2006年01月09日 23:14 [Edit]
数式が愛した文学
うわわ、正三郎さんに咲子されている←「咲子」ってどうやって「する」んだ>ことえり。
ホットコーナーの舞台裏小川洋子「博士の愛した数式」(新潮文庫) は、文学の美しさと数学の美しさが出会った滅多にない美しい結晶です。
うーん、正三郎さんをはじめとするファンにはちょっと申し訳ないのだけど、文学的な美しさに比べると、やはり数学的な美しさの部分が、これでもまだ「なめらかでない」と私は感じてしまった。
皮肉にも、それを一番感じさせるのが数式美コンテストをやれば一位を必ず争うはずの、e^iπ = -1 の扱い。「江夏の背番号」と比較して、唐突度が高いのだ。
やむないところはあると思う。e^iπ = -1 の美しさをきちんと「鑑賞」するには、「オイラーの贈り物」クラスの解説がいる。「博士の愛した数式」の数倍の厚さがある本だ。とても物語に収まらない。
「いや、証明しなくても美しいものをそのまま提示した事に意味があるじゃないか」という意見もあるだろう。しかし、それならば三角数や完全数だって充分美しいのだ。これらの美しさの提示に見事に成功しているのに、なぜ「友情出演」のごとく e^iπ = -1 を登場させる必要があるのだろう。しかも、作品では上の式ではなくその変形、 e^iπ + 1 = 0 の方を紹介している。これも e, π, i, 0, 1 の「5大スター」が揃うという意味では美しいかも知れないが、その大本である e^iθ = cosθ + i sin θ の「自然な発露」を損ねる。なおこの点に関しては「オイラーの贈り物」も同意見である。
主人公の息子のあだ名である√とこの公式を除けば、あとは本作品は全部整数で閉じている。それに徹底した方が美しかったのではないか。
とはいえ、日本でここまで文学に数学を織り込んだ作品は珍しいだろう。その意味で、美しいものを美しいといった著者は、皇帝の新しい服がゼロだったことを見抜いた子供に通じる功績があると思う。
ちなみに私はオイラーの公式までいわば自力で到達した後、不完全性定理に出逢った。世界を征服したつもりになったら、世界は征服できるほど狭くないんだよということを直後に思い知らされた。私にとってはどちらも「大人への階段」だったように思う。
「博士の愛した数式」は今のところ「数学文学」の日本一かも知れないが、世界の壁は高い。やはりContactなどと比べると見劣りするのだ。なんかこう、それこそ文理双方にまたがる教養の差をまざまざと見せつけられるというのか。
こうなると、やはり藤原正彦本人による文学を読んでみたくなる。やはり「国家の品格」で説教たれたからには、きちんと文学で返すというのが文学に対する礼儀だと思わずにいられないのだ。
Dan the Mathphilia
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ちょっと驚異的です
まさか不完全性定理の方は自力じゃないですよね?
Thanx, fixed.
Dan the Man to Err

