2006年05月20日 19:15 [Edit]

若者殺しの時代からの逃走と闘争

最近書評しようと思っていて先を越されることが多い。

深夜のシマネコBlog: 書評 『若者殺しの時代』堀井憲一郎
こういう本を社会学者やジャーナリストを名乗る人たちは多分読まないんだろうけど、ハッキリ言う。この本には80年代の軽薄さのすべてが描かれている。ということは、すなわちバブルの発生と臨界を描いている重大な本だということだ。

そう。重大な本である。

反面教師として。

私はこれを読んで、はじめて日本におけるバブルがどんな時代だったかの実感を得た。私はその頃日本にはいなかったのだ。堀井憲一郎(以下ホリケン)は実に饒舌に、「僕らがどう殺されていったか」を描写する。あまりの饒舌ぶりに、彼の言説だけではなく提言まで信じたくなってくる人もいるかも知れない。

しかし、それを鵜呑みにしてはならない。

彼は言う。

pp.194
うまく逃げてくれ。

もしそれに従ったら、あなたは背中から撃たれるだけだ。このやり方は、まさにホリケンがそうして失敗したメソッドそのものだからだ。彼らは大人になることから逃げ、大人に与えられた数々のおもちゃと引き換えに未来から逃げた永遠のおとなこどもだ。その言葉は爽やかで、清潔で、そして空虚だ。まるでバブルの時代の建物のように。

私より11歳年上のホリケンは、いい年こいて一人称を「僕」と呼ぶ。目上、というより自分より実力が上のものに対し、謙虚さを示すときに使う「僕」ではない。その証拠に、本書は彼自身より下の世代に向けて書かれている。他人に対して責任を持たぬ、子供が自称する時に使う「ぼく」だ。ひらがなだったらよかったのににね、ホリケンくん。

彼は彼なりに「殺される」世代を心配して、恥を忍んで自らの経験を語り、「そうはならないでくれ」というメッセージを本書に込めている。そこまではきちんと聞いてあげよう。彼の体験談から得られることは多い。彼と彼の友人たちが、いかに「消費」に絡めとられていったのかは大いに参考になる。こういったことは、岡目八目で遠くから、「外から」見ればすぐにわかるが、そのまっただ中にいてそれに気がつくのはなかなか出来る事ではない。だからホリケンが「逃げろ」と語った対象の「若者」たちは、それを読むだけの価値がある。

しかし、そこで逃げたらホリケンたちと同じだ。

私は何も、さらに後に続く世代のために、負けを覚悟で血みどろの戦いをせよと言っているのではない。その方が、逃げ惑うよりよっぽど生存率が上がるからだ。あなたを追う対象に背を向けては、それがあなたにどれだけ肉薄しているかはわからない。後退するなら後退するで、あえて正面を向いて、反撃しつつ後退するのだ。

そして、日和見を決めている他の世代に、堂々と援軍を要請するのだ。

その方がただ逃げるより難しい。しかしその方がただ逃げるより殺されずにすむ確率は高く、そして面白い。そしてわれわれには、それをやりとげるだけの力がある。ここでいう「われわれ」は、私と同世代のもの、ではない。背を向けぬもの、すべてだ。

pp.124
70年代に若者が「自分たちのものだ」とおもったカルチャーは、80年代を通してゆっくりと分解されていった。マンガの無駄な部分を嫌い、おたくを切り捨てていった「若者に消費をすすめる社会」は、90年代には恋愛ドラマを売り出す。90年代は恋愛と携帯しか売られなかった。そして、恋愛と携帯からは、何も生まれなかった。

実に美しく空しい一節ではないか。手を動かさなかったものにふさわしい、キリギリスの墓碑銘である。恋愛も携帯はおろか、人が作った被造物がおよそ何も生み出さないのは当たり前ではないか。何かを生み出すのは、あなたやわたし、人である。

もっとも生み出す能力が高い時期に、消費にいそしんでいた彼らには哀れみも感じなくはない。そう。彼らには哀れみがふさわしい。彼らは哀れむ対象なのだ。ありもしない提言に耳を傾ける対象ではなくて。

年齢だけ上のおこちゃまの言う事を真に受けてはならない。

生き延びたければ、背を向けるな。退くときも進むときも。

時代という神は、自らの身を助くもののみを助くのだから。

Dan the Helper of Himself


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この記事へのコメント
dreamcastさん、
ありがとうございます。誤字脱字はここでは連続して来るから「連来」だったのでしょうか?引用した私にもさっぱりわけわかめ。これに関してはことえりを責めるわけにもいきません:)
自らへの戒めとして、
<strike>連来</strike>恋愛
としたかったのですが、引用部分だったので、普通に直しました。
Dan the Typo Generator
P.S. 今ちょっとわかった気がrenRaiと入力すると「連来」が確かに来ました。
Posted by at 2006年05月22日 17:46
ここは誤字を発見した場合には通知するのがルールのようですので。

>90年代は連来と携帯しか売られなかった。そして、恋愛と携帯からは、何も生まれなかった。

瞬間、「連来って何だろう」と思いましたが、すぐに「まあいいや」と思いました。
なぜなら、「連来」の部分に何が入っていても、たいした意味は無いからです。

その下の

>恋愛も携帯はおろか、人が作った被造物がおよそ何も生み出さないのは当たり前ではないか。

を読んで、DANさんと意見が一致していることを発見。

もしかして、そのためのギミック? だったらヤボな指摘、失礼。
Posted by dreamcast at 2006年05月22日 17:40