レッドヒルズゴルフ倶楽部のクラブハウスは、早朝の光を浴びて静かに佇んでいた。支配人の白鳥は、窓からコースを見下ろし、深く息を吐き出した。彼の視線の先では、キャディたちが忙しそうに準備を進めている。
「50組か…」
白鳥は呟いた。レッドヒルズは、40名のキャディとパート、研修生を駆使し、なんとか50組のキャディ付きプレーに対応できる体制を整えた。近隣のゴルフ場が軒並みセルフプレーを導入する中、キャディ付きにこだわるのは、レッドヒルズの矜持だった。
「安価なプレー料金も悪くない。だが、接待や競技志向の客には、キャディ付きが基本だ」
白鳥は、クラブの経営戦略を思い描いていた。周辺のゴルフ場との差別化。そのためには、キャディ付きプレーを主流とし、ステータスを確立する必要がある。しかし、50名のキャディを抱えることは、年間1億6千万円の人件費を意味した。
「プレー収入だけで利益を上げるなら、セルフプレーが最適解だろう。だが…」
白鳥は、メンバーの年会費、入会金、名義変更料に目を向けた。これらの収入は、ほぼ原価がかからず、ゴルフ場にとって重要な財源となる。レッドヒルズの年会費は5万円、入会金は200万円、法人内の名義変更料は100万円。700名のメンバーがいれば、年会費だけで3500万円、年間50名の新規入会者があれば、入会金は1億円に達する。さらに、名義変更料も年間2000万円を見込める。
「これらの収入だけで、1億4千万円…」
白鳥は、小さく笑った。周辺のゴルフ場が安価なプレー料金で客数を競う中、レッドヒルズは質の高いサービスと会員制度で、安定した収益を確保する。
「ファーストクラスの客を集めるか、エコノミークラスの客を集めるか…」
白鳥は、ゴルフ場の経営戦略を、航空会社のクラス分けに例えた。薄利多売のゴルフ場は、コースの荒廃、待ち時間の増加、客層の悪化を招く。化粧品やタオルが盗まれるのは日常茶飯事で、脱衣所の乱雑さは客層を如実に物語る。
「もちろん、全てのお客がそうだとは言わない。だが、マナーの悪い客が増えるのは、パブリック系のゴルフ場に多い現象だ」
白鳥は、フェローシップ委員会の機能不全、クラブ競技の減少が、クラブステータスの低下を招くと考えていた。
「魚網の目を細かくして、鯖も秋刀魚も鰯も獲ろうとする。そうではなく、鰹やハマチ以上の魚を獲りたい」
白鳥は、常々そう語っていた。現在のゴルフ場は買い手市場であり、過剰な値引き合戦が繰り広げられている。大手外資企業の買収も相次ぎ、利益至上主義が蔓延している。
「底引き網漁船のように、安価なプレー料金で客を掻き集めても、日本人の気質には合わない。いずれ、翳りが見えるだろう」
白鳥は、純平に持論を語った。
「ゴルフは、金持ちが始めた醍醐味のあるスポーツだ。だから、決して廃れることはない。しかし、日本人の気質に合わないゴルフ場は、必ず飽きられる」
白鳥は、会員や顧客のニーズを取り入れ、ゴルフ場のあるべき姿を確立することの重要性を説いた。時には、顧客や会員を教育することも必要だと。
慣れない経営学や帝王学に悪戦苦闘する純平は、社長の柳沢美和の抜擢に応えようと、白鳥の教えを熱心にノートに書き留めていた。
コースでは、コブシやモクレンの蕾が膨らみ、開花の時を待っている。純平の胸には、女帝・美和に仕える戦士としての決意と、妻・佳奈の笑顔が交錯していた。
「仕事に充実感を覚えているのは、確かだ」
純平は、小さく呟いた。
(続く)