2006年08月29日 12:30 [Edit]

平等は教育から

しかし、先進国の中で、日本ほど公教育が貧相な国は少ないのである。

今日行く審議会@はてな - 塾要らずの公教育は本当に素晴らしいのか
公教育の質の向上は常に求められる。しかし、それは公教育の担う役割を際限なく拡大することではないし、細分化してしまうことでもない。全て民か、全て公かというものでもない。「子どもが塾に通わなくても済むよう公教育の質を充実させる」というのは、間違っている。

本書「格差社会の結末」にも引用されている、教育指標の国際比較を見ればそれがよくわかる。

見ての通り、日本では教育に対する公的投資が低い。列挙されている国の中では最低だ。その結果、家計負担率は世界最高水準である。その率は6割近く。別の言い方をすると、日本では教育はすでに私的なもの、家庭のものであって公のものではないということになる。

それでもまだ、家計格差が存在していなければ、家計負担率が高くともそれが即教育格差とはならない。バブル前までは教育格差が問題視されていなかったのはそれが理由だったと思われる。しかし、この前提が崩れているのはご存じのとおり。

現状のままでは、生活保護を受けている母子家庭の子女と、高額納税者の子女とで同等の教育を受けるのは不可能なのは明らかだ。

にも関わらず、社会で「まっとうな地位」を占めるために必要な教育の質量は年々増すばかりだ。日本では義務教育は9年。かつてはそれで職に就けたのだが今は無理だろう。高校が事実上の義務教育化しているが、高卒でも苦しい。今や大学を卒業してやっと森永 卓郎氏の言うところのB級、年収300万円を確保できるというのが現状で、かつての「中流」、それもアッパーミドルともなれば、海外留学当たり前、修士博士でなんぼという時代である。

私自身は、一言でまとめてしまえば「中卒」である。が、大学には通っていたことがあるし、そこで日本ではまだほとんど知られていないTCP/IPを習ったからこそ、今こうしてペントハウスでこれを書くことが出来るのは事実だ。免状がないからだから教育を受けていないというのはいささか罰当たりだろう。

しかし、この公的投資、特に高等教育に対するそれが低いというのは、当時はそれが当たり前だと思っていたが、今思うとかなりしんどいことではあった。私はそれを家庭教師、塾、そしてTeaching Assistantといった「私的教育者」に従事することでまかなっていたのであるが、そのおかげでこの国に関する恩義はほとんど感じない。だから税金を払うときにも「今までろくに助けてもくれなかったのに、かっぱいだ上で実名と住所を晒すとは」という気持ちが強い。本来なら税率が低い、とくにキャピタルゲインに対する税率が低いことに感謝すべきなのだろうが。

「差社会の結末」もそうだが、教育の平等化を唱えぬ論者はいないといっても過言ではない。それこそが、格差を固定化しないためのアルファにしてオメガだからだ。

ただし、私自身は、本書のようにそれを公的教育を充実させるという方法は反対だ。なぜなら、「今後どんな教育が必要となるか」という「未来予測」に関して、公的教育機関はあまりいい仕事をしてこないし、また今後もしないだろうと思うからだ。

さすれば、どうすればいいか?

公的投資を、私的教育にまわすのである。

具体的な手法としては、フードスタンプならぬ「エデュスタンプ」を発行し、それで塾の月謝を支払うようにすればよいだろう。あるいはもっと直截的に、子弟にも銀行口座発行を義務づけ、その口座にリンクしたカードで支払うというのもいいかも知れない。それも、一定年齢以上になったら、親ではなく子供が直接その口座を管理するようにすれば、社会教育を兼ねることもできる。

目下のところ、これが「どんな教育を受けるかを自己選択する自由」と「どんな教育でも平等に受ける権利」を双方満足させる一番よいアイディアに思えるのだが。

Dan the Dropout


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この記事へのコメント
>しかし、先進国の中で、日本ほど公教育が貧相な国は少ないのである。

ざっと見た感想で言わせていただければ、単純に日本のGDPが高いだけではないでしょうか。
相対的にGDPに対する比が下がっただけともとれます。

フランスなどの実例を取れば、日本が教科書を毎年購入するのに対して、フランスは前年度の教科書を下級生がお下がりとして使用していますし、教科書のカラーも控えめです。
実際に自分の公教育が如何であったかを見つめると良いかと感じます。
Posted by 土方 at 2006年11月09日 20:04
>>んーさん

塾っていっても色々あるでしょ。
俺の通ってた塾はどこも勉強の本質に触れさせてくれたし、知的興奮を与えてくれたよ。
あの当時は公的教育なんて糞だと思ってたし、塾のほうが100倍楽しかった。
でも不思議と今になっておもうとどうでもいいかななんて思ったりするんだよねw
そんな俺はSEG→代ゼミ卒です。
Posted by jun at 2006年09月06日 04:18
いや、今の日本にとっては「無責任に子供を作りまくる人」が出てきてくれる方がいいのでは?
で、その子供が十分な教育を得て、社会に出てきてくれるという事は、国としては大きなメリットがあると思います。

貧乏人の子沢山で、教育も十分に与えられないのでは困ったものですが。

Posted by jiro at 2006年08月30日 11:34
チラッと見ただけですが、
年齢別人口比率を考えると、さほど貧相とも思えませんが・・・。
Posted by テツ at 2006年08月29日 23:50
「子どもが塾に通わなくても済むよう公教育の質を充実させる」というのは、正しいと思います。塾なんて同じことを繰り返し勉強することになるし無駄だよ。
それと、家計によって教育に差が出ないようにした場合は、無責任に子供を作りまくる人が出てくるし、お金がかかり過ぎると思う。
Posted by んー at 2006年08月29日 22:41
Dan the Dropoutとtheを使うよりaの方が感じいいな。私も立派にdropoutしたし。
Posted by 妻はフィリピーナ at 2006年08月29日 19:50
具体的には、この問題は公でなければできない教育と、私でやれるものを分離するのがいちばん簡単かもしれませんね。
公でなければできない教育は「国語」「算数」「社会」「道徳」「歴史」という国民国家を形成するための最低限の教養教育で、理科や算数・数学、英語、スポーツ、古文そのほか諸々は、わざわざ公が全国一律でやる必要はありませんね。
いっそ、科目を刈り込んで学校は3日、私塾に2日(場所は学校施設を間借りして)、選択内容は本人に任せるとしたら面白いかも。

「教育は差別的で残酷でときに無力だ。それでも、私たちは信じている。教育のチカラを」
Posted by 提督 at 2006年08月29日 17:05
>大学には通っていたことがあるし

大卒にはならないのですか?
卒業証明書がないのかな??
Posted by hima at 2006年08月29日 13:23
エデュスタンプという新造語はなじみがないので。
ご指摘のアイデアは,教育バウチャーと呼び名で流通しているようです。
(参考:キーワード [バウチャー site:go.jp] で google)
以前から提案はあるものの,なかなか実現しないですけれど。
Posted by JJon.com at 2006年08月29日 13:23