2006年11月09日 13:30 [Edit]
逃げるに逃げられなくなる前に
禿同しつつも考えてしまう。
逃げることは、決して負けではない (宋文洲の傍目八目):NBonline(日経ビジネス オンライン)自分の力でどうにもならないこれらの不幸から逃げることは、人生に欠かせない努力であり、義務だと思います。僕はそんな苦しみの中にいる人に何十回も何百回も同じことを言いたいのです。
「早く逃げてください」と。
それでは、なぜ彼らは逃げなかったのか、と。
「彼らが愚かだから」というのは愚かな答だ。
やはり「逃げるに逃げられない」から、あるいはそう思い込んでいるから、ということになる。
ソ連が崩壊するのに三四半世紀もかかったのも、我が隣国がなかなか崩壊しないのも、それが原因だろう。
しかし、なぜ逃げるに逃げられなくなってしまうのだろうか?
普段「逃げるにはどうしたらいいか」考えていなかったから、ということになる。
逃げるという選択肢は、留まるという選択肢より簡単では決してない。
できる人々には、それが分かっている。宋さんも私もかなりの逃げ上手の部類に入るだろう。逃げ延びたからこそ今がある。逃げるのが安易だと思っていたら、とっくに「捕まって」いたはずだ。
とはいっても、逃げるための準備は、根本的には二つしかない。
何を一緒に持って行くか、そしてどこに逃げるのか。
これさえおさえておけば、いつでも逃げ出せるようになる。そして面白いことに、いつでも逃げ出せるという心の余裕が、そこに踏みとどまる力となることも多いのだ。
それでは、いつでも逃げ出せるようにするにはなるべく大事なものを持たぬ方がいいのか、といえば、それは違う。特に配偶者や子供というのは、この文脈からは「足手まとい」という思い込みをしやすいが、そんなことはない。実は、こういった「必ずおいていけない」人々は、逃げる際にも力になるのだ。
よく「転職したいけど、妻子がいるから無理」という人々がいる。しかし彼らは妻子にそこから逃げたいことをきちんと打ち明けたのだろうか?きちんと打ち明けた上で退職を選べば、むしろ妻子がいることで次の職、すなわち「逃げ場」を探す目もより研ぎすまされる。むしろ一人の時よりも逃げ上手になるのだ。
それでもどうしようもないとき、背水の陣しか引けないときというのはたしかにありうる。そういう時には腹をくくるしかない。しかしその際にも、逃がすべき大切な人がいるのといないのとでは出る力が全然違う。それがひいては「生存率」の向上にもつながる。追いつめる側の立場にたっても、ただ必死な人と逃がすべきもののために必死なのとでは、後者の方がずっと手強い。
もっとも、そういう状況に陥らないようにするよう日頃から注意するのが肝要なのだが。
一つだけ確かなことがある。
皆が逃げ出してからでは遅いのだ。
Dan the Runnaway Kid
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>ソ連が崩壊するのに四半世紀もかかったのも
四半世紀って25年のことですが…
66年頃に崩壊すべきだったってことでしょうか?
「三」が抜けてました。
「四半世紀」だと、崩壊は1941年ということになりますね。
ヒトラーに滅ぼされちゃったことになっちゃいます。
Dan the Typo Generator
結局逃げられないから強くなる、腹がすわる
というまったくもって旧来の方法。
妻子から逃げたい人はどうすればいいんだ〜
といううめき声が聞こえてきそうです :-p
こういう場合普通は3四半世紀と書くもんですが。間違いとかということでなく、読みやすい。