2006年06月05日 02:25 [Edit]

過ぎたる機会は及ばざるがごとしか

いや、むしろ地味でも身に付けば潰しの利く能力と、派手でも潰しの利かない能力がほとんどなのではないだろうか。

                派手
                 ↑
潰しが利かない ←+→ 潰しが利く
                 ↓
                地味
雑種路線でいこう - 再チャレンジできればよいのか
世の中には派手で身につけば潰しの利く能力もあれば,地味で身につけても潰しの利かない能力もある.

もし市場が働くのだとしたら、自然とそうなるはずだ。ここで「派手」を、「みんながやりたがる事」、「潰しが利く」が「市場で高値が付く」、「地味」「潰しが利かない」をその反対として捉えると、「派手」な能力はそれが派手になればなるほど希望者が増え、価格が下がり「潰しが利かなく」なるはずだ。実際マスメディアやクリエイターといった「派手」な業種は、実に「潰しが利かず」、ガテン系のように「地味」な業種は実に「潰しが利く」ではないか。

もちろん「派手」な職能が「派手」なのには理由があって、「当たればでかい」からだ。少なくとも派手な業界の参入者はそれを承知している。だから「派手志向」の彼らに格差を説いてもむしろ逆効果だ。格差こそ、彼らが求めるものなのだから。

問題は、市場経済はこうした形で「派手さと潰しの利きのバランス」をもたらすはずなのに、「地味で潰しの利かない職能」が増えている、とより多くの人が感じていることにある。それはなぜなのだろうか?

職能が、多すぎるのである。

雑種路線でいこう - 再チャレンジできればよいのか
大企業ではこういったものに対しあまり賃金では差をつけず,適度なローテーションを行うことで,それなりにフェアな処遇をしてきた.

そのローテーションを、まわし切れなくなったのだ。

職種は、人口の増加を遥かに上回る速度で増加している。医者を例に挙げても、かつては内科と外科ぐらいしかなかったものが、外科一つとっても脳外科、循環器外科、形成外科....と職種は細分化されるばかりである。この細分化が、ありとあらゆるところで起こっている。

これはもう産業革命以来のかなり息の長いトレンドなのだが、ここに来てそれが加速しているようにも思われる。職種はますます細分化され、その細分化された職種に慣れれば慣れるほど転職は難しく、そう、一般的な意味で潰しは利かなくなり....というわけなのだ。

選択肢が増えれば増えるほど、再選択のリスクが高まる。そしてその再選択のコスト上昇が、階層を生む、というのが私の憶測である。

雑種路線でいこう - 再チャレンジできればよいのか
転職の自由があったところで,そんな世界を再チャレンジできる社会とはいえない

いや、問題はもっと深刻なのだ。転職の自由が大きくなればなるほど、転職リスクは大きくなるのだから。現代の先進国のおける職種は、それが高収入であればあるほど専門性が要求される。正規雇用が減る一方で過労死が後をたたない背景が、これだ。職種が増えれば増えるほど再チャレンジのハードルが高くなる。このジレンマを解消する方法はあるのだろうか?職種を減らしてしまう、という選択肢を我々が受け入れないというのは、ソビエト連邦の栄光と挫折を見ればあまりに明らかだろう。

麻生太郎オフィシャルサイト
全ての人が「仕事での自己実現を・・・」なんて煽られりゃ、世の中は失意と落胆に満ち溢れる結果しか生まないのではないでしょうか。豊かな時代には、「自己実現」を達成したくて頑張る者は思う存分やればよい。しかし、全ての人に創意工夫を求めて、「自己実現」を要求するのは間違っているのではないかと思います。今の時代は餓死する程の貧しさが存在する訳じゃありません。ニートはニートで彼らのペースで、スローライフをゆっくりと生きて行くことを、世の中が認めてもいいんじゃありませんか。

結局のところ、我々が受け入れるのは、「納得ベースの格差社会」なのではないだろうか。持てるもの、持たざるもの、ではなく、持とうとするもの、持とうとしないものによる格差なら、それは悪いとは言い切れない。重要なのは、

雑種路線でいこう - 再チャレンジできればよいのか
「能力に差があるから収入に差がある」?「収入に差があるから能力に差があるに違いない」という循環論法によって格差を正当化し,能力に差があるに違いないという思い込みに基づいてポストや教育,キャリアパスまでが二極化され,格差をさらに再生産されることである.

とならないことだろう。勘違いしてはいけないのは、収入の差は、あくまで生じた結果であって、能力の差という原因によるものではないということだ。自分の特技の換金性が高いか低いかは、まさに運次第なのだから。

もう一つ指摘しておきたいのは、支出の巧拙もまた能力だということだ。いや、私にいわせればそちらの方がずっと重要な能力だ。金をきちんと遣えない者に大金を渡すのは、金を遣える者に金を渡さないより罪深いことだと私は思う。バブルがなぜ発生したかといえば、前者のケースが増えたからではないか。1万円の遣い方しか知らぬ者達に、一億円を手渡してしまったからではないのか。

いっそ能力で選別せねばならぬのであれば、作る能力よりも遣う能力を吟味すべきかも知れない。

Dan the Man with Too Many Trades


この記事へのトラックバックURL

この記事へのトラックバック
仮説: 「ロングテール戦略が格差社会を生む」を検証していこうと思う。「格差社会」というテーマが最近ホットであるようだが、別の視点から「格差」を論ずることができるような気がしている。
ロングテール戦略が格差社会を生む【仙石浩明の日記】at 2006年06月08日 08:45
 過ぎたる機会は及ばざるがごとしか 自分の特技の換金性が高いか低いかは、まさに運次第なのだから。 まさにこれに尽きますなぁ。。  以前にも書きましたが、自分の持っている才能の価格は時代によって、  場所によって変わってくると思います。  僕の場合、た...
運次第【ひろのきまぐれ日記】at 2006年06月05日 20:44
独占的企業同士のPDFを巡る争い メモ 過ぎたる機会は及ばざるがごとしか メモ
2006-06-05【nitianyouyeの日記】at 2006年06月05日 08:18
この記事へのコメント
>1万円の遣い方しか知らぬ者達に、一億円を手渡してしまったからではないのか。
しかし、投資の局面には「長期的には筋が良いが失敗したかにみえる」というケースと、
「間違いだったけど結果として短期的に成功を手にした」というケースが存在するわけで、
金銭ベースでは「1億円を100億円に増やした」同じ結果があっても、
それは「使い方を知る人物」とあまりに素直に単純化できるの?
社会的ウラワザを使っている場合もあるよね?と思ったり。

1万円の遣い方しか知らぬ者達が、1万円の遣い方しか知らぬ者達に信用買いを入れる連鎖市場。
バブルになってそれが形成されたというよりも、そういう現象をバブルというのではないでしょうか。
土地成金、IT株成金…成金ってのは1万円の遣い方しか知らなかった者に大金が転がり込む事ですね。
成金で賑わうバブル市場に釣られ、泣きを見て逆上する姿ってカッコ悪いよねってことでしょうか。
Posted by なあし at 2006年06月06日 02:39
結局、左右の軸いらないじゃん。
派手な仕事か地味な仕事かだけじゃん。
Posted by Jack of All Trades at 2006年06月05日 23:49