ダダダダンス!!な生活 in San Francisco

ブログタイトル、「CA留学生活」から変更しました。南カリフォルニアの大学をダンス科で卒業して、今はサンフランシスコに在住。 ベトナム系アメリカ人の旦那と犬一匹と暮らしながら、ダンサーをしています。 ダンスを通して自分の探求、表現の探求をしている「優」が、経験したこと、感じたこと、新しい発見したこと、などなど記録する場所です♪ よろしくでーす。

奇跡

今年になって、すこし地に足がついてきたみたい。


正直日々分からないことだらけ。
どんな時にも不器用な自分を見つめている。

日々たくさんの出来事が起きて、たくさんの感情が生まれるけど、
大きな筒の様に、流れてくる物、自分から発せられるもの、否定せず、溜め込まず、流れる様に存在させるだけ。

そして、自分のワクワクする気持ちや情熱が滞りなく表現し行動できる様に、すっきりした状態でいたい。


少しずつ、人ともまっすぐに向き合える様になってきた。




踊りもあれから馬鹿みたいに平凡な私で踊っている。スペシャルじゃない私で。
だけど、前より自分の本質に近づけているから、安心する。





私はマジシャンになりたいんだ。
たくさんの奇跡を起こせる人。

踊りでも、ジャイロでも、教えでも、自分が自分の本質に繋がっているから、人に気づきを与えられる。
人の人生を変えられる奇跡。

でもそれは、みんなを喜ばそうと一生懸命だからじゃなくて、
私がすべてをエンジョイしてるからなんだ。



この頃、ゴールよりもそこまでの過程が人生なのかなと思うようになった。
筒の様に何にも執着せずに生きたいと思ったって、悲しい事があればそれに支配されてしまう時だってあるし、人に言われた事をずっと気にしてしまう事だってある。
すべてをエンジョイしたいと思ったって、頭でっかちになって批判する時もある。

それでも、そういうのが人間だから、
今を拒絶しないで「それでいいよ」と言ってあげる。

だから泣きたい時は泣いて、
落ち込む時は落ち込んで、
笑いたい時は笑う。

ジェットコースターに乗ってるみたいに。




そういうのが人生なのかなーって思った。
おばあちゃんに聞いてみよう。笑








そんなこの頃、私に起きた小さな奇跡。

最近ロルフィングに初めて行ったんだ。
ロルファーの人が、後頭部の筋膜を時間をかけて伸ばしたりしながら、頭の座っている位置を修正してくれたんだけど、

何かが発散されたようで家に帰ったら何時間も眠りに落ちて、頭が温かくて、なんかなんか凄かったー!

数日かけて体が調節してるみたい。私の頭じゃ理解できない事が起こっている!


私の人生が少し変わった、奇跡。






春のコンサートの動画

ちょっと遅いけど。笑
2013を振り返る意味も込めて載せます。

2013

ああなんて久しぶりでしょう、ブログを書くのは。

今年と言う年は、特別な年だった。
書いていない間に、色々な事があった。

どれも劇的な出来事じゃない。
だけど、考えさせられる出来事ばかりだった。



ジャイロトニックでは、スタジオで正式に教えだす事が出来た今年。
本当に未熟だから、たくさん出来ない事分からない事があった。
だけどスタジオが大きい分、来る仕事が私の身には重く感じるようなものも多く、失敗したと感じる経験が毎日の様に続いた。

私ジャイロで一体何したいんだろう?何のためにやっているんだろう?
って考えてばかり。

やりがいも見失ってしまったりした。

でも今逃げたら、ジャイロの事何も理解しないまま終わってしまう。出来ない事は言い訳にならない。辞めるなら、出来る様になって理解してから辞めればいい。
そう思って休日なしで教えた。


今は耐え時だからと思って、自分にムチをうって前へ前へ進もうとしたから学んだ事は一杯あるけど、
足を止めて自分と向き合う時間を作らなかったせいで、だんだんと身体と心がギクシャクしてきてしまった。

今年怪我も多かったのはそのせいだとも思ってる。




面白いように、踊りは人生を反映するんだなこりゃ。

5月頃、踊りでスランプに落入った時繰り返し問い続けていたのは、「なぜ踊る?」だった。
それは自分は人に何かを与えられる、価値のある人間なのか分からなかったから。

ジャイロの教えも、出来ない事だらけの中で、自分の価値を問い続けていた。





ダンスでも、ジャイロでも、結局の所同じ答えだったんだけどね。。。





私は特別でも天才でも何でもない。
人よりも特別だと信じたい自分がいたんだと思う。

ずっと人の前で踊って来たから。
人に魅せる人=他人より素晴らしい人じゃないといけないって無意識に思って来たんだと思う。
しかし!現実は、未熟で不完全で平凡な自分しかいない。



6月のショーで、それでも表現する事は自分にとっては必要な事だと理解した。生きるために必要だと分かっことは大きかった。




休む間もなく夏はジャイロの仕事がどっと増えた。
先生と言う立場だから、たくさんの人の前に一気にさらされて、先生としての質を品定めされている事を感じる毎日にとても疲れた。


何も特別ではない自分だけど、自分が大切だと思う事や信じる事を人に伝わる様に表現するのが仕事だと思っている。だけど、そんなこと周りにとってはどうでもいいんじゃないか。無難に周りと同じ様に教えていた方が、批判されないんじゃないか。と疑心暗鬼になって、人が私をどう捉えるかばかり考えてしまう。



11月のRompという作品では、
身体と心のチグハグ具合マックスだったし、日々の焦りで地に足がついてない状態だった。

その頃には、自分を過小評価する癖がついていたし、世の中を疑心に満ちた目で見る様になってしまっていたと思う。




苦しいけど、相変わらずムチを打って前に進むフリをしていた私を、
またベンが救ってくれた。


ベンとサラとスコットの前で、やっと本音をこぼす事が出来たのはコンサート3日目本番前。



本当にやっと、自分でも認めた本音。


「もう頑張るの疲れた。。。。。」涙ボロボロ。。。。




意欲を失ったら終わりだと思って、後ろ向きになる事を自分で許さなかった。
だけど本当は休む事、弱音を吐く事、もうやりたくないと口に出す事、そう言う事を正直にする事が自分の魂にとって必要な時もある。
自分だけのために時間を使って、弱った所を暖めて、吐き出すものを吐き出していってリセットをする事が大事なんだね。





その日のコンサートのソロで、
本当はこんなもやもやじゃなく、余裕を持って踊りたかったのに、結局もやもやしかない事を認めるしかなかった。

正直残念だった。自分がこんなにちっぽけなのかと。


しかししょうがない。今の自分はちっぽけだから。



そう思っていたら涙流れてきて、「こんだけっきゃない。これ以上の自分にはなれない!」と踊ったよ。




今までで一番平凡で正直な踊りだったかもしれない。
なんだかスッキリしたのかしてないのか微妙な気持ちになった。
なんとなーく、今一番必要だったことを学んだ気もした。


ベンが優おめでとうと言っていた。




クリスマスがあって、やっと休みが出来ました。

速攻で熱でました。笑


でも熱が引いて、久しぶりに身体と心がマッチしてきた感じ。瞑想も出来るし。

来年は、また一杯怖い事緊張する事あると思う。
でも目標は、自分の気持ちにもっと寄り添って行く事かな。無理してムチ打たず、自分のストレスや怖れに向き合いたい。地に足つけて。



さ、1月2日からまたパフォーマンスです。新年早々ドキドキです。

写真はRompから↓
romp5
romp
romp3
romp4
romp solo

終わったー

コンサート、魔法のような時間でした!

もう何と言葉にしたらいいか分からないくらい、素晴らしい4日間になりました。

levydance






















初日はLEVYdanceの10周年のパーティーなどがあったり、DJが入ったり、お祭りモードですごく華やかだった。
始まる前からたくさんの人が手伝いに来ていて、みんなの愛のこもった舞台だと実感した。



自分に深く向き合う事を知って、人の前に出てさらけ出す事が怖くなったけど、
今日はその恐怖とも向き合いたいと思って来た。

古い習慣を捨てて、新しいドアを開けたい!



本番前緊張していたし、怖かったけど、
外に出てみたら通り中にとても暖かいエネルギーが満ちあふれていた。

満員どころか立ち見のお客さんまで、みんなわくわくしながら待っている。

カンパニーを昔から愛してサポートして来た人達もたくさんいる中、
とてもやさしい気持ちで見守ってくれているのが空気を通して伝わってくる。

levydance7





















舞台横に立ったとき、今まで怖がっていたのがバカらしくなるくらいに、真剣に向き合ってくれているお客さん達に気づいて目が潤んだ。




私だけでなく、カンパニーの4人全員がたくさんの壁を乗り越えてここまで来て、その一歩一歩をみんなで歩いて来たんだ。

この一年の総決算であるこの舞台には特別な思いがある。





4人それぞれ考え方も感じ方も違うから、ぶつかり合いや摩擦もたくさんあった。
それでもお互いから逃げず、人のせいにせず、自分自身と向き合うのと同じくらい向き合って来た。


levydance4



















だから今は、踊りながらお互いと繋がっていられる。
身体と身体の境界線がなくなって、まるで一つのアメーバの様に相手と自分を同時に感じる事が出来る。
何かがいつも通り行かなくても、互いを頼り合い助け合い信頼している。


その関係はスムーズな道のりじゃなかったけど、
大きな愛がそこにはあるんだ。


levydance3





















4日間のパフォーマンスでは、一回一回が全く違う踊りになった。

身体がエネルギーに溢れている時も、体調が悪い時も、床が濡れて滑る時も、力んでしまった時も、楽しかった時も、ムカついた時も、


どんな時でもノーは言わない。

すべてを受け入れすべてにイエスを言う、そんな踊りが出来たと思う。

だから、今振り返ってもどの回がよかったとか判断つけられない。
でもそれでいいんだと思っている。



levydance2





























終わった後にお客さんと顔を合わせると、みんな目をキラキラさせて口々に言ってくれた。


「ありがとう」って。




それを聞いて正直ビックリした。





私達が馬鹿みたいに正直にこだわって、表現を探求し自分自身と向き合った事で、
見ている人の中で何かが変わった事を知った瞬間だった。



そして感謝してくれたんだ。




たくさん悩んだけれど、「ほら、やっぱり意味があったよ!」って表現を怖がっている自分にたっぷり聞いてもらった。



levydance6



















そして、新聞やインターネットで批評が載った。
SF Chronicleから↓

"That willingness to take risks whether physical or emotional, whether it's a big vision for the company's future or diving off the end of a stage, is what defines Levydance."
舞台上での感情的そして身体的なリスク、カンパニーのこれからのビジョン、舞台の端からいつ落ちてもおかしくない状況、どれをとっても「リスクを怖れない」と言うがLEVYdanceらしい。


Dance Commentaryから↓
"As I continued to watch the four performers (Marlowe, Vickers, Yu Kondo Reigen and Sarah Dionne Woods) cycle through Levy’s choreography, I realized that this wasn’t just about relationships, it was a brilliant essay on affection. Neither sentimental, farcical, angsty nor derivative, “That Four Letter Word…” was real, honest truth. "
4人のダンサーが代わる代わる踊るのを見ている内に、"That Four Letter Word..."という作品は愛情を描いた素晴らしいエッセイだと気がついた。感傷的でもわざとらしい茶番でもなく、リアルで誠実な真実に沿った作品だった。

Here is an intensely talented group of artists with deep respect for their work and for each other.
深い尊重心を作品に対してもお互いに対しても持つ、才能あふれるアーティストのグループ。





すごい!やって来た事が、目に見える様になって人に伝わっている!








いよいよ!

今日から本番です。

2013 outdoor 3





















スタジオの外には素晴らしいステージと照明が設置された。
たくさんの人の力で今日に繋がる事が出来たこの舞台に、誠実に向き合いたい。



ここ三日間夜中までステージ上でリハーサル。
少しずつ、身体に住む声をそのまま発散させてあげるだけという表現方法が理解できて来た。
それが出来た時は、何も考えなくても動きが勝手に出てくる。
身体に記憶されている色んな感情が代わる代わる出て来て、それを楽しみながらただ自分は見守っているという感じ。

だけどその状態に毎回行けるかと言うと、まだまだ不安定です。



今日の本番でそこに身を置く事が出来るかと言うと正直分からない。
でもそれでもいいかなとも思っている。
それはそれで、今起こっている事に間違いない。




昨日のドレスリハーサルで、パフォーマンスを意識して力んだ。
今までのパフォーマンスは、そうやって力んでガンバって見せてきた。

何も飾らない自分じゃ充分じゃないような気がして、人に見てもらうに値するには頑張らないと行けないと言う観念がある。


だけどベンは、昨日のドレスリーハーサルよりも、
その前に自分の身体に飾りなく向き合って楽に踊ってた時の方が、地に足が着いて存在も大きかったと言っていた。


人が前に居ても、あるがままでいい。
あるがままがいい。


そういう踊りを今日はします。

2013 outdoor 2

2013 outdoor









真実

本番まであと一週間。
今回のホームシーズンはスタジオの外の道に特設ステージを建てた、アウトドアコンサート。
映像は2008年のアウトドアコンサートの時の。




本番が近いのに、踊っても踊っても何の意味のない空っぽの踊りしか出来ない。
踊る時は生きている感覚があるはずが、踊れば踊る程中身が死んでいく。

ベンも一体どうしたの!?という感じで、何とか前に進ませようと試行錯誤させてくれるけど、
何を聞いてもさっぱり意味が分からない。

何も感じない。



あれだけやっていた瞑想や、身体との向き合う時間も、出来ない。
内からの拒絶がものすごくて立ち止まる事が出来ない。
どんどんと身体との距離が開いていく。




そんな状態が数週間続いています。


そうして、何とか投げ出さずにリハーサルに取り組むために身体ばかり酷使して使いまくり、
その上極度の不安からリハーサルから帰ってもスタミナのために走りまくり更に身体を酷使して、

結局足を痛めました。
歩くのがやっとの程のアキレス腱炎症。


それでも身体と心の声を無視し続けて、今度はリハーサル中に首と背中を痛めてしまった。
2時間もその後起き上がるのにかかって、その後2日は立っているのがやっと。




昨日、それでも無理して空っぽな踊りを踊ろうとする私に、
ベンがミーティングの時間を作ってくれた。



リハーサル後ベンのオフィスで向かい合って座って、

「今何が優の中で起こってる?」

と聞くベン。



「今暗闇の中に居る感じ。」




もう何もわからない。。こんな事やりたくない。。。。
で、ダム決壊。
自分の中が空っぽなのが悲しくて虚しくて、涙がぼろぼろ出た。


ベ「そしたら、その感覚を全身に行き渡らせて僕に伝えて。」


感覚が全身に伝わると同時に、内側からストップがかかる。


「内側で何かがノーって言ってる。シェアしたくない!」


べ「じゃあそのノーに全身預けてみて。」


身体を預けると、涙があふれる溢れる。怖くて怖くて身体が震えて、まるで小さな子供の様に泣き続けた。
その間ベンはそのノーの正体を探るため、色んな質問をしてきたんだけど、
一番の発見になった質問が「なんで自分の内側を人にシェアする事がノーなのか?」


それは、
内側をされけ出したらそれは解き放たれて私から旅立ってしまう。そしたら私は空っぽになって、死んでしまう。


死ぬのが怖いからさらけ出せない。



死ぬ事が怖くてしょうがない私は背中に住んでいて、今度はそれに身を任せた瞬間に背中の痛みが急激に増してきた。

動かない首と背中の筋肉が収縮して体中に痛みが広がっていく。
それを動かし続け、手足が痺れて頭がぐらぐらになってもベンは手を重ねて一緒に経験してくれた。


そして何かが楽になってもう一つの声が沸き上がってきた。



「死ぬのが怖くてさらけ出せないなら、生きている意味などない。」






後々考えて分かってこと。



自分の中身を包み隠さず表現する時って、ある意味その部分の自分を自由にしてあげる事、解き放つ事なんだよね。
解き放った瞬間、それは私の身体を離れていってしまう。
それって死ぬのと似ているね。

でも解き放たれた後って言うのは無ではなくて、また新しい自分が生まれている「生」もある。

そう考えると、自分の真実を人とシェアすると言うのは生まれ変わる事と似ている。

自分にとっては、その行為というのは時に「生きるか死ぬか」の重みを持っているんだという事に気づいた。





それから、それが出来なきゃ生きている意味などないと言った自分から、そんな生き方しか出来ない人間なんだと気づかされた。

私にとって生きていて一番大事な事は、自分の中の真実を生きる事。

何か嘘が入った瞬間に、魂が死んでいくのが分かる。

結局の所、生か死かになっちゃうね。

自分の不器用さにびっくりしちゃう。




その後のミーティングのほとんどの時間は、怖くてしょうがない自分の一部との対話に費やされた。
もう無視しないで、向き合う時間。
言いたい事すべて伝えてもらって、欲しいものも言ってもらった。


私からの母のような愛が欲しいと言われたので、
これから絶対に見捨てない、無視しない、ずっと労っていくよと約束した。


だから、表現する時にさらけ出す事が怖くてしょうがないかもしれないけど、そう言う時でも一緒について来てくれるか聞いてみた。


迷いはあったけど、ずっと協力的になった。





絶対に見捨てないという約束通り、今日一日リハーサルでも片時も離れなかった。

そうやっていると恐れの部分だけじゃなくて、身体の中にはたくさんの声が響いているみたいな気がした。色んな声が身体の細胞一つ一つから聞こえてくるような感じ。

もしや私っていう存在はたくさんの存在の集合体なのかな?

今まで調子こいて全部無視してた。踊りをする上でわがままで自分勝手だった。
これからこの声達と一緒に進んでいく事を忘れたくない。


やっとスタートラインに立てたから、明日またリハーサルでもっと声が聞こえる様になろう。









ちょっと光

今日みんなでLEVYstudioの大掃除した!

全部きれーになった後、ポールと二人で捨てられそうになってたホールケーキをつついて食べたんだけど、どうせ捨てられるんだから食べたい所だけ食べちゃおう!って事で
ケーキめちゃめちゃにしながら好き放題食べました。

楽しくて面白くて爆笑しながら。笑


食べたいだけ食べた後、ケーキさんはゴミ箱へ消えました。もう古かったので。
無駄にしてごめんよ、ケーキ。

後の事を考えずに、やりたい事をやりたい様にやってしまうって気持ちいいね。
子供に戻ってくだらない事するのって楽しいね。

きちんと綺麗に行儀よく、じゃなく
思うがままにってのもたまにはいい。




そんな「思うがまま」と関係してるかなって出来事。

この間のリハーサルで、
ベンに踊りに嘘が見えるよ!そんな踊り見たくないよ。って言われた。



ベンは私がスランプ中なのを分かってるし、私の気持ちも痛い程よく分かってくれている。だからこそ、甘えるなと叱ってくれる。


その時私は、踊る事が苦痛で、そんな自分が悲しくて、踊る理由が分からないのに踊らなきゃいけないのが嫌だけど、逃げないでそこにいるだけで必死だった。



そしたら、頑張って何とか踊っているだけじゃ駄目だと言われた。
踊りの中で、今の自分の真実に向き合う事が出来ないと、完璧を装っているダンサーにしかならない。
混乱しているなら混乱を。絶望しているなら絶望を。あるがまま向き合いなさいって。




そんな事言われたって、どうやってあるがままを表現すればいいの?
決められた振りがあって、それを今逃げないで踊っているだけで精一杯だって言うのに。

私は、頭を使って一生懸命考えたけど、答えは出ない。
そう言えば、踊る理由だって頭を使って一生懸命考えても答えが出ないな。



もう分からない。
考えても分からない。



もういいや。
次通して踊る時は、もう「どうするべきか」は諦めよう。

その代わり、この機会を通して
身体に身を任せて思う存分発散したいものを発散させてあげよう。




ベンにじゃあもう一回やってみよう、と言われて踊った時は
もう何も考えていなかった。

ベンが言った事もすべて忘れて、これからどうなるかも忘れて、身体にもうすべて預けた。


身体さん好き勝手やってくれたまえ。




動き始めは身体が動いているだけ。
特に何の変化もない。

でも途中から猛然と、身体からエネルギーが溢れてきて、
動き一つ一つを使って身体が何か叫んでいる感覚。



まるで頭から解放された身体が、やっと思う存分言いたい事言えたって感じ。





なんだ私が頭で考えすぎてて、身体の邪魔してただけだった。と気づいた。

踊る理由なんて、私が頭で理解してなくたって
身体が知っている。

どうやってありのままを表現するかなんて、頭で考えなくても身体がすべて知っている。




動きはめちゃめちゃになった所はたくさんあったけど、この時のほうがずっと正直だった。





ベンは、今の通しで何か変わったの分かる!?と言った。
先週「私が踊るのを見る事に、人が意味を見出せると思えない」と言ったんだけど、
「今の通しは、僕にとって意味のある踊りだった」と涙を浮かべて言ってくれた。




それから、人が見てても同じ様に柔軟に表現するための練習もたくさんした。

お客さんに罵倒されたら?興味持たれなかったら?会場がうるさかったら?

その環境を無視するんじゃなくて、影響されている自分の変化に寄り添うように踊れるか?

どんな環境でも縮こまらずに、今の自分を誠実にパワフルに表現できるか?



その日公開リハーサルもあったんだけど、

ゲストが座ってワイン飲んでる目の前でWarm-upしながら、お客さんのエネルギーとも、それに影響される自分のエネルギーとも向き合って踊る事を教えられました。




その日の発見は目から鱗。
20年踊ってて初めて、お客さんと本当に向き合う事を学びました。


作品の一部を見てもらったゲストの方達の感想を聞いたり、
質問し合ったり、とても勉強になった。
そんなディスカッションの模様。
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ゲストの方の感想、受け取り方を、真剣に聞いている私。

変な頭で。笑





少しだけ光が見えてきた、今日この頃。
うまくいく事だけじゃないけれど、少なくとも身体と心が繋がってきたから嬉しい。





究極の問い

久々ですな。
久々だと何から書いていいのやら。最後の投稿から色んな変化があったよー。

今までにないチャレンジが一杯で、毎日迷いながら何とかやってます。


とりあえず最近の事を書こうかな。またダンスの事だけど。笑


この間Bay Area Dance Weekと言うイベントの一部で少し踊らせてもらったんだ。
LEVYdanceの他にもベイエリアのカンパニーがいくつも出てて、1グループ10分弱の持ち時間でたくさんのグループが見れるイベント。

2013-04-25-16-06-05_deco


こんなかっちょいいアートギャラリーですごい楽しいイベントだったんだけど、その日踊ったのをきっかけにちょっとしたスランプというか、混乱状態に陥ってしまって今迷走中




このカンパニーに入って、どんな時も自分を包み隠さず表現する事を大事にやってきている。

動きの一つ一つにも理由があるし、動きが起こる物理的もしくは感情的理由が明確に表現できなければ何度でもそれを理解できるように探求していく。


もうそれは、本当に緻密で時間を要する作業だ。


それだけじゃない。

踊りの途中で出来なくてイラついた瞬間があったなら、その感情をそのまま動きで発散し、
「うわー今のは中途半端な動きだった!」とか自分で分析した瞬間があったなら、その「うわー!」を動きで出すというフレキシブルさ。
その時その時の正直な心持ち「うっしょーい!」も「くそ!」も「。。。」も「あららら」も「♪」も何でもフルに発散する。それが例え、「分からないよ。。。」や「もうこんな事やって居られない」だとしても、全身でそれを表す。


こんな風に自分と言う人間をオープンにするとなると、
何も隠せない。嫌な所もずるい所も弱い所も全部全部さらけ出されてしまう。



ここの所、自分がどんどん素直に表現できるようになってきた矢先、
このイベントのパフォーマンスですごく怖くなってしまったみたい。





踊る前に突然思ったんだ。


「こんなにさらけ出して、見せ物になった所で何になる?」

「見る人の心に届かせたいなんて、この人達は何も受け取らなくたって十分生きて行けるよ。」

「なんの為に踊っているんだろう?」



終わった後他のグループも全部見てて、
どんどん混乱して行った。


何グループも見ていたら、みんな共通して舞台に上がる時「パフォーマーである自分」を身に付けている。まるで舞台に上がる私達は特別で、「見るに値する者」ですよって言ってるみたい。



LEVYが大好きなのは、誰よりも人間らしい踊りである所。人間のすべてを祝福する踊りである所。何も隠さない所。その誠実さと潔さが「人間」という枠を最終的に超えた何かを生む事。




分かっているのに、そんな価値観はみんなが持っているわけじゃないし、
別の価値観の人から見たらバカらしい事。

きっと伝わらない。

もし、見ている人が何の経験もしないならば、私はそれでも続ける事に価値を見出せる?




誰に伝わらなくても、自分の情熱がそういう生き方しかさせないからここまでやってきたのは分かっている。


だけど、もう一度その情熱に繋がりたい。




なんで私は踊るんだろう?










究極の問いです。
私にとって何で生きてんの?と同じ位究極。
これに答えられずにダンスを続けて行く事は不可能。もし踊る価値が見出だせない日が来たなら、潔く辞めます。
とても大事な問だから、日常的に確認してるよ。

今の時点で答えは見失い中とは言っても、次のコンサートは来月。
無駄にする時間は一時もない。

「分からない」逃げ道にせず、言い訳にせず、リハーサルの時間は真っ白になって取り組みます。


なんか。。。

カナダのバンクーバーで、

2013-02-15-22-18-36_deco



かわいい人見つけちゃった

無題

選択肢はいつだってある。
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