2006年11月09日 21:30 [Edit]
書評 - ダメな議論
本blogでも「ダメな議論」系の書評はかなりしてきたが、そのものズバリのタイトルの本が本書である。
タイトルどおり、本書は「ダメな議論」のダメ出しを、新書の紙幅のゆるす限り徹底的にした本である。
- タイトルが示すようにダメなものは何か、というネガティヴチェックに重点を置き、
- 具体例として経済ネタを取り上げている
という点に偽りはなく、その点においてはずいぶんと参考になる本であり、税込み714円以上の価値は確実にある。のだが....
ダメ出しで終止してしまっている。
「それでは、よい議論とはかくあるべきか」という提言が見当たらないのである。
これは、著者の飯田氏に限らず学者という学者に共通した宿痾で、特に経済学者に顕著に見られるというのは私の偏見だろうか。
だから、どちらかというと読後感は「やはりこういう議論に陥らないよう気をつけよう」というより、「はいはい、ああいってもこういってもダメな議論とおっしゃるのでしょうねえ」という投げやりなものになりがちだ。「反社会学講座講座」の洒脱さや、「経済学的思考のセンス」の誠実さや、「統計数字を疑う」のような懸命さをあまり感じることはできなかった。これは単に私が食傷しているというだけで、読む順番が変われば別の感慨も浮かんだのだろうか。
例えばGDPの話。
p.86「GDPこそが豊かさを測る最前の統計である」と考えている経済学者などいません。
ここまではいい。
このような主張への反論は「豊かさを表す別の指標である××は財政政策によって低下する」というものでなくては行けません。
これも結構。
しかし肝心の××が登場しない。一番知りたいのはその××なのだが。
我々のほとんどは経済学者ではない。同学の学者どおしが議論を戦わすのは大変結構なことだ。しかし、我々のほとんどは、学者のみなさんの議論を吟味するだけの時間も余裕もないのだ。どんなにダメな結論でも、終わらない議論に勝ると思うのが、全知でもましてや全能でもない我々の本音なのではないか。
飯田氏は、もっとも見苦しい論法として属人論法を挙げる。属人論法というのは、以下のような論法のことである。
p.109批判する相手が学者や官僚であれば「実社会の経験もないくせに...」、大企業の役員であれば「エリートの論理だ...」、若手のIT長者に対しては「成金の考えることは...」などと発言者の経歴に合わせて、いくらでも批判の言葉を考えることができます。
議論の参加者、あるいは傍観者としての私は、この批判に大賛成である。しかし決断者、そして責任者としての私は、属人論法を切り捨てられない。なぜ我々が属人論法、すなわち「何を言ったか」よりむしろ「誰が言ったか」を気にするかといえば、その属人性こそがその言葉の担保となることが多いからだ。外れても制裁のないconclusionと、外れたら制裁が待っているcommitmentでは、やはり重さが違うではないか。
おそらく我々が属人論法から完全に開放されるのは、人間が逆立ちしても叶わない知性の登場を待つしかないのではないだろうか。その日までは危うくも人々を納得させる力を持つ属人論法から目をそらすことは出来ないだろう。学者たち自身をも含めて。そしてそれはまさに議論の終焉をも意味する。
しかし、議論のための議論はあってもいい。ある意味最高のエンタテイメントでもある。そのためのpodiumとしてblogosphereというのは最高の場所だ。だから、bloggerであれば本書は絶対に役に立つ。
それでも「議論の先にあるもの」を期待してしまう私は貪欲なのだろうか....
Dan the Economic Animal
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>特に経済学者に顕著に見られるというのは私の偏見だろうか。
慧眼です.ただし経済学者というのはちと言い過ぎで,応用計量経済学者・実証分析専門の研究者(僕もその一人)に顕著な傾向といえるでしょう.これは,統計的推定の方法論に由来します.統計から言えることは主に「××は95%有意に誤りである(例えば,95%有意で金融政策はGDPを押し上げないとは言えないなど)」であって,積極的に「××である」と主張することは出来ません.そのクセが染みついている結果でしょう.
>「それでは、よい議論とはかくあるべきか」という提言
は,「良い議論とは,本書に書かれているネガティブチェックに引っかからない議論であるべきだ」ということです.
>しかし肝心の××が登場しない。一番知りたいのはその××なのだが。
一応,前著ではそれを中心にしたので,今度は純粋に方法論のみに集中した記述を心がけました.
それ以降のコメントとトラックバックを追ってみたものの、「属人論法がなぜ排除できないか」という話以外に、広げて面白いこともないと思うのですが。
上記の飯田さんのコメントは、専門家のコメントとして面白かったです。
『このような主張への反論は「豊かさを表す別の指標である××は財政政策によって低下する」というものでなくては行けません。』
××は たとえば、『自尊心』『自立心』『独立心』などが明確に(簡単に)当てはまると思います。
自立心や自尊心は 豊かさの指標だと思います。多様性の尊重や個性の尊重にも通じます。
すると経済学は やがて社会学や心理学の分野へも波及せざるを得なかったのです。
行き着くところは哲学にもなりますが、そもそも経済学は哲学的な分野から発生したものですし・・・・
哲学的な経済学に対抗して生れたのが計量経済系の分野の経済だったような記憶があります。
計量経済が行き着いた場所は市場原理主義であり、市場原理主義の先端では今や哲学への回帰現象が散見されます。
21世紀こそはまさしく学際の時代に入って来たと思います。
オートマティックに「じゃ、お前の論は?」で突っ込む。
思考終了。
少しは脳みそ使えばいいのに。
