2006年02月25日 18:46 [Edit]
Apathy of Crowds
実のところ、Wisdom of Crowds の概念が指摘されたのはかなり昔のことだ。
My Life Between Silicon Valley and Japan - Wisdom of crowdsこれからのネット世界を考える上で「Long tail」と並んで重要なコンセプトだと思うのが「Wisdom of crowds」である。
人は、大局の判断を迫られた場合は誤りを犯しやすいが、個々のこととなると、意外と正確な判断をくだすものである。
だから民衆も、巨視的な視野を要求される事柄の判断力では頼りに出来ないが、ミクロな事柄ならば、多くの場合正確な判断を下せるのだ。
集団知というのは、「すでに問題が明らかとなっている」事柄に対しては、的確であるに留まらず迅速に判断を下す。「堀江メール問題」を例にとるまでもないだろう。今回の事例で"Widom of Crowd"という言葉を使ったbloggerもいたぐらいだ。
しかし、その前の段階として欠かせない「問題を提起」する能力に関してはどうなのだろう?
その問題に「取り組む」集団のサイズが、むしろ問題の重要性よりもその問題の面白さで決まるという「集団痴」に陥りがちではないのだろうか?
404 Blog Not Found:理念なき編集-マッドサイエンティストさんのコメント太い文字で書いてますが、結果、会社の体をなしたわけっすか。
見事、戦後最大の詐欺事件を起こしたわけですな。
どうも、一般人とは違う世界観をお持ちのよーで、勉強になります。
まだやっと起訴の段階で、まだ公判も始まっていないのにこれである。仮にライブドアが全てクロだとして、同社およびそのグループ企業の株が紙くずとなっても、理論的に考えうる被害総額は「わずか」一兆円そこそこ。尾上縫個人が引き出した融資の半分にも満たない。「戦後最大」どころか、90年代初頭のバブル崩壊劇の中では三文役者にもなれるかどうか。
何もここで私は同事件を矮小化したいのではない。矮小化するまでもなく「この程度」だと申し上げているまでだ。しかしこの事件に注視する「集団のサイズ」という点では、「戦後最大」というのもあながち大げさでもないようにも見える。
この「戦後最大(?)の集団知」の登場は、集団の力そのものによってなされたのだろうか?マスメディアもなしにそれが現れることはありえたのだろうか?
H-Yamaguchi.net: The Wisdom of Crowds: Why the Many Are Smarter Than the Few and How Collective Wisdom Shapes Business,Economies, Societies and Nations人々の集団は、その中で最も優れた個人よりも優れた判断を下すことができる」ということである。適切な条件とは、であり、これらが満たされれば、個々のメンバーが正解を知っていなくても、また合理的では必ずしもなかったとしても、グループのほうがよいという。
- 意見の多様性
- 各メンバーの独立性
- 分散化
- 意見集約のための優れたシステム
そう。実はこの条件を揃えるのは、集団ではないのだ。集団に何らかの自律性が生じるのは、集団が「クリティカルマス」に達した後であって、そうなる前には「お膳立て」が必要なのだ。
このお膳立てこそ、かつてはマスメディアの特権だったとも言える。しかしこの役割を徐々にGoogleやYahoooなどの「ポータルメディア」が担うようになってきた。その意味で Wisdom of Crowd は再考するだけの価値がある。ましてやGoogleは実体はとにかく建前としては「メカメディア」を標榜しているのだから。
しかし、むしろこれらの「メディア2.0」の台頭は、「提起されるべき問題」を提示するのに役立つというより、「すでに提起された問題に耳目を集める」のに役立っているように思える。
もし Wisdom of Crowd が THE Wisdom であるのであれば、なぜこれだけの未解決問題が問題にもされずに残っているのだろうか。大は地球温暖化から小は家庭内不和まで。
山口さんの書き込みの言葉を借りれば、2.と3.に関して、現在我々が持っているシステムに不備があるということではないのだろうか?特に3の分散性に関しては、むしろ「集約化」という逆のヴェクトルがかかっているようにすら見える。
ネットはWisdom of Crowdの力を増幅するというより、むしろCrowdの格差を助長するように見えるのはなぜなのだろう?「ググれない問題は問題にあらず」、「2chにスレがたたない問題は問題にあらず」なのだろうか?
Dan the Man @ the Edge of the Crowd
追記:
[を] 「みんなの意見」は案外正しかった!ゴールトンが投票用紙から推測値を集めて平均値を出してみたら
なんと実際の値とほぼぴったり! 実際は1198ポンド、予測は1197ポンド。
マキャベリ語録の上記の部分の結末は、実はこのようになっている。
このことからも、思慮深い指導者は、けっして次の配慮を忘れないはずである。
それは、誰かに名誉や褒賞を与える場合なのだ。
この場合、思慮ある指導者ならば、どのような人にどれくらいの報いを与えるかということの配慮なしには、実行しないはずである。
なぜなら、このようなことにこそ、民衆は正当な判断力を発揮するからである。
この記事へのトラックバックURL
(↓)
《仕事と手法が与えられたとき、それを的確に解決できるのが、学士。仕事を与えられたとき、手法を自分で模索し、方向を見定めながら問題を解決できるのが、修士。そして、そもそも、そのような問題を与えることのできるのが博士である。社会の需要は量的にこのピラミッドになっていることだろう》