2005年05月16日 14:25 [Edit]

ルービックキューブ

日曜日の「サンジャポ」で、放映されなかった場所での会話。

弾:
私が本当に主張したかったのは、ルービックキューブを解けることではなくて、ルービックキューブの解法を自分で見つけたことなんですよね。
スタジオのどなたか:
それがいやみだってんだよ!

ギークとスーツの日常会話が、ここに凝集されている。


ギークが「わかって欲しい」ことは、「理解に至る」過程とその苦労であることが多い。しかしスーツが求めてくるのは「理解」ではなく「結果」だ。彼らが欲しいのは群論ではなく、絵になりそうな「ルービックキューブを解いている私」だ。確かにバラエティ番組にMetamagical Themasは似合わない。

しかし、「まるでわからないけど、もしかしてすごい」ぐらいのことは言えたのではないか?

404 Blog Not Found:鼎の軽重
むしろマスメディアに関しては、「偏食」の度合いはずっと進んでいるように思える。「お茶の間の奥様方にはわからないでしょう」という台詞を、何度楽屋で聞かされた事か。そこには「わかりやすい番組を作る」ということを放棄し、「わかりやすい事しか取り上げない」という姿勢が残るばかりだ。

この事は実はスタジオだけではなく、お茶の間でも進行している。「わからない」ことばかり言う、「空気が読めない奴」をいじめる光景はスタジオよりもむしろ教室でよく見かけるはずだ。この構図は私が中坊の時から変わらない。「それがいやみだってんだよ」には懐かしささえ感じた。

それで私がいじめられるのは構わない。免疫ならすでに中坊の時には完成していた。私が耐えられなかったのは、そんな私に最初は手を差し伸べていた子たちにもいじめの矛先が向き、そのうちにそんな数少ない子たちも「空気を読んで」いるうちにいじめの輪に入って行ったことだ。

「わからなく」とも、「受け入れる」ことはできる。

告白しよう。私はつい最近までそんな簡単なことを知らなかった。私を受け入れようとしていた数少ない子たちに私が取って来た態度を振り返ると愕然とする。「このバカ」とばかりに手をはねのけていたのだ。その結果彼らがいじめの輪に入って行ったことを責める資格は私にはない。当然の報いだ。ギークにもスーツにも拒絶され、ギークになれないとしたらスーツになるしかないではないか。

Matzにっき(2005-05-16)
と述べておられるが、正直な話、私にはわからない。わかってあげられない。 小飼さんは「なんでこんなこと言わなきゃならない」んだろう。

「コードも書かない人に言われたくはない」というのは、中坊のころの私だ。受け入れてくれる人たちの手まではねのけていた、あの頃の私だ。

私の妻は、数学は三角法(三角関数の手前の)のあたりで挫折したそうだ。でも、まだ籍を入れてなかった頃,朝まで不完全性定理の話をしたら、ちゃんと聞いてくれた。多分理解はしていないだろう。でもそれで私には充分だった。

その不完全性定理を見つけたゲーデルの妻アデルは、「ゲーデル・不完全性定理―"理性の限界"の発見」によると6才年上のバツイチのダンサーだったそうだ。おそらく彼女はクルトを理解したことはなかっただろう。そんな彼女をクルトは一生愛し続けた。

このことは、アインシュタインを完璧に理解していたはずの妻ミレーバが、一般相対論の実証がエディントンの観測によってなされたその歳に離婚している事実と並べると、なお心を打たずにいられない。

理解よりも難しいのは、寛容なのだろうか。

だから、何も「やつら」の悪いところをまねする事はないじゃないか。無理解者を拒絶する姿が絵になるのは、せいぜい「15の夜」ぐらいまでと心得ようではないか。

The eternal mystery of the world is its comprehensibility.
--Albert Einstein

The eternal mystery of the human being is its capacity to embrace -- in spite of its incomprehensibility.

Dan the Embraced Man


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この本は以前文中で取り上げたことがあるが、ここで改めて紹介しよう。 ゲーデル・不完全性定理 吉永良正 シンクラブ:数学と哲学「数学の本質は、自由であるということだ」(ゲオルグ・カントール) そのGeorg Cantorの自由の代償の大きさを知るには、この本は最
自由の代償、alef0【404 Blog Not Found】at 2005年06月28日 04:28
momokuriさんのBLOG http://blogs.da-cha.jp/momokuri.php?m=20050512 >> 人材育成とか、日本発のOSSとか、コードも書かない人に言われたくはない。 > ....おい、何生意気いってんだよ。コードだけでOSSの世界が回ると思ってんのか?「コードも書かない人」だと
コードも書かない人に言われたくない【未来のいつか/hyoshiokの日記】at 2005年05月16日 23:54
小飼さんからお返事。 「コードも書かない人に言われたくはない」というのは、中坊のころの私だ。受け入れてくれる人たちの手まではねのけていた、あの頃の私だ。 要するに「コードを書かない人の中にもわかってくれる人はいるよ」という意味? まさかそんな単純なこと?
[OSS] Re: ルービックキューブ 【Matzにっき】at 2005年05月16日 15:59
この記事へのコメント
(「心でっかちな日本人 -集団主義文化という幻想-」(山岸俊男)ISBN4-532-14966-5) and (「悪魔に使える牧師」(Richard Dawkins)ISBN4-15-208565-7 )
「三人よれば文殊の知恵」「百人よっても馬鹿はバカ」はどちらも人間の動特性です。判らないと解らないの違いを感覚的には判らないのが脳。
べつにGeekの間であっても、実は存在する問題だと思います。
Posted by fjの教祖様 at 2005年05月23日 01:09
実は、ライブドア関連ニュースが毎週放送されていた頃、サンジャポは毎回ビデオに録画して、小飼氏の発言を楽しく見ていました。
なので、ライブドアニュースがなくなったとしても、氏には今後変わらず出演して欲しいと思っていたのですが。

こちらのエントリを読んで…

メディアの勝手な演出や中傷は、
本意でないと思うし、そもそも氏の本業とは違うのだから、
楽しみしている一視聴者とは言え、無理に
「今後もサンデージャポンに出て欲しい」とは思いません。

ですが、メディアには屈せず、逆に利用する位の気持ちで、今後ともテレビに出てもらえたらと、思います。ご活躍を期待しています。
Posted by ぱんだ30 at 2005年05月18日 12:25
スタジオのどなたか=ダンカン
Posted by バター犬 at 2005年05月17日 14:35
私は言うべきことを当たり前に言う方と認識してます。拝見していて不快に思ったことはありませんし私のような見方をする人も多かろうと思ってます。日本語使っているとなぜなんだか意見を否定されるとムカっとくるんdねすよね。英語使っててAbsolutely Not!って言われても全然ムカつかないんですけどね。
Posted by bun at 2005年05月17日 10:33
今日は、わかる。
Danちゃんが、何を言いたいのか。

ありがとう。
Posted by モコ at 2005年05月16日 21:20
私は、どちらかというと”スタジオのどなたか”の反応に共感を感じるほうですが、それでも、小飼さんのおっしゃる事のほうがテリー伊藤よりは中身があるし、ダンカンよりも聞き取りやすいと感じます。

なぜ彼らが認められて、小飼さんが認められないのか、、、正直彼らのほうがわかりやすいとは思えません。

とはいっても、小飼いさんのおっしゃる事も半分くらいしか分からないのですが(内容そのものというより関連性というか文脈がつかめない)。ただ、その結果として生ずる周囲との齟齬を”いじめ”と捉えるのは、典型的な、いじめられっ子の論理、あるいはカルト団体の外界に対する典型的な反応とも似ていると言ったら言い過ぎでしょうか。
Posted by Pooh at 2005年05月16日 17:40