2006年12月14日 05:45 [Edit]
バラエティとバリエーションの違い
読む方はとにかく、しゃべった後の編集は楽とはとても言えない。
池田信夫 blog バラエティ化する新書座談会という形式は、日本独特のものである。菊池寛が『文藝春秋』で始めたといわれ、しゃべるほうも文章を書くより楽だし、読むほうも流し読みできる。
現時点で私が文章を起こす仕事の中で圧倒的に一番大変なのはあの連載ということは書き記しておきたい。
それはさておき、本題。
池田信夫 blog バラエティ化する新書バラエティのように楽に読める本を読者が求めるのなら、それを供給するのは営業的には当然だが、こういう安易な企画で読者をバカにしていると、そのうちしっぺ返しを食うだろう。私にも「語り下ろしで新書を書かないか」という話があったが、お断りした。著者にとっても自殺行為だと思うからだ。バラエティによって民放の視聴率は上がったが、社会からバカにされる企業になったことに出版社も学んだほうがいい。
しっぺ返しの代わりに返本、というのはさておき、新書の魅力は、なんといってもそのコンパクトさと値段の安さ。通常の単行本一冊の値段で、二冊買える。はっきり言ってこれは大きい。
「クソ本」に対する許容度が、格段に上がるからだ。
私はスタージョンの法則を信じる。というよりどうあがいても逃れ得ないと悟ってしまった。さすれば、そこで得られる最高品質の製品数を倍にしたければ、母数を倍にするしかないのだ。仮に一年に10冊しか本を買わない人が、その中でお気に入りの本を一冊しか見つけられないとしたら、今度は同じ金額で20冊買うことでき、お気に入りの本は二冊に増えるだろう。
新書の今ひとつの魅力は、今まで著者とならなかった人が本を書く機会が格段に増えた事。例えば「解剖男」遠藤秀樹などは、新書というメディアがなければ一般に知られる機会はずっと少なかったのではないか。「電波利権」とてその例外ではないはず。「バカにされることを恐れよ」という姿勢は、実はそれこそが読者をもっともバカにした行為ではないのだろうか。
むしろ私として懸念しているのは、「著者の使い回し」の方である。日垣隆のようなプロのライターであれば、まだ「どの程度までネタがかぶっても許されるか」などの間合いをきちんと測りながら量産しているのでまだいい。問題は、「別の道のプロ」にしてプロでない著者が、たまたまヒットをあててしまったために「乱掘」されていることだ。養老孟司などが今やこれに近いかも知れない。
同じ人物を必要以上に使い回すこと、これこそがTVのバラエティの思想だ。なぜTVがつまらなくなったかといえば、同じ芸能人ばかり使っているからだ。芸人が本来不要なはずのクイズ番組まで、芸能人にやらせている。はっきり言って今のTVは芸能人の職安だ。どこのチャンネルをまわしても同じ芸人が同じ芸をしている。もうおなかいっぱいである。
新書は、そうならないように気をつけさえすればいい。出版点数が倍になったら、著者あたりの出版点数を倍にするのではなくて著者数を倍にすればいいのだ。バラエティ化でなくバリエーションの追求。だからこそ、同一著者が点数を増やさなくてもよいよう、印税率を上げてほしいのであるが....
Dan the Bibliomania
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「電波利権」なんぞという「情報」以外なんにもない
お粗末な書物より「ウェブ人間論」のほうがはるかに優れた本ですよ池田
は物を考える力はありません
他人を理解する能力もありません
来年は10冊のうちに2冊あるのかもしれないし、同じ金額で20冊買ったうちに1冊もないこともありうるけど…そういうことを問題にしてるんじゃないですね。