2006年11月08日 01:45 [Edit]

いじめと個性

以下の記事が痛いニュース(ノ∀`):【いじめ問題】 「いじめ悪くない。いじめるのも個性」(小6)…「いじめる方が悪い」と思う中高生は半数以下で紹介されて盛り上がっている。

livedoor ニュース - [いじめ調査]やる方が「悪い」は半数以下 希薄な罪の意識
講演を聞いた大半の子は「人を死に導くものだと分かった」(公立中1年女子)と、いじめへの認識を新たにしている。ただ、ごく少数だが、こんな感想もある。「いじめが悪いとは思いません。人が(いじめを)やるのもその人の個性だ」(公立小6年男子)

「おまえら小6に釣られすぎ」という意見もあるが、ここはあえて釣られてみよう。


いじめは個性的か?

定義から見てみよう。

苛め・虐め - 国語辞典 - livedoor 辞書
肉体的、精神的に自分より弱いものを、暴力やいやがらせなどによって苦しめること。

Wikipediaの定義もこれを採用している。

確かにこれを見れば、「強い」という個性の持ち主が、「弱い」という個性を苦しめるのがいじめ、ともとれる。しかし、この辞書の定義は「いじめ」の実態を正しく描写しているだろうか?

いじめは一対一ではない。一対一からはじまるいじめもあるが、その段階ではまだいじめとは言わない。その「強い」ものに付和雷同するものがつき、そして残りがそれを傍観するという構図をとってはじめてそれはいじめと呼ばれる。いじめは多対一なのだ。これは辞書にもきちんと書くべきだろう。

さすれば、「いじめる個性」というのは個性の定義にあたらないことがすぐにわかる。数を頼むのもそれを無視するのも、没個性的にならねば出来ぬことなのだから。

もしいじめが個性の発露によるものであるのなら、それが起こる現場もまた個性的となるだろう。しかし実態はどうか?学校、軍隊、刑務所....個性を発露できない場所ばかりではないか。いじめられているのは、個性そのものであり、なぜいじめを看過できないかといえば、それが個性に対する冒涜だからだ。

いじめはかくも没個性的な現象なのだ。だとしたらその解決策もそれほど個性的である必要はない。手間がかからないということではないが、少なくともいじめの個性にあわせた個性的な対策というのとは異なる。具体的な手法は以前紹介したいじめの根を絶ち子供を守るガイド」で必要十分とすら思う。奇をてらう必要はないのだ。以前紹介したものではあるが、ここで改めて紹介する次第である。

livedoor ニュース - [いじめ調査]やる方が「悪い」は半数以下 希薄な罪の意識
一方、「いじめはなくせるか」との問いに「はい」と答えた比率は、学年が上になるほど少なくなる。

なぜ学年が上になるほど少なくなるか、といえば、学校や親といった、いじめを抑止してくれるはずの存在が実は傍観者として振る舞うことを経験を通して学んでしまうからだろう。「個性を尊重する」という言葉がリップサービスであることとあわせて。本当に個性を尊重しているのであれば、真っ先に対策しなければならないのはいじめであるはずだ。

真性引き篭もり/entry
いじめを減らすのは簡単である。改革を行うだけで良い。
それを行わないのは国家の怠慢であり、未来に対する犯罪である。

120%同感である。が、一つ付け加えさせてもらえば、それは国家に行わせていない我々の怠慢でもあり、そして未来に対する犯罪者とは実は我々自身なのだ。いじめは多数による少数に対する犯罪であり、それもまた我々がそこから目をそむける理由の一つでもある。だからこそ、手間を惜しんではならないのだ。しかし我々は手間どころか金さえ惜しんでいる。そのことは本blogでも何度か取り上げたが、ここでは「404 Blog Not Found:平等は教育から」を紹介するにとどめる。

個性の尊重というのは、元来手間暇がかかるものなのである。「いじめるのも個性」という台詞が小学6年生にもなって出るということは、我々がいかに個性を尊重してこなかったかの証しではないのだろうか。

Dan the Accidental Bully, the Occasional Bullied, the Frequent Bystander, and the Skeptical Witness


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この問題を抜本的、包括的に、また広く説得性のある論理を展開出来るほど問題自体が簡単ではないし、また、私の考えもそこ遥かに及ばない低レベルにしか錬れていない。この意味で看板に偽りありのエントリーです。 今段階書ける(言語化できる)だけの範囲を書くと、 まず実
なぜいじめはなくならないのか【物語り研究所「夢前案内人」】at 2012年07月06日 18:04
NHK「クローズアップ現代」11月8日:どうする 若者の“日本語力” 工場に書かれている「差異」という言葉の意味が分からず、会社に損害を与えた社員。これに対し、「こうした日本語の力の低下に携帯電話やパソコンの使用が影響を与えていることが様々な研究で明らかになって...
いじめ殺される日本語【佐藤秀の徒然\{?。?}/ワカリマシェン】at 2006年11月09日 21:06
いじめと個性[404 Blog Not Found] 元記事はこちら 別にいじめ
ヒーローの不在【* .fridge shell developers blog】at 2006年11月08日 15:12
404 Blog Not Found:いじめと個性 なぜ学年が上になるほど少なくなるか、といえば、学校や親といった、いじめを抑止してくれるはずの存在が実は傍観者として振る舞うことを経験を通して学んでしまうからだろう。 いじめをなくすことはできないと思うが、いじめられても健や
[チラ裏]いじめと共生するひとつの方法【O melhor lugar do mundo é aqui e agora】at 2006年11月08日 12:47
この記事へのコメント
>>11111111さん

小学生低学年くらいなら未成熟というのも分かりますが、中学生高校生になってそれは通じないように思います。


>>いじめる側が100%悪いさん

当然です。いじめる側が100%悪い。しかし悪い者を悪いと言っているだけで物事が解決するならとっくの昔にこの世は天国のような世界になっていることでしょう。
Posted by bob at 2006年11月09日 16:28
>悪い因子はシステムで完全に取り除けるという発想を平然とする人間が多い

禿同。こんなバカが多いからいじめが深刻化するのです。

余談ですが、私も子供の頃、陰湿なイジメに苦しんだことがあります。まあ手を出してみたら案外一人一人は弱っちかったので、立ち直ってしまった人間の意見ですが。
Posted by 初学者K at 2006年11月09日 10:22
>bobさん
子供のようなまだまだ未成熟な生物は、
自分がどんな選択肢を持っているのかすらよくわかっていません。

大人の外側からの視点で「なぜこうしないのだろう」というのは、
虐められている当事者の子供にとっての、リアリティを全く理解していないですね。

bobさんみたいな人が虐められている子供の親になったら、
子供の「逃げ場」を奪うような想像力のない親になるんでしょうね。

と最後は挑発してみる。
Posted by 11111111 at 2006年11月09日 02:51
ひとつ気になったんですが、いじめ調査の記事において、「いじめはなくせるか」という質問事態が全体主義的で偽善だと思いました。全く、現実的ではない。「いじめは減らせますか」という質問なら分かります。きっと勘のいい小学生でも大人ってバカな質問するなと思ったのではないでしょうか。この問題だけでないのですが、悪い因子はシステムで完全に取り除けるという発想を平然とする人間が多い事に寒気を感じます。
Posted by mikazuki at 2006年11月09日 02:13
いじめられる側も悪いとする意見には大反対です。加害者がいるからこそ被害者がいるのです。そもそもいじめがなければ、それに「対抗しろ、誰かが解決してくれるのは待つもはずるい」みたいな考え方をする必要もありません。「いじめはしょうがない」という考え方そのものが卑怯・臆病な考え方と思います。何故いじめるのでしょう。いじめは正しいことなのですか。いじめる側に精神的・或いは親の考え方(自分の子供がいじめられていなければ良いとのずるい考え方も含みます)・家庭環境が問題なのではないですか。例えは悪いかも知れませんが、泥棒に入られたら、「入られるような隙」を見せたのが悪いのですか、泥棒が悪いのですか。泥棒はしょうがない、泥棒に入られない対策をたてていないので悪いと言っているようなものです。泥棒を無くすことが、まず第一にやるべきことではないでしょうか。猛省をして下さい。
Posted by いじめる側が100%悪い at 2006年11月09日 01:36
なるほど、ということは虐められっ子の親も責任重大ということですね。「学校に行かなければならない」という思い込みを親が捨てることが一つの解決法でしょうね。
Posted by bob at 2006年11月08日 17:30
「逃げない」のではなく「逃げ場が無い」と感じてると思いますよ。
大人なら遠くへ逃げ出して一からやり直すという選択ができても、子供では
周囲、特に親の理解無しには逃げ出すことはなかなか難しいと思いますが。

戦うにしても孤立無援じゃ希望持てないですよ。
戦う足場もなければ逃げ場も見出せない人にこれ以上どうしろと。
Posted by Faulenzer at 2006年11月08日 16:53
逆じゃね?
肉体的・精神的に個性的だから、いじめられるんだと思う。
Posted by 名無し at 2006年11月08日 11:33
逆に考えると、いじめられるのは個性ということでしょうか。
Posted by esper at 2006年11月08日 10:32
>>bobさん
親が「理想的な子供」像を子供に押しつけて、結果として子供の「逃げ」場所を奪ってるとか。自分で戦うしかないので、負けると死ぬしか逃げ場所がない。
Posted by 初学者K at 2006年11月08日 10:28
我が友は「そもそも教育を国家に任せて良いのか」と問いました。
全てにおいて"一般的"ではない選択肢を選び得る可能性を排除しないことが"できること"であり、それは国家とやらもそうかもしれないが我々一人ひとりの意識の問題であろうと思う。
Posted by takupe at 2006年11月08日 10:08
虐めで自殺するというニュースを聞くたびに、私などは「自殺するくらいなら何故逃げ出さないのだろう?」と疑問に思います。DVやモラハラなどの被害者なんかがなかなか逃げ出さないのは精神が「共依存」という状態に陥っているからだと言います。虐めの被害者が逃げ出せないのも一種の共依存に陥っているからではないでしょうか?その点では虐めの被害者側にもカウンセリングなどを行い共依存の状態から抜け出させるという解決法があってもいいように思います。その共依存的な精神状態を解決しない限り周りが虐めを止めさせてもまた虐めの被害に遭うだけのような気がします。
選択肢は「自分で戦う」か「自分で逃げる」しかないのに、他の誰かが戦ってくれることを期待しているうちは虐めの被害者はいつまで経っても被害者のままでしょう。
Posted by bob at 2006年11月08日 07:39
批判されるのを覚悟で書きますが、虐められる側にも問題があります。
それは虐められる原因があるというのではなく、虐めが始まった後の対応に問題があるのです。
虐めが一度始まってしまった以上何もしないで元の状態に戻るということはありません。「降りかかる火の粉は振り払う」という言葉がありますが、降りかかる火の粉は振り払うか、それが嫌なら降りかからない位置に逃げるしかないのです。自分からは行動せず、いつの間にか状況が改善されるのを期待していても解決するはずがありません。
Posted by bob at 2006年11月08日 07:38