立たなかったこのキャラに今回は頑張ってもらおう」とGMが判断すれば、おそらくそのキャラの周辺で事件が発生するようなシナリオを組むことになるはずです。また、複数のシナリオを用意して、パーティの現状に最も見合ったものを選択していくような手法もありうるでしょう。

 ただし、この場合も物語として通用させるには、キャンペーン全体を通しての大きな流れの中で因果関係をはっきりさせる必要性は当然出てくるでしょう。とはいえ、これは然程大きな縛りではないと思います。


3:ロールプレイとキャラクタープレイ

 最初に述べたロールプレイは言わずもがな、キャラクターの役割を演じることに他なりません。一方キャラクタープレイというのは、キャラクターそのものになりきって役者のごとく演じきることを指すようです。最初に言っておくと、TRPGではロールプレイは必要でも、キャラクタープレイは絶対必要というわけではありません。ただ、中には動かしているキャラクターと一心同体というカンジで、トランス入ったように演じる方もいらっしゃるようですし、そういったプレイを目的としたタイプのTRPGもあるようです。では具体的にこの2つがどう違うのか、ハヤテを例に挙げて考えてみます。

 例えば「綾崎ハヤテ」というキャラクターをロールプレイする場合、必要なのは彼の「役割」更に言えば彼の「肩書き」です。すなわち

・主人公
・借金持ち
・執事
・身体能力高し
・不幸
・天然ジゴロ

 といった要素を踏まえたうえで、PLはこのキャラクターを動かします。そしてなるべくこれらの要素と合致するような行動を選択し、また判断していくことになるわけです。しっかし見れば見るほどガープス(これもTRPG)でCPをマイナス修正にするような要素ばかりだ……
 注意してほしいのは、ここにはキャラクターの「性格」や「信条」「趣向」といった抽象的な要素は入っていない、ということ。逆に言うと、キャラクタープレイというのは、今回除外されている上述の「性格」をはじめとした全ての要素を取り入れて、自分なりにキャラクターを演技することを指します。

 とあるTRPGにおいてキャラクターを「戦士」にしたとします。そして一般的に戦士の仕事はダンジョンで第一線で戦うこと。仲間を守ることにあります。更に腕っ節に自慢があり、直情的で正義感の強い印象を受けます。となると、恐らくダンジョンに入った戦士は、自らすすんでパーティの先頭に立ち、仲間を誘導するでしょう。あるいは逆にキケンな最後尾の警備を買って出るかもしれません。PLが戦士をロールプレイするのであれば、その辺のことを踏まえていけば自然とそれっぽくなっていくはずです。同様の理由で、魔法使いや賢者はパーティの頭脳かつリーダー的な役割に。神官は物腰が低く、シーフは交渉事に長けているというような特徴を持たせることができるでしょう。つまりロールプレイにおける「役割を演じる」とは、本来職業や技能をパーティ内で活かすための立ち回り方をする、というところにあるのです。

 ではPLが先の戦士キャラクターを作ったときに「こいつは戦士だが実は臆病者だ」という設定をキャラクターシートに書き込んでいたらどうなるでしょう。おそらく戦士であっても自分から先頭や最後尾に立とうとはしないはず。きっと周囲から「お前それでも戦士か!」と言われて渋々先頭に立つ姿が用意に想像できます。この行為はむしろキャラクタープレイに相当するでしょう。すなわちキャラクタープレイとは、PLが自身の解釈をもってそのキャラクターの行動の幅を広げていくこと、と定義できるでしょう。

 ただし、いきすぎたキャラクタープレイはその土台であるロールプレイや、他のPLとの協調性を壊す可能性があります。先の例では戦士が渋々でもパーティの意向に従ったからよかったものの、もしもPLがキャラクタープレイを優先させて「俺は先頭には立たない!」と言い続けたらどうなるでしょう。PL同士のケンカが始まるか、あるいは臆病なくせに戦闘時には普通に戦う奇妙な戦士という、明らかにPLの自己満足にしかならないキャラクターが誕生してしまうかもしれません。

 要はTRPGではロールプレイを侵害しない適度なキャラクタープレイが大切なわけです。このRPGの根幹を成す暗黙の設定を、ギャグマンガでもある「ハヤテのごとく!」にどれだけ適用できるかは、正直微妙なところでしょう。「それはお前のキャラじゃないだろ」というギャグ的な行動は果たしてTRPG的に通用するのか。また、tanabeebanatさんが仰るような個々のキャラクターの利己的な行動は、行き過ぎたキャラクタープレイとなって、ロールプレイを壊すことはないか。この作品ならギャグやパロディとして許されることでも、TRPG的にはご遠慮願いたいような行為となってしまうかもしれません……


4:TRPGにトゥルーエンドはない

 最後に1つ。恐らくtanabeebanatさんの検証に真っ向から対立する考えを上げておきます。それは「ことファンタジー系のTRPGにおいて、原則としてゲームクリアというものは存在しない」ということです。あるとすれば、一つ一つのセッションをクリアしたという区切りだけでしょう。

 例えばソード・ワールドにおいてはキャラクター達は腕利きの冒険者として名を馳せることを目的にして活動します。しかしTRPGという遊びは、GMがシナリオを提供し続ける限りずっと遊び続けることができるのです。また、もう十分にそのキャラクターで遊びつくしたというのなら、今度はキャラクターを一新して、更に違う町で1から冒険を始めることもできます。また、GMによっては、かつてPL達が使っていたキャラクターを、今度はNPCとして新たなキャラクター達の前に登場させたりすることもあるでしょう。

 そう、1つの物語が終わりを迎えたら、新たな物語を始めることができる。これはTRPGが通常のRPGと一線を画す要素です。そして、もしも「ハヤテのごとく!」がTRPGに親和性を持つのであれば、この際限ない物語の連続をスーパーハイブリットシステムとして捉えるところにあるのではないでしょうか。
 ライフセーバーズに登場していたキャラクターをハヤテにおいて同級生の一人としてモブキャラで登場させたりなど、畑先生のキャラクターの使用のしかたや、物語の連続的な展開のさせかたには、そういった際限のないTRPG的な要素が見え隠れしているようにも思えます。つまりマクロなシナリオ展開という視点で捉えれば、ハヤテにおけるスーパーハイブリットシステムは、TRPGと共通点を持っているといえるかもしれません。

 しかし一方でこの考え方は、トゥルーエンドというこの作品の大きな区切りを否定する考え方です。けれど考え方を変えればこのトゥルーエンドというのは、GMである畑先生が「ここまでシナリオを用意してるよ」というポイントであって、作品世界のキャラクター達にとっては、恐らくその後も変わらぬ日々が続いていくはず。となればやはりこの作品におけるトゥルーエンドはゲームオーバーではないのです。まあ、これはハヤテに限った話ではないでしょうが、ことハヤテではそれが顕著なものにワタシは思います。


まとめ
 久しぶりにあり得ない長さでワケわからんことをイロイロ書いちゃいました。最後まで読まれた方には感謝の言葉もありません。恐らくTRPGにおける汎用性と発展性のあるマクロ的なシステム部分に関してならば、ハヤテとの親和性を感じられるのでは、というのが今回の結論です。
 なおゲームと現実的な要素とのジレンマというのは、通常の創作物だけでなく、TRPGにおいてもよく見られるのでセッション中にGMといろいろ議論したりもするのですが……まあ、そのへんの「リアリティ」については、また今度の機会に譲りたいと思います。とりあえず寝かせてください(←自分で書いといて何を)


※BGM※
「STYRISH QUEEN」(たかはし智秋)

最近、経理関係の資料でこんな文字を見かける。ローマ字で「JPY」とあるのだ。普通なら「Japanese Yen」の英名略称だと思うだろう。しかしワタシは真っ先に「ジューシー ポーリー イェイ!」だと思った。……分かる人だけ分かってくれ。多分この曲の収録されているCD聞けばイヤでも分かると思うけど。こんなワタシですが、現在簿記3級目指して勉強中です。