2006年01月12日 22:19 [Edit]
The Kings of Wishful Thinking
専門家たちの多くは彼らの「主観的願望」を語っている。
ここまでは、「ブンケー」も「リケー」も共通している。「神はサイコロを振らない」という主観がどれだけアインシュタインの呪縛になったことか。主観的願望によって歪んだ結論を導き出すのは人類共通の宿痾だ。
しかし、その結果責任に対して、「ブンケー」と「リケー」に対する社会の態度は180度違う。
誤りの多い耐震強度設計のビルを建てて巨富を築いた社長がいたが、彼がそうやって得た金で自分の家を建てようとするときに、どのようなデータの改竄も許さないはずであるし、そもそも自分の知り合いには決して建築を委託しないであろう。
リケーが主観的願望による誤った結論を出した時は、まず間違いなく社会的制裁が待っている。耐震強度設計からES細胞に至るまで、データの改竄はまず身内から「破門」され、その結果彼らは仕事を失う。しかし、ブンケーにおいてはそれがまるでないのだ。
例えば、1966年文化大革命の勃発のとき、実に多くの中国問題専門家がそれについて専門的知見を語ったが、その政治的事件が十年後にどれほどの規模の破壊の末に、どういうかたちで収束するかを予見できた中国問題専門家は私の知る限りひとりもいなかった。
北朝鮮に関してはこの点はさらにひどく、そしてそれによる実害を社会は受けているが、それによってかつて北朝鮮礼参を行って来た者達がなんらかの社会的制裁を受けたという話しを私は聞いた事がない。
グルーチョ・マルクスがみごとに言ったとおり、「私を入会させるようなクラブには私は入会したくない」というのが、「欲望を勘定に入れる習慣をもった人間」の基本的な構えなのである。
ブンケーとリケーの最大の違いは、自分の作ったドッグフードを自分で食うかどうかというのは、あまりに皮相的な意見だろうか。羊頭狗肉も自分で食わなければまたよしというわけだ。
404 Blog Not Found:正しくなければ、生きていけない。バカに関して言うなら、「理系とハサミは使いよう。文系につける薬はない」
という哲学者の嘆きは永遠に終わらないのだろうか。
Dan the Slave of Wishful Thinking
Posted by dankogai at 22:19│Comments(0)│TrackBack(1)
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内田樹の研究室: 現代中国論打ち上げ
わが子が罹った不治の病の治療法を探し求める医学者の思考法は間違いなく「科学的」である。自分の子供がかかった難病の治療法を探求している医学者は決して「治験データの改竄」などしないからである。 これ自体勘違いある。
願望と科学【佐藤秀の徒然\{?。?}/ワカリマシェン】at 2006年01月13日 09:37