激しいダートを越えて・・・
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雪の降る中パトロール


志河川ダムを通っていく。



この楠窪地区、住んでるのは何軒だろう・・・・


バス停はあって、バスは1日2便くらい通っているようだけど

住んでるのは、数軒のみ。


台風の影響で、道も壊れていた。


「ダムができたら、奥の集落は亡くなる」


と言っていた河辺村のおじいさんの言葉がよみがえった。


集落が終わってダートに変わったら、

道は以前より荒れていた。




き・・・きゃ・・・・きゃえろうや((( ;゚Д゚)))




と言うも、マミーが「隧道まで行こや ( ゚д゚)ノ」

と言うので行くことに。




  とめてくれーヽ(`Д´)ノ





ぼっこんぼっこん上下に揺られながら進む・・・


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あら、思ったより早く現れた。


戸石隧道  昭和6年


場所はここ

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うぉっちず


このトンネルを抜けた「戸石」という集落は今は廃村。


しかし家はかなり残っている。




関西の穴人たちもやってきた。あほー(゚▽゚)


地元の人も、まず来ません。


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廃村側からの坑口。

岩をくりぬいたといった感じ。



今の道路状況からいうと不思議なのだが、

ここを境に、戸石集落は、旧千足山村に属していた。

犬のこまちがいる、県道142号沿いの集落と同じ千足山村。


国道からこの隧道あたりまでは、旧桜樹村



この隧道がない時代は、なんと?ここで村が分かれていた。


今は廃村となった戸石集落にも学校があった。

明治42年に、部落の人の願いにより分教場が建てられたのだ。

よほど学問熱心な部落だったに違いない。




しかし、やがて廃校を迎えることになり、この戸石隧道より向こうの楠窪校に委託されることになった。

山を越えて千足山村小学校へ通うのは遠すぎたのだろう。

まだ車道はないが、楠窪校の方が近かった。


住民は学校がなくなることに、断固として反対!


千足山村は、必ず、楠窪へ行く車道を開通することを条件として、戸石分教場を廃止したのだ。


アルプ日記参考。それは「千足山村誌考」参考)


その結果生まれたのが、この戸石隧道。



戸石集落に分校がなくなることを条件として造られた隧道であった。



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台風の大雨で土が流されたのか、路面がボコボコだった。

全部岩!



そういえば、この隧道の上に、「岩勝」という集落があった。

まさに岩。


岩勝までは桜樹村だった。


うぉっちずにある、影無集落は、今も人が住んでいる。

この道最奥の集落だ。


影無集落へ



そんでー。

本来の目的は、この先の天ヶ峠線が出来上がったか見てこようというものだったが

この荒れたダートと、林道へ行く、戸石橋から雪が積もってたので、やめた。


ていうか、もう二度と来ないかも・・・


道がひどい。。。(´-ω-`)

岩と石のコラボである(゚▽゚)



林道の方がたぶん新しいのでマシだと思う。


また帰って寒い中タイヤを洗った。

ありがとう♪

押しといて