センセーショナルなタイトルだが、実は事実の半分しか指摘してない。
なぜなら、その裁判官たちに日本を滅ぼさせているのは、他でもない我々なのだから。
本書「裁判官が日本を滅ぼす」は、ノンフィクションであるが故に、カフカの「審判」よりも恐ろしい。目次をみるだけでガクガクブルブルである。
目次- 小野悦男を解き放った無罪病裁判長の責任
- 「痴漢はあったのか、なかったのか」―同じ証拠で逆の結論
- 犯人が消えてなくなった仰天判決
- 裁判上の真実は「本当の真実」とは無関係
- 医師も絶句する「医療裁判」の呆れた実態
- 元検事も激怒した金融裁判のデタラメ
- 無期懲役の殺人犯がなぜまた無期懲役なのか
- 遺族を怒鳴り上げる傲慢裁判長
- 法廷で不正を奨励するエリート裁判官
- 少年法の守護神となったコンピューター裁判官
- 光市母子殺人被害者「本村洋氏」の闘い
- 障害者をリンチで殺した少年は「感受性豊か」
- “言論取締官”と化した非常識裁判官たち
- 「言論の自由」を政治家に売り渡した最高裁
- 裁判官教育の失敗と教訓
しかし、なぜそうなってしまったのだろうか。
結局我々国民がそれを許してしまった、とするしかないと思う。
本書では最終章の「裁判官教育の失敗と教訓」がこの話題を扱っているが、そこを読むといかにこの国に裁判官が少なく、いかに彼らが抱えている案件が多いかがわかる。同書によると、裁判官は日本人3万8000人に一人しかいない。その珍しさは市町村の長なみなのだ。これでまともな判決を出してもらうというのがもうまともではないのではないだろうか。
予算もまた然り。「裁判所 | 平成18年度予算の概要」によると、その額わずか3331億円。国民一人あたりに直すと2623円にしかならない。
本書で綿密に描写されている、居丈高で鼻持ちならない裁判官たちの姿は、我々が裁判所を軽んじていることの裏返しとは言えないだろうか?むしろそこにおける裁判官たちの振る舞いは、敬して遠ざけられた者が取る態度としては普通にすら思えてくる。
訴訟大国の合州国においては、弁護士が珍しくないこともあってか、弁護士をネタにした冗句がそれこそ日本とは比較にならないほどある。Wikipediaにも項目があるぐらいだ。しかし、なぜか判事がネタにされることは少なく、また司法に関する問題で判事の質が疑問視されることも少ないように思う(このあたりは47thさんあたりの見解が欲しいところ)。
日本では「裁判長、異議あり」という台詞は、英語ではこうなるのだ。
Objection, Your Honor.
Your Honorなのである。原告も被告も陪審員も、判事をそのように扱っている。敬してはいるが遠ざけてはいない。Nigth Courtのようにsitcomまである。
裁判員制度の発足は、この状況を変えるのだろうか。
本書の一番の欠点は、虫瞰的視点からの描写に忙しすぎて鳥瞰的視点が最終章ぐらいしかないことで、実は本書自体今の裁判官が抱えているのと似たような問題を抱えているのだが、それでもその描写は、この問題を考えるにあたって外せない証拠である。要一読。
Dan the Lawmaker Maker
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