2006年11月07日 14:00 [Edit]
子供と共に育つ - 書評 - 父親のすすめ
日垣さんは、親父ライターである。その子育ての様子はエッセイのところどころに顔を出していたし、「子育て本」も本書以前に「子供が大事!」がある。
その日垣さんが、
pp. 188若気の至りで期せずしてなってしまった父親でしたが、あっという間に三人の子どもたちは巣立ちを迎えつつあります。淋しくはありません。巣立ったあとは、それぞれの人生です。おかげで、これからは子育てから解き放たれて、多少我慢していたことも精力前回でがんがんやれる。不謹慎ながら我が世の春という感じです。
という境地で上梓したのが本書だ。
タイトルからして想定読者は父親ないしその予備軍なのだが、むしろ子供にこそ読んでもらいたい一冊だった。私がもし子供のころ本書に巡り会っていたら、父親になるのにあれほど躊躇することもなかっただろう。
1958年生まれの日垣さんが「期せずに」父親になったのは23歳の時。ということはすでに日垣さんは人生の半分以上を父親として過ごしてきたことになる。一方私が父親となったのは29歳の時。私自身「期せずに」父親になって、それゆえ生まれてきた長女に「はずみ」の名づけたのも、とにかく自分が父親になることを受け入れるのにそれだけの時間がかかったということだ。この差は大きい。
父親になるのが早ければ、それだけ早く「子育て」が出来るのだ。
「子育て」というのは子供を育てる、ことではない。子供と一緒に育つことだ。
私は莫迦なので、実際に父親になるまでそのことがわからなかった。
日垣さん自身、父親となった23歳の時点で現在の形を想定していたわけではない。今でこそ日本有数のノンフィクションライターだが、当時彼は学生だったのだ。本書以外でも彼の作品には実に自然に自分の子どもたちが登場するが、それは彼が子供と一緒に育ったことの傍証でもある。
現在の「子育て本」に、一番欠けている視点がこれではないか。
なぜ私があれほど父親になることを恐れたか?それは自分が金銭的にも人格的にも、父親になった時点で父親として「完備」していなければならないという思い込みがあったからだ。「まだ自分がガキなのにガキがガキを育てるのか?」という思い込みである。
今ならわかる。ガキだからガキの親父となるべきなのだと。
もっとも、これは父親の立場だからそういえるという点もある。日本にはまだ子供と一緒に育った父親が認められる土壌はある。少なくとも父親となることはキャリアパスの邪魔とはならない。しかし母親の場合はそうは行かない。いや行かないとあまりに多くの人が思い込んでいる。社会も「母は専業」であることを前提にして設計されている。
父ですら、親となるのにこれだけの心理負担があるのだ。母ともなればそれはずっと大きいだろう。これを読んで「母親のすすめ」をさらに読みたくなった。いや、巷にあふれる子育て本ではない、たまひよでもない。よき母であることがよき女であることと矛盾しないことを示した、そんな「母親のすすめ」、だ。それに一番近いのは内田春菊や西原理恵子だが、いかんせん彼女達は凄すぎる。感服はしてもあまり参考にはならないと読者は感じるのではないだろうか。
その意味では、日垣さんのように、「平凡を積み上げて非凡にする」タイプの女性作家は以外に少ないように思える。はじめから非凡だったというタイプなら枚挙に暇がないのだが。しかし、blogsphereを見ればこのタイプの女(ひと)がいないわけではないのだ。「母親のすすめ」も以外と近いかも知れない。
Dan the Father of Two
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まにうけてみんながみんな子供作ると悲惨です。
すでに「できちゃった」人は
「俺の人生これでよかった」と思えるように
努力しないとなりません。
子アリ組みと子ナシ組み、今後日本の勢力マップは
どうなっていくのでしょう。子アリ組みは
当然仲間を増やしたいおで
「自分も成長しちゃうすばらしい子育てライフ」を
推奨します。
もう一度言います。
小飼さんや日垣さんはお金に不自由していません。
世に意見を言って聞いてもらえるのは強者であり、
強者は特別であるがゆえに逆に一般人に適用できるような
ことがなかなか言えない、というジレンマがあります。
勝組のジレンマとでもいいましょうか。
さて、あなたは生みますか?
いまはね。
弾さんはともかく,日垣さんが父親になったのは学生のときなので,その当時からお金に不自由してなかったのかは,かなり疑問です。
パソコンとネットを金儲けにつかうなんて
まるで原子力で爆弾つくるみたいな無粋な話です。
信じられません。
