2006年02月08日 15:18 [Edit]
多様性2.0=カオス
はてブの要約力には脱帽。まさにその通りで、404 Blog Not Found:多様性2.0というのは実は単一的かつ単純な仕組み--アーキテクチャー--に立脚していて、そしてそのアーキテクチャーそのものに多様性を生み出す仕組みが内包されている、というのは割とイケてる仮説だと思う。
多様性2.0において、アーキテクチャーは多様でなくてもいい。
これは重要な知見だと思う。生物そのものは多様でも、そのアーキテクチャーはそうではない。DNA-RNA-タンパク質ロジックは一種類しかない。ソフトウェアの世界を見ても、OSとかプロトコルとか、階層が下のものほど多様性は少なく、また多様性淘汰圧も高い。
それがなぜかというと、やはりコストの問題に行き着きそうだ。「種」の維持にはコストがかかる。そのコストを支払えなくなった時、その「種」は滅亡する。ここで「種」と括弧をつけたのは、ここでいう「種」は「生物種」ではなく「多様性の要素」を意味しているから。そしてそのコストのかなりの部分が、多様性の確保に費やされている。
それではなぜコストを払ってまで多様性を維持しようとするのか?単一性がリスクだからだ。単一性は逆境に弱い。クローンばかりになったらそのクローンのアキレス腱を突かれたらはいそれまでよ、になってしまう。
実のところ、生物界の多様性にはどうも「めんどいけど仕方なく」発展したフシがある。その証拠に、順境では臆面もなくクローン戦略を取る生物は多い。昆虫にはこのクローン戦略と「セックス戦略」を任意に切り替えられる奴が多い。「滅亡しがたいもの」の代表としてよくゴキブリが登場するが、私としてはアブラムシもそのリストに載せておきたい。クローン戦略には人間すら載せられている。ソメイヨシノにコシヒカリ。緑の革命は植物の陰謀だったりして。
こういう状況で多様性がどう「進化」したかと考えると、アーキテクチャーが減り、アプリケーションが増えるという形になるようだ。そしてアーキテクチャーを細かく見て行くと、「低階層」のものほど淘汰圧が高いことがわかる。ネットに関しては、OSの淘汰に先んじてTCP/IPのみが生き残ったが、これはネットの方がOSよりも「低階層」な証拠かもしれない。
そしてこのことは、言語とか文化にもあてはまりそうである。
提督の野望 海軍広報: 2006/2/6 方言日本語というのはいくつもの「方言」が拡張できる非常に柔軟性が高い言語です。しかし、柔軟性が高いばっかりに拡張の上に拡張がほどこされ、それを学ぶ側は拡張段階のひとつひとつを学習していかねばならず非常に手間のかかる言語でもあります。
そう。多様性において言語は淘汰され、その代わり「方言」が増える。方言を多く持てる言語のサバイバビリティは高いが、しかしその方言を持つためのコストが実は言語の淘汰圧となっている。私が時折人口問題を言語問題と絡めて取り上げる理由にはそれがある。我々が今多様性の問題を話し合えるのは、日本語という単一のアーキテクチャーに参加者がのっかっているからだ。日本語にそれだけのキャパシティがなければ無理な話しである。
Rauru Blog - Blog Archive - 多様性の認識前々から私は「多様性を無邪気に良いことだと捉える空気」が気になっていた。
私は善悪というよりは、多様性に関して定性的なアプローチしか採って来れなかったことが気になっていた。多様性は実はコストなのである。だから実は経済学の見地が応用できるはずなのである。「多様主義者」(pro-diversity)ですら、多様性1.0的な多様性には実は耐えられない。彼らとて(いや、私もこのメンバーかも。とりあえず三人称)「殺人犯は価値観が違うだけ」という形で殺人犯を援護したりはしない。過剰多様性に耐えられるほど人間、いや生物、いや「系」(system)は堅牢ではないのだ。
同じ多様性なのに、1.0的な多様性には醜を、2.0的な多様性には美を感じるのは、私もまた多様性2.0の産物だからだろうか。
Dan the Chaotic Being