2005年04月11日 13:46 [Edit]
一億総貴族化社会
問題です。ある国では、かつて年収100万円の層が90%、年収1000万円の層が10%だったのが、年収300万円の層が99%、年収3億の層が1%になったそうです。この国は「格差社会」化しているのでしょうか?ここでインフレはほとんど進んでいないものとします。
差に注目すれば、明らかにそうである。富の一極集中が進み、「収入格差」が開いているのだから。しかし絶対値の方に注目すればどうだろう。年収100万の層は年収300万になっているのである。「ヤンエグ」(死語)のステータスシンボルだった携帯電話は老若男女にいきわたり、「夢のハワイ旅行」は「遠くの日本より近くのグアム」となり、「高嶺の花」だった持ち家ですら、アメリカはとにかく欧州を追い越している。
「格差社会」の問題は、実は「ビンボー人がよりビンボー」になのではなく、「実は誰もがすでに金持ちか、ほんの少しの努力で金持ちになれる環境にありながら、どう振る舞っていいかわからない」ことにあるのではないだろうか?
実は、金は稼ぐより遣う方が難しいのだ。こう言うと「それはあなたがすでに金持ちだから」とすぐ思考停止信号を出す人がいるが、ちょっと停止する前に考えて欲しい。「金を稼ぐ」という行為は、「多次元を一次元にmapする」行為だ。額に汗して得た100万円も、万馬券で当てた100万円も、一度100万円になってしまえばどちらも同じ100万円だ。金を遣うのはこれの反対だ。ある人は100万円でうまいものを食って贅肉に"map"し、別の人はそれで本を買ってうんちくに"map”し、はたまたある人はそれを再投資して、「それが200万円になるリターンと10万円になるリスク」に"map"する。稼ぐのは画一的で、遣うのは多様的なのだ。
私が「格差社会」という言葉が巷に飛び交うのを聞いて違和感を感じるのは、そもそも設問が間違っていると感じているからだ。質問すべきは「格差をどう是正するか」ではなく、「かつては金持ちだけの『贅沢な悩み』が一般化しつつあるのに、未だにビンボー人教育をしてどうする」ということなのである。
もっと乱暴なたとえ話をすると、「肥満が問題になっているのに未だに栄養失調対策を語ってどーする」ということだ。
もっと度し難い言い方をすると、「百貫デブがまだ食い足りないと、子供や孫のおやつにまで手を付けたあげく、今度は子や孫が栄養失調になりそうだがどうよ?」ということなのだ。
切込隊長BLOG(ブログ) - 「各論全員否定」の社会学希望格差社会という話が出たとき、最初に思ったのは冒頭のような、立場や興味の細分化が世代間、属性間の没コミュニケーションを生んで、情報のない世界の他者は興味の範囲外にあるか消極的否定から入る”永遠の無党派”が生まれているのだろうと考えた。例えば、家にいる50代の父親と20代の倅に共通した話題があるだろうか。さらに、親しくない親父世代と小僧が会話しなければならない局面に陥ったとき、何分話すことができるだろうか。
ビンボー人だった頃の答えは簡単。「親父にそんな暇なし、子にもなし」。親父は食い扶持を稼いでくるだけで、家に戻る頃には風呂入って寝る気力しか残ってない。子は「親父みたいにならないように」受験勉強真っ最中。「会話しなければならない」のは実は贅沢な局面であると述べたところで次回に続く。
Dan the Fat Man
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日本のような「豊かになった国」で格差が開くのは、治安面など悪影響の方が大きいのではないか?とアメリカの話を見聞きすると思います。
どこかで見たような文章だと思ったら、シーマの社長が書くブログの文章に似とるな。
最初の例では
国民10人が1000万円=1億円
国民90人が100万円=9000万円
経済のパイは1億9000万円です。
次の例では
国民の1人が1億円=1億円
国民の99人が300万円=2億9700万円
経済のパイは3億9700万円です。
実際には、経済のパイは同じで比較しなければいけません。前者で比較すると、簡単です。今まで9000万円を90人で分けて来たわけですが、それを99人でわけると、ひとりが受取る事のできる金額は91万円弱です。全体のパイを同一で比較しないと、弾さんのロジックは、残念ながら絵に描いた餅です。