2006年06月01日 14:10 [Edit]

編集者はえらい、という話

これは「目からウロコが落ちる」というよりは、「目には一生落ちないウロコがついている」ことを自覚するようなものかも知れない。

H-Yamaguchi.net: 新聞記者はえらい、という話
目からウロコの落ちる瞬間、というのはうれしいものだ。今日もまた新しい「大発見」をして、ちょっと興奮ぎみなので、あまり時間はないが手短に書いてみる。たぶん、皆さんには先刻ご承知のことなんだろうが、私には新しい、そして大きな発見だった。

H-Yamaguchi.net: 新聞記者はえらい、という話
役員氏の答えは明快だった。記者というのはそういうものだと。あらかじめ何を書きたいかは決まっていて、それに添わなければあなたが何時間しゃべろうとも記事には反映されないのだ、と。

この事は、私も以前指摘している。新聞ではなく放送であるが、要諦は同じである。

404 Blog Not Found:小さすぎる「公の器」
放送による報道とは、実は編集者という作者が「ノンフィクション」という素材を「コラージュ」して作った「フィクション」であるといったら言い過ぎであろうか?

放送という、新聞よりずっと編集が難しいメディアでさえそうなのである、ましてや新聞は、というわけである。

しかし、我々が物を見聞きするというのは、実はそれだけで編集行為なのである。

ハコフグマン: もの言わぬもニュース
テレビというのは、こうした映像から得られる情報の全てがニュースなのであって、単なる文字情報を超越した情報性に最大の特性がある。これは活字メディアや、ネットのニュース速報も表現できない、テレビ中継や、新鮮なVTRがもつ力だ。

しかし見落としてはならないのは、編集は「何を撮るか」を決定する時点からすでに始まっているということだ。そこに視線を向けただけで、その視線から外れたものは「ボツ」になる。現場で取材するものは、その事を文字通り「見落とし」がちだ。

生きるということは、自分の人生を編集することであり、そして編集とは何を残し何を捨てるかを決める事である。

よって、

H-Yamaguchi.net: 新聞記者はえらい、という話
日本新聞協会のサイトにある「新聞倫理綱領」というのをみると「報道は正確かつ公正でなければならず、記者個人の立場や信条に左右されてはならない。」なんて書いてあるが、まあ問題ないんだろう。なにせえらいんだから。たとえ100%記者の脳内から生まれたとしても、それは個人の立場や信条に左右されているのではなく、客観的な論述になっている、はずだ。

という当たり前の文言は、実は自己否定にも等しい。「正確かつ公正な報道」の唯一の可能性は、「無編集で入って来た情報をそのまま提示する」ということになるが、それですら上記の「視線編集」の恣意から逃れられない。となると、「この世で起こった事すべてを、ありのままに複製する」ということになるが、これは宇宙そのものをコピーすることと同義で、そんなことは銀河伝承族でも不可能だ。証明終わり。

報道の価値は、何をどう報道するかではなく、何をどう報道しないかにある。その観点で言えば、捨てなければならない情報がより多いメディアほどえらく、よって新聞はTVよりえらい、ということになるだろう。

情報化社会というのは、情報が極度に増えた社会、では実は無い。実は情報は増えてはいない。宇宙というハードディスクの情報量が増えたわけではないからだ。情報化社会というのは、捨てる情報が減った社会のことなのだ。昔は自分で見聞きしたものだけが情報だった。その一部を書き写せるようになり、撮影できるようになり、録音できるようになり、録画できるようになり....と、以前なら「消えていた」情報が「残る」ようになった。そして慢性的な情報への渇望は、慢性的な情報の氾濫へと置き換わった。これが情報化ということである。

マスメディアの役割というのは、その忙しいみんなに代わって情報を編集してあげることにあった。「みんな」が似た者どおしだった時代は、「正確かつ公正な報道」というのは「みんなが一番正確かつ公正だと思っている情報」を流すだけでよかった。しかし今やその「みんな」をひとくくりにするのはずっと難しい。

Googleの凄かったのは、この「みんな」ぐらいしかなかった「くくり」を、検索語ごとにくくり直す仕組みを作った事にある。これではマスメディアはたまらないだろう。今まではトロール漁船で十把一絡げで漁るしかなかったものを、一本釣りされたうえきれいに仕分けされて、しかもトロール漁船の魚より安く提供しているのだから。

大西 宏のマーケティング・エッセンス:大政翼賛会の前についに公取委が白旗
あんなに、マスコミと政治家が大騒ぎしたということは、それだけ裏に潜んでいる利権を必死で守ろうとしているんだなと感じるのが自然でしょう。規制を撤廃しろという主張をどんどんやっておいて、自分たちだけは別だという虫のいい話、権力と規制に守られてのジャーナリズムって情けないと思わないのでしょうか。

マスメディアの一番の勘違いは、自分たちの編集能力が「特権」だと思っていることにある。実は見てのとおり、編集は誰でもやっていることであり、そして編集されたものは再編集可能なのである。自分たちが編集される側になるという可能性は、実は編集される側にまわらないと、頭ではわかっても体がついていかない。

いいではないか。好きなだけ規制に守ってもらえば。ありがたいことに新聞の購読は義務じゃない。もっともNHKの方は義務化する動きがあるが、少なくとも隣国と違ってチャンネルを固定する義務まではそれでもない。

自由とは自分の人生を編集する自由のことだ。私はそれを尊重する故に、マスメディアの編集の自由も尊重する。しかしその「被編集物」が売れるかどうかの責任を負う事もまたその自由の代償である以上、売れない編集を人のせいにするのだけは勘弁していただきたい。

Dan the Editor His Own Life


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もの言わぬもニュース【ハコフグマン】at 2006年06月05日 10:56
いやはや異常でした。ほとんどの人は、新聞の『特殊指定』問題など興味がなかったはずです。なにが問題だったかもわからなかった人も多かったのではないでしょうか。そりゃそうでしょう。ひとつにはそれこそ新聞社の『特殊問題』であり、さらに新聞社各社が反対の大合唱をや....
大政翼賛会の前についに公取委が白旗【大西 宏のマーケティング・エッセンス】at 2006年06月01日 16:07
この記事へのコメント
「特殊指定をはずすと文字文化が失われる」という主張は、「売れない編集を人のせいにする」典型例なんでしょうね。
ちなみにですが、私が書いているのは、ある種の新聞記者がやっているのは「編集」ですらなく「創作」である、という発見です。私はナイーブにも、「新聞記者というのは実際に発生している事実を伝えるために記事を書いている」(編集するにしても、よりよく事実を伝えるためにするもの)と思い込んでいたので、そもそも事実を伝えようとすらしていないという発見はまさに驚愕ものでした。
けっこう大きな反響のあった記事ですが、どうも私以外の多くの方にとっては先刻ご承知のことだったようですね。いやまったく、知らないというのはおそろしいものです。
Posted by 山口 浩 at 2006年06月02日 21:17
編集者は偉いなんて変なタイトルですね。
Posted by S at 2006年06月01日 15:58