2006年02月05日 02:50 [Edit]
身の程を疑え
笑止。
内田樹の研究室: 身の程を知れというわけで、私も「日本人よ」というワーディングで何かひとことと三秒考えたのち「日本人よ、身の程を知れ」とご提言申し上げる。
「身の程を知る」とか「分際をわきまえる」とか「身の丈にあった望みを持つ」という謙抑の美徳はすでに忘れ去られて久しい。
そしてその口でこういうのは何をいわんや。
内田樹の研究室: キャリング・キャパシティの限界日本列島の人口容量は、旧石器時代で3万人、粗放農業文明期で700万人、集約農業文明期で3300万人と推定されている(江戸時代が3000万人、明治末期で5000万人)。
[中略]
現在日本の人口は1億3000万人。これは列島のリソースが養える限界に近い数値である。
日本のキャリング・キャパシティを拡げて来たのは誰か?
身の程を知らぬ人々である。
恐らく日本史の中で身の程を最もよく知っていたのは江戸時代の人々だろう。徳川家康は、人々に身の程を教え込むことでキャリング・キャパシティを遵守させた。「おまえは外様大名」、「おまえは旗本」から「おまえは水呑百姓」「おまえはエタ」に至るまで、身の程を設定し、それを弁えさせることで社会を安定に導いた。そこにおいて「身の程を疑う」ということは、死を覚悟するに等しい行為であった。一揆の首謀者から田沼意次に至るまで、身の程に対して異議申し立てをした者は厳しく制裁された。それが権現様の決めた掟だったのだ。
そんな徳川幕府に引導を渡したのが、身の程を知らない者達だった。いや、より正確に言えば、身の程を知らない者達の力を目の当たりにして身の程を疑わざるを得ないもの達だった。薩長はそのことを外国船の砲弾で教えられ、身の程を弁えず幕府を倒した。日新館で身の程を叩き込まれていた白虎隊は、身の程知らずな官軍に蹂躙された。そうして身の程知らずが身の程を疑いながら七転八倒していった結果、日本のキャリング・キャパシティは倍に広がった。
もちろん、身の程知らずは危険でもある。その危険が最高潮に達したのが太平洋戦争であった。身の程を知らなかった結果、国を損なう一歩手前まで行ったのだ。しかしなぜそうなったかを考えれば、身の程を知らないことより、身の程を疑うことを許されなかったということが大きい。国による「身の程詐称」を国民が図らずも受け入れた結果があの顛末だったのではないだろうか?
それから60年あまり。日本のキャリング・キャパシティは人口で3割増した。しかも、その間一人当たりのキャパシティは世界で一、二を争うほど大きくなっているにも関わらず、である。
身の程を知らない人々が、身の程に異議申し立てをし続けて来た結果、である。もし本田宗一郎や小倉昌男が身の程を知っていたら、日本はどうなっていただろう?
身の程を知るというのは、実に甘美である。受け入れてしまえば、もう自分が何者かなどというイタイ疑問に苦しめられることはない。「きみは勝ち組」「きみは負け組」「きみはヒルズ族」「きみはニート」....これほど世間に身の程を知らしめる言葉が溢れた時代がかつてあっただろうか?総理から占い師に至るまで、ありとあらゆる声が君の身の程を教えようとする。あたかもそれらの言葉が、身の程を疑う苦痛を癒してくれるかのように。
で、それで君はいいのか?
君は人に教えてもらった身の程に満足して、人に教えてもらった人生を選ぶのか?
そうして身の程に引き蘢るならそれもいいだろう。身の程を疑うのは、いつの時代においても苦痛なのだから。
しかし、身の程を知る者は、身の程を疑う者の格好の餌食だということも知っておくべきだ。鎖国も神風も彼らを止めることは出来なかったではないか。
身の程を疑う苦痛に耐えるか。身の程を知り身の程を知らぬ者達の搾取に耐えるか。
選ぶのはあなただ。
Dan the Soul-Searching Fool
追想: およそ学者というのは、身の程を疑うことを最も強いられる生業でもある。あれは競争相手を少しでも減らすためのポジショントークだったのだというのは下司の勘ぐりだろうか?
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少なくとも俺は小飼さんの意見に共感した
おまえは黙っとれという奴がのさばる結果になりがち。「身の程を疑え」なら、後者に届かず前者に届く気がする。