結局、「オリジナリティ」を付加価値の尺度にすることそのものが問題なのではないか?

たけくまメモ: 許される模倣・許されない模倣
  1. 厳密な意味でのオリジナルは、この世に存在しない。
  2. あらゆる創作は、模倣の土台の上に成立している。
  3. 元ネタにはない新しいプラス・アルファ(独創性)があるかどうか。その有無と程度

問題は、a.とb.は客観的事実でも、c.に関しては関係者の主観でしか決められないことにある。

「日の下に新しきものなし」というのは、著作権という考え方そのものが生まれる前にある。これに関して議論するのはもはや「進化論は間違っている」というのと同じぐらいトンデモだろう。

実際、模倣が問題となったのは、表現そのものに価値が認められるようになってからである。模倣が問題を生むのではなく、価値が問題を生むのだ。問題はマネでなくてマネーである。

オリジナリティは数値化不能

そのマネー、今のところは「マネでない部分」に対して支払われるべきだ、という考えがコンセンサスとなっているようだ。より正しく言うと、購入者はマネ部分まで含めた「作品全体」に対して代金を支払うが、「マネ」部分はそれを「仕入れた」表現者が「オリジナル」の権利者に支払うという、「オリジナリティの連結決算」という方式が今のところ採用されている。

しかし、この仕入れの部分でいつも問題が起きている。オリジナリティを測る客観的尺度が存在しないからだ。

404 Blog Not Found:模倣と創造
私はこれに関しては「理論的には可能だが、実践的になるほど簡単ではない」というところに落ち着きそうだという予想をたてている。大まかな枠組みとしては、「もしそれがなかったら世の中はどうなっていたか」という可能性を算出し、それと現実との差を「創造性に対する価値」とするという手法が考えられるだろう。なんとなくファインマンの描いた「粒子の全ての可能性を重ね合わせる」という手法を彷彿とさせる。問題はそれが経路積分ほど簡単に出来るのか、ということだ。いや、経路積分程度の手間でも実情には即さないだろう。

これはあくまで思考実験として私が出した仮説だが、理論倒れになることをあえて承知で書いている。

実は、オリジナリティを主張するのは簡単だ。ダイエットのCMの「使用前」「使用後」をひっくり返しただけでそれは別の表現になるのだから。ハナモゲラ和歌程度であれば、むしろ電脳の方がオリジナリティ作成は長けている。

結局現実はどうしているかというと、上記のようなことをしているフリをしつつも、異議申し立てがある都度当事者間で交渉がもたれ、「仕入れ率」はオリジナリティの多寡ではなく、交渉力で決まっているというのが現実だ。

メーカー引っ込み、ブローカーまかり通る

だから、「オリジナリティは数値化不能」なのだと達観しつつ、「その状況で最もフェアな利益配分法はどうあるべきか」という観点でシステムを設計しなおすことが肝要なのではないだろうか?

FIFTH EDITION: 漫画というレッドオーシャン
勝ち目のない血みどろの海、
レッドオーシャンでの消耗戦から抜け出し、
ブルーオーシャンを見つけない限りは、
漫画には未来がない。

この事は漫画に限ったことではないが、「表現界のスマイルカーブ」が最も顕著な業界の一つでもある。ここではスマイルカーブの底は「商業デビューした新人」あたりにあり、同人誌とミリオンセラーが両端となる。

なんでこうなるのだろう?

「メーカー」よりも「ブローカー」の方が儲かるからではないか?

「オリジナリティ」ベースの利益配分の皮をかぶった「交渉力」ベースの利益配分の世界では、どうしてもブローカーの力が強くなる。「メーカーは腐るほどある。いやならお宅からは仕入れないよ」というわけである。同人誌は、ブローカの力の外にいるから利益率が高く、ミリオンセラーはブローカーに対しても「いやなら他に売るよ」という交渉が出来るからこそ利益率が高い。泣きを見るのはブローカーとつきあいの浅いものたちだ。

これを放置するとどうなるか。誰も「スマイルカーブの下唇」を通ろうとしなくなる。ブローカーも仕入れが出来なくなる。かくして業界全体がやせ細る。

「表現税」という考えはどうか?

それではこれを防ぐための方策はどうすればいいか?

累進課税の考え方が使えるかも知れない。「クリエーター」は、累進的に「表現税」の形でこれを支払う。別に国が徴収する必要はない。業界団体でも何でもいい。

そして、こうしてプールされた代金を、アシスタントなど、表現には関わっているけれどもクレディットが与えられない「業界の従業員」への支払いに充てるのだ。アシスタントは、「協会」からの派遣とするわけである。

そして、この仕組みを受け入れている限り、模倣問題に対する異議申し立てから免除、とするわけである。

これで、模倣問題と利益配分問題が一挙に片付く。

異論はいくらでも考えられるだろうが、「オリジナリティは数値化不能」という「公理」に立脚して考えを進めると、私にはこれ以外の考えが思い浮かばない。

じゃあ誰がやるの?

本来こういった事は、ブローカーたる出版社が音頭をとって進めるべきであるが、今の彼らはあまりに近視眼的でそこまで思い至らないようだ。今の彼らは10週間後のことを考えるのに忙しく、10年後のことまでは頭が回らないように思える。

「メーカー」たる表現者は、10週間後どころか10日後すら遠い未来に思えるほど忙しい。

これに関しては、私も妙案が浮かばない。

しかし、これだけは言えると思う。

このまま行くと、紅い海しか残らないかも知れないのだ、ということは。

Dan the Expressionist