2005年08月22日 22:10 [Edit]
最愛の者を疎ましく思う時
が、あなたにあるだろうか。
告白しよう。私はしょっちゅうだ。
それも、そう思う瞬間というのは実にささいなきっかけによる、実に他愛のないものばかりだ。
寝不足を重ねた末、あと一行でプログラムが完成する時にじゃれてくる娘たち。
仕事が完成してさあ祝杯、と思った傍らで、娘達の面倒を見つかれて眠る妻。
夫にも父親にもなれないもどかしさを、理解しようとすらしているのかわからない我が家の女達。
そして何より、同様の迷惑と困惑を彼女たちに振りまいているのを十二分に承知していながら、上記の感情を抑えきれない、自分。
ああなんと疎ましいのだろう。
最愛の者たちを疎ましく思う瞬間、それは自分が今演じたい役と、最愛の者たちが今演じて欲しい役がずれているときなのかもしれない。
夫モード全快の時に、父親を期待されたり、あるいはその逆だったり。
池内ひろ美の考察の日々: できちゃった婚の落とし穴あれ?「夫」はどこにいるのだろう、「妻」はどこにいるのか。
妻が第一子を妊娠した時、少なくとも私にはその程度は想像できた。いや、妻とつきあう前から、どんな女性と仲良くなってもそのことは想像できた。それはとても不快な想像だった。わが子にわが女を奪われる自分の立場からも。生まれて来た事をむしろ疎ましく思っていた--いや今でも思っているかもしれない--子供時代を回顧して、それをわが子に当てはめて想像してみた子供の立場からも。
実際親になってみると、疎ましい瞬間よりはるかに愛しい瞬間の多いことを受けて、父であることもまんざらでもないなと思うようにはなってきた。しかし疎ましい瞬間がないかといえば嘘になる。
そんな私が曲がりなりにももう12年も一人の女と寝食をともにし、9年も妻とし、そして7年もその妻の子の父として振る舞ってきたのは、「どんな最愛の者でも疎ましいと思う瞬間がある」という現実を直視してきたからだとかなり強く確信している。
彼と彼女がそれぞれを尊重し価値観の違いなんかも知って結婚し、夫と妻となって、それぞれの実家との関係なんかもあり、地域や社会との繋がりを持たなければならない、それが結婚のプロセスであるが、「できちゃった婚」はこのプロセスを経ないために突然の落とし穴にハマってしまうことがある。
結婚とは、「どれだけ相手が好きか」で成されるべきものではない。「どれだけ相手の疎ましさに耐えられるか」で成されるべきものだ、と思う。順風のカップルに結婚という社会的認知は不要だ。完璧な男女にして完璧な父母が結婚しているかどうかを問うのは、それこそ蛇に足が必要かを問うようなものだ。そうではないから縛りをかけるのではないか。
思えば私が妻と籍を入れたのも、理由の第一は生命保険の受取人に戸籍上の他人を指定するのが困難だったからだ。私は死ぬか愛想をつかすまで同棲のままでいいとずっと思っていたのだが、逆風に対する担保を設定するには籍が事実上必要だったのだ。
「できちゃった婚」とは一見ほど遠いが、私もまた必要に迫られて結婚した者である。入籍当時、結婚は私が生きている間ではなく死んだ時にこそ真価を発揮するものであった。ある程度の財産を得た今でもそれはそれほど変わらない。
恋人達よ、悪いことはいわない。愛している(だけ)なら、結婚(だけ)はやめておいた方がいい。
Dan the Man with too Many Roles to Play
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