今日みんなでLEVYstudioの大掃除した!
全部きれーになった後、ポールと二人で捨てられそうになってたホールケーキをつついて食べたんだけど、どうせ捨てられるんだから食べたい所だけ食べちゃおう!って事で
ケーキめちゃめちゃにしながら好き放題食べました。
楽しくて面白くて爆笑しながら。笑
食べたいだけ食べた後、ケーキさんはゴミ箱へ消えました。もう古かったので。
無駄にしてごめんよ、ケーキ。
後の事を考えずに、やりたい事をやりたい様にやってしまうって気持ちいいね。
子供に戻ってくだらない事するのって楽しいね。
きちんと綺麗に行儀よく、じゃなく
思うがままにってのもたまにはいい。
そんな「思うがまま」と関係してるかなって出来事。
この間のリハーサルで、
ベンに踊りに嘘が見えるよ!そんな踊り見たくないよ。って言われた。
ベンは私がスランプ中なのを分かってるし、私の気持ちも痛い程よく分かってくれている。だからこそ、甘えるなと叱ってくれる。
その時私は、踊る事が苦痛で、そんな自分が悲しくて、踊る理由が分からないのに踊らなきゃいけないのが嫌だけど、逃げないでそこにいるだけで必死だった。
そしたら、頑張って何とか踊っているだけじゃ駄目だと言われた。
踊りの中で、今の自分の真実に向き合う事が出来ないと、完璧を装っているダンサーにしかならない。
混乱しているなら混乱を。絶望しているなら絶望を。あるがまま向き合いなさいって。
そんな事言われたって、どうやってあるがままを表現すればいいの?
決められた振りがあって、それを今逃げないで踊っているだけで精一杯だって言うのに。
私は、頭を使って一生懸命考えたけど、答えは出ない。
そう言えば、踊る理由だって頭を使って一生懸命考えても答えが出ないな。
もう分からない。
考えても分からない。
もういいや。
次通して踊る時は、もう「どうするべきか」は諦めよう。
その代わり、この機会を通して
身体に身を任せて思う存分発散したいものを発散させてあげよう。
ベンにじゃあもう一回やってみよう、と言われて踊った時は
もう何も考えていなかった。
ベンが言った事もすべて忘れて、これからどうなるかも忘れて、身体にもうすべて預けた。
身体さん好き勝手やってくれたまえ。
動き始めは身体が動いているだけ。
特に何の変化もない。
でも途中から猛然と、身体からエネルギーが溢れてきて、
動き一つ一つを使って身体が何か叫んでいる感覚。
まるで頭から解放された身体が、やっと思う存分言いたい事言えたって感じ。
なんだ私が頭で考えすぎてて、身体の邪魔してただけだった。と気づいた。
踊る理由なんて、私が頭で理解してなくたって
身体が知っている。
どうやってありのままを表現するかなんて、頭で考えなくても身体がすべて知っている。
動きはめちゃめちゃになった所はたくさんあったけど、この時のほうがずっと正直だった。
ベンは、今の通しで何か変わったの分かる!?と言った。
先週「私が踊るのを見る事に、人が意味を見出せると思えない」と言ったんだけど、
「今の通しは、僕にとって意味のある踊りだった」と涙を浮かべて言ってくれた。
それから、人が見てても同じ様に柔軟に表現するための練習もたくさんした。
お客さんに罵倒されたら?興味持たれなかったら?会場がうるさかったら?
その環境を無視するんじゃなくて、影響されている自分の変化に寄り添うように踊れるか?
どんな環境でも縮こまらずに、今の自分を誠実にパワフルに表現できるか?
その日公開リハーサルもあったんだけど、
ゲストが座ってワイン飲んでる目の前でWarm-upしながら、お客さんのエネルギーとも、それに影響される自分のエネルギーとも向き合って踊る事を教えられました。
その日の発見は目から鱗。
20年踊ってて初めて、お客さんと本当に向き合う事を学びました。
作品の一部を見てもらったゲストの方達の感想を聞いたり、
質問し合ったり、とても勉強になった。
そんなディスカッションの模様。
ゲストの方の感想、受け取り方を、真剣に聞いている私。
変な頭で。笑
少しだけ光が見えてきた、今日この頃。
うまくいく事だけじゃないけれど、少なくとも身体と心が繋がってきたから嬉しい。
全部きれーになった後、ポールと二人で捨てられそうになってたホールケーキをつついて食べたんだけど、どうせ捨てられるんだから食べたい所だけ食べちゃおう!って事で
ケーキめちゃめちゃにしながら好き放題食べました。
楽しくて面白くて爆笑しながら。笑
食べたいだけ食べた後、ケーキさんはゴミ箱へ消えました。もう古かったので。
無駄にしてごめんよ、ケーキ。
後の事を考えずに、やりたい事をやりたい様にやってしまうって気持ちいいね。
子供に戻ってくだらない事するのって楽しいね。
きちんと綺麗に行儀よく、じゃなく
思うがままにってのもたまにはいい。
そんな「思うがまま」と関係してるかなって出来事。
この間のリハーサルで、
ベンに踊りに嘘が見えるよ!そんな踊り見たくないよ。って言われた。
ベンは私がスランプ中なのを分かってるし、私の気持ちも痛い程よく分かってくれている。だからこそ、甘えるなと叱ってくれる。
その時私は、踊る事が苦痛で、そんな自分が悲しくて、踊る理由が分からないのに踊らなきゃいけないのが嫌だけど、逃げないでそこにいるだけで必死だった。
そしたら、頑張って何とか踊っているだけじゃ駄目だと言われた。
踊りの中で、今の自分の真実に向き合う事が出来ないと、完璧を装っているダンサーにしかならない。
混乱しているなら混乱を。絶望しているなら絶望を。あるがまま向き合いなさいって。
そんな事言われたって、どうやってあるがままを表現すればいいの?
決められた振りがあって、それを今逃げないで踊っているだけで精一杯だって言うのに。
私は、頭を使って一生懸命考えたけど、答えは出ない。
そう言えば、踊る理由だって頭を使って一生懸命考えても答えが出ないな。
もう分からない。
考えても分からない。
もういいや。
次通して踊る時は、もう「どうするべきか」は諦めよう。
その代わり、この機会を通して
身体に身を任せて思う存分発散したいものを発散させてあげよう。
ベンにじゃあもう一回やってみよう、と言われて踊った時は
もう何も考えていなかった。
ベンが言った事もすべて忘れて、これからどうなるかも忘れて、身体にもうすべて預けた。
身体さん好き勝手やってくれたまえ。
動き始めは身体が動いているだけ。
特に何の変化もない。
でも途中から猛然と、身体からエネルギーが溢れてきて、
動き一つ一つを使って身体が何か叫んでいる感覚。
まるで頭から解放された身体が、やっと思う存分言いたい事言えたって感じ。
なんだ私が頭で考えすぎてて、身体の邪魔してただけだった。と気づいた。
踊る理由なんて、私が頭で理解してなくたって
身体が知っている。
どうやってありのままを表現するかなんて、頭で考えなくても身体がすべて知っている。
動きはめちゃめちゃになった所はたくさんあったけど、この時のほうがずっと正直だった。
ベンは、今の通しで何か変わったの分かる!?と言った。
先週「私が踊るのを見る事に、人が意味を見出せると思えない」と言ったんだけど、
「今の通しは、僕にとって意味のある踊りだった」と涙を浮かべて言ってくれた。
それから、人が見てても同じ様に柔軟に表現するための練習もたくさんした。
お客さんに罵倒されたら?興味持たれなかったら?会場がうるさかったら?
その環境を無視するんじゃなくて、影響されている自分の変化に寄り添うように踊れるか?
どんな環境でも縮こまらずに、今の自分を誠実にパワフルに表現できるか?
その日公開リハーサルもあったんだけど、
ゲストが座ってワイン飲んでる目の前でWarm-upしながら、お客さんのエネルギーとも、それに影響される自分のエネルギーとも向き合って踊る事を教えられました。
その日の発見は目から鱗。
20年踊ってて初めて、お客さんと本当に向き合う事を学びました。
作品の一部を見てもらったゲストの方達の感想を聞いたり、
質問し合ったり、とても勉強になった。
そんなディスカッションの模様。
ゲストの方の感想、受け取り方を、真剣に聞いている私。
変な頭で。笑
少しだけ光が見えてきた、今日この頃。
うまくいく事だけじゃないけれど、少なくとも身体と心が繋がってきたから嬉しい。