2006年12月14日 09:30 [Edit]

表現としてのソフトウェア

今回のWinny判決で原告の側からも被告の側からもそれほど追求されなかった課題がある。

ソフトウェアと表現の自由、である。


「Winny 憲法」で検索すると、引っかかるのは「プロバイダーによるWinnyパケットの規制が憲法違反でないか」というものばかりで、Winnyのリリースそのものが表現の自由であるという主張はあまり見つからなかった。その数少ない例外が、Matzさんの以下のentry。

Matzにっき(2004-05-11)
日本国憲法には
第19条 思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。
第21条 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
2 検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。
[日本国憲法より引用]
とあるのだが。法治国家としてはゆゆしき事態では。

私もこれに全面的に同意する。

ソフトウェアというのは、道具である以前に表現なのではなかったのか?

少なくとも、それがオープンソース、いやその源となったフリーソフトウェアの思想である。

The GNU Operating system - the GNU project - Free Software Foundation - Free as in Freedom - GNU/Linux
  1. The freedom to run the program, for any purpose (freedom 0).
    [目的を問わずソフトウェアを実行する自由]
  2. The freedom to study how the program works, and adapt it to your needs (freedom 1). Access to the source code is a precondition for this.
    [ソフトウェアを解析し、目的にあわせて調整する自由。ソースコードへのアクセスはその前提条件となる。]
  3. The freedom to redistribute copies so you can help your neighbor (freedom 2).
    [隣人を助けるために複製物を再配布する自由]
  4. The freedom to improve the program, and release your improvements to the public, so that the whole community benefits (freedom 3). Access to the source code is a precondition for this.
    [プログラムを改良し、そして社会全体が利益を得るようにその改良点を公にする自由。ソースコードへのアクセスはその前提条件となる。]
[抄訳は弾による]

もちろん以上の主張はもう一つのcode、すなわち社会における法とかち合う。しかしその根底には、ソフトウェアが表現であるという思想があるはずだ。

ときに被告側は、「ソフトウェアの作成は表現の自由であり、またソフトウェアの公開は出版の自由である」という主張をどの程度行ったのであろうか。またその主張が行われたとして、検察側はそれに対してどう答えたのか。「asahi.com:「ウィニー」裁判、判決要旨?-?社会」を読んでもいまいちピンと来なかった。

このあたりの「欲求不満感」を、この裁判をずっと傍聴してきた佐々木氏は「ネットvs.リアルの衝突」のあとがきでこう述べている。

なぜ彼は「殉教者」となる道を選ばないのだろうか?--と、私は身勝手なことを考えた。無罪を勝ち取るためにはそんな選択肢はあるはずもなく、それは裁判の被告席に立たされている金子被告の心情をあまりに無視した勝手な考えだと思いながらも。

外野がとやかく言うのも気が引けるけど、むしろ金子氏は「Winnyは私の表現」と言い切ってしまった方がよかったような気もする。「著作権侵害を蔓延させる」というのは、口で言っただけならそれは単なる思想の発露であり、憲法21条で保証された権利の範囲内だという主張だ。「技術の進歩」を主張するよりもむしろそちらの方が、より有利な判決が導き出せたのではないだろうか。

みなさんに、問いたい。ソフトウェアの作成および公開は、「表現」なのかそれとも「行為」なのか。

Dan the Free Expressionist


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昨日の引き続きWinny関連で404 Blog Not Foundより。こういう切り口もあるのねえ、という感じで、妙に納得させられてしまったりするわけですが、そんなことよりも。 みなさんに、問いたい...
ソフトウエアは「表現」か?【いとーけーのページ】at 2006年12月14日 12:01
表現としてのソフトウェア (404 Blog Not Found さま) Matzにっき(2004-05-11)日本国憲法には 第19条 思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。 第21条 集会、結社及び言論、出
そも、この国の「表現の自由」って、かなり限定的じゃね?【国民宿舎はらぺこ 大浴場】at 2006年12月14日 11:50
この記事へのコメント
私は「ソフトウェアは表現」派ですが、Winnyの問題はそこではないようですね。やはり、何を表現するために作ったか・公開したか(目的、意図)が焦点になるのではないでしょうか?
ソフトウェアを作る自由は認められるべきだと私は思います。しかし、ソフトウェアが一方でユーザに利用される道具である以上、どう利用されるか容易に想像できた状況においてWinnyのようなソフトウェアを公開・配布することには過失が問われて当然ではないかと思います。(「人を殺したくてしょうがない」と言っている人に包丁を渡すという行為は犯罪でしょう)
#金子さん以外にも罪深い人達が大勢いると思うのですが(雑誌など)

あと、「ソフトウェア開発に関する法的制限」に関していえば、高木浩光さんが日記で考察されていますね。
http://takagi-hiromitsu.jp/diary/20061212.html#p01

すいません、長くなりました。
Posted by Tets at 2006年12月15日 10:04
ソフトウェアは著作物。
だからWinnyで送信可能状態にすると著作権侵害となる。
てことはWinnyもまたソフトウェアなので、著作物。

著作権法によると、著作物とは、
「思想又は感情を創作的に表現したものであつて、文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するもの」
なんだそうだ。

つまりWinnyは「表現したもの」。
Posted by momonga at 2006年12月14日 23:08
ソフトウェア作成、公開は単なる「表現」だけに留まる存在ではなさそうです。今回の件しかり、特許問題しかり、ソフトウェア公開については充分注意が必要です。

ただ、小飼さんのおっしゃるとおり、彼が「初めから」ソフトウェアを表現と主張し、現行の著作権に挑戦しようとしていなければ、この判決は無かった気がします。
Posted by yt at 2006年12月14日 19:02
>みなさんに、問いたい。ソフトウェアの作成および公開は、「表現」なの
>かそれとも「行為」なのか

お答えします。ソフトウェアの作成および公開は「表現行為」です。
というか、こういう法律の揚げ足取り的な反応は、法の取り扱いに長け
た「法律屋」の餌食になってしまうだけで不毛でしょう。

「上に法律あれば、下に対策あり」でいくしかないわけで。
Posted by 憲法だの表現お自由だのを語るにしては、あまりにも隙だらけではないか? at 2006年12月14日 16:56
 たとえば、暴力団の経理プログラムを請け負ったプログラマが有罪になる判決が過去にでています。そうした過去の判例の総体を相手にして違憲判断を下すという作業を佐々木氏はまったく考えていません。誰にもチェックしてもらわなかったのだろうか...。
 そこに山があるからつくった(http://danblog.cocolog-nifty.com/attorneyatlaw/2006/12/post_c2a7.html)
という真実をもって起訴理由を否定しているのに、「暴力革命を実現するという思想にもとづいて行動した」という起訴理由を一部認めれば面白いのになあ、と妄想するジャーナリストは無責任すぎます。しかも本にしちゃったのか...。
 起訴理由を否定する以上のことを求めることはできない、という留保をつけて問題提起するのが誠実な態度でしょう。
http://orion.mt.tama.hosei.ac.jp/hideaki/inetmag040627.txt
Posted by s-yamane at 2006年12月14日 15:55
この辺のことも含めて、弁護士の選任を誤ったような気もする・・・。
Posted by Sue at 2006年12月14日 14:54
ことフリーソフトに関して言えば表現だとしか思えないですがね。
ウィルス製作者にも同じことが言えますが。
Posted by WXG2007 at 2006年12月14日 14:41
刀剣が表現であると同時に凶器であるように、Winnyも野に放ってはいけない道具だったのだと思います。
ただ、刀剣は銃刀法で規定されていますが、ソフトウェアはどうなのか。

いっそWinnyをウィルスと定義して、刑法第234条の2、電子計算機損壊等業務妨害罪にある
「人の業務に使用する電子計算機に不正な指令を与え」
の部分に抵触するとするとか(http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/COLUMN/20061201/255707/)
ただ、一般の使用者は業務ではないだろうと。

とすると、Winnyを裁ける法は日本にまだない、と。
ウイルス作成罪はいつになったら成立するのか
http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/COLUMN/20061201/255707/
これが2006/12/06の記事ですからね。
Posted by ken_wood at 2006年12月14日 14:15
カスラック工作員必死だなw
Posted by ワロス at 2006年12月14日 13:27
> ソフトウェアの作成および公開は、「表現」なのかそれとも「行為」なのか。

「行為」

昔はプログラムを書くことは「表現」だったけど、今はプログラムで「道具」を作ること。
Posted by 飯 at 2006年12月14日 13:25
>ソフトウェアの作成および公開は、「表現」なのかそれとも「行為」なのか。

私にとっては単なる「収入源」です。
Danさん、もうちょっと落ち着いては。
第三者的で冷たい言い方かもしれないけど、
あなたの価値観を認めている人たちばかりではない。
Posted by clausemitz at 2006年12月14日 12:37
「表現の自由」や「出版の自由」は国家の圧政から人々を守るために作られました。
しかし、表現や出版が一般私人の権利を侵害する場合は、「表現の自由」や「出版の自由」も絶対ではなく、制限があります。
例えば、ある人を誹謗中傷した場合、中傷した人は表現の自由では守られません。
winnyの場合、被害者である著作権者達は一般私人です。
百歩譲ってソフトウェアが表現であると認められたとしても、判決の結果は同じです。

※次々と中学生のような稚拙な反論を撒き散らすのはいかがなものか(苦笑)
Posted by ? at 2006年12月14日 12:11
どんな場合でも表現の自由を行使してよいとは言えず、無罪主張のアプローチとしては無意味です。
現状の問題があるとすると、ソフトウェアにとって、どんな場合にOKでどんな場合にNGかの社会的なコンセンサスが無い、または計りづらいということなると思います。
Posted by 同上 at 2006年12月14日 11:59
「表現の自由もまた、他の基本的人権同様にその濫用によって他者の人権を侵害してはならないと解されている。」
 表現の自由 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A1%A8%E7%8F%BE%E3%81%AE%E8%87%AA%E7%94%B1
Posted by 通りすがりde at 2006年12月14日 11:51
結局のところ、違法にソフトをやり取りしている奴らを摘発するより、
Winnyの作者一人を捕まえるほうが、京都府警にとっては効率がいいと
いう単なる手抜きなんだろうけどね。

と現在の結果だけ見て言ってみましたよ。
Posted by x at 2006年12月14日 10:54