2006年12月27日 13:30 [Edit]

創価学会と総科学界の違い

その「穏健な宗教」とは一体何なのでしょう。

404 Blog Not Found:お互いの領分 - きくちさんのコメント
僕は「穏健な宗教は科学と共存できる」と書きました。すべての宗教にあてはまるわけではないとも書いたはずです。事実、僕はいろいろな場面で、「我々はオウム真理教事件を精算したか」と言っています。

「他者に暴力をふるわないこと」でしょうか?

もしそうだとしたら、エセ科学のほとんどはほとんどの宗教よりも「穏健」ということになります。水からの伝言に耳を傾けても仏壇は壊れませんし、自分の脳内で革命を起こしても他者は傷つきません。もちろん革命を輸出しようとした場合は話が別ですし、革命の輸出にあけくれていると本業が傾くかも知れませんが。

「反社会的でないこと」でしょうか?

もしそうだとしたら、今宗教として認められているもののほぼ全てはその黎明期には反社会的だったことに目をつぶっていることになりますし、逆にどんな暴力的な宗教でも、一旦社会に認知されてしまえば「穏健」ということになります。実際新興でない、地歩を獲得した宗教のほとんども、もし2006年の現在突如として姿を現したら、オウムどころではない物騒なものばかりです。

私は、穏健な宗教というのはありえないと考えています。

穏健な宗教だけではありません。穏健な科学も、また。

そこに利権がある限り、両者が何も干渉せずに互いの領分を犯さずにいられるということはありえません。ありえるのは、武装した者どおしによる休戦協定を絶えず更新し続けることでしょう。「剣なき預言者は滅びる」というわけです。もちろんそれを「穏健」と定義しても構わないのではありますが。

以上を踏まえた上で、

僕の最後の質問は「創価学会が水伝並に反科学的な言説で影響を与えていると主張されるなら、具体例を教えてください」でした。

という質問の答を考察してみます。

まず私は「創価学会が反科学的」とは言っていません。「科学的」とも言っていませんが。しかしその影響力の源が何であれ、社会に対して影響を与えているのは事実です。水伝とは比べ物にならないほどの。日本で「学会」という言葉が曖昧になってしまうほどの。

本来の学会、すなわち「学者の集まり」の方は、一宗教団体の名前が最も有名、そしてもしかしたらかつ最も有力な「学会」であることに、何ら感じることはないのでしょうか。これがまず第一点。

もし「反エセ科学キャペーン」の目的の一つが、「科学の名を貶めさせない」ことにあるのであれば、「学会」という言葉が曖昧になっている今の状況を「スルー」していることは不可解です。もちろん「学会」は科学でなくても「学」と名がつけば、頭につくのが「と」でも「創価」でもOKというのが「穏健」なのかも知れませんが。

第二点は、その影響力そのもの。その善悪は抜きにして、創価学会は公明党を通して国会議員を送り出し、聖教新聞という日刊紙も持っています。彼らは文字通り国を動かす力を持っているわけです。科学者のコミュニティはどうなのでしょうか?「科学族」議員がいるかどうか私は知りませんが、聖教新聞よりよく読まれている科学誌が存在しないことは私も知っています。

そして第三点が、穏健性。「穏健な宗教などない」と冒頭で申し上げましたが、「穏健」という言葉はまた科学的に定義するのが不可能でなければ困難な言葉であり、その定義は三者三様であり、当然所によっても変わります。創価学会は、日本においては「科学と共存できる穏健な宗教」なのかも知れません。しかしその創価学会もフランスでは「セクト」に認定されています。科学も宗教も(人類単位では)普遍的なはずなのに、日本では共存可能でフランスでは共存不可能というのも変な話です。

それでもまだ、創価学会の影響力が「自衛のための抑止力」でとどまっていれば、まだ科学やその他のもろもろと「共存」していると言えるかも知れません。しかし彼らが送り込んだ国会議員は飾りではありません。ちゃんとお仕事をしております。その仕事の一環として、彼らは政府に地域振興券を発行させました。総額、6194億円。すばる一ダース、Spring8五つ、科研費3年分払っておつりが来る額です。

ここで、私は創価学会の善悪は問題にしていません。単に「多大な影響力を持ち、かつその影響力を自らの利益(interest)のために有効活用している団体」の例として取り上げています。きしょいのを承知で申し上げますが、こうした姿勢は日本の科学コミュニティにもっとあってもよいのではないでしょうか?確かにそれは浅ましく、研究の邪魔以外のなにものでもないかも知れませんが、ただ立派な研究をしていればそれは社会に受け入れられるというのは、「終わりなき経済成長」を信じるのと同じ位牧歌的な考えに思えます。

科学、はとにかく、科学者もまた社会から影響を受け、また社会に影響を及ぼす存在である以上、自らの影響力に対してもっと「確信犯」になった方がよいのではないでしょうか。そしてもし自分たちが「影響力の拡大と有効活用」という、浅ましく「非科学的」な活動に向かないということであれば、もっといい「用心棒」を雇った方がいいのではないでしょうか。

Dan the Taxpayer


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水伝から派生した小飼弾氏のブログでの論争【ミーム吉田のネットニュースクリッパー】at 2006年12月27日 17:42
この記事へのコメント
> 警備員は、「本物の警官だと誤解させる」ためにああいう格好をしている> 訳ではないのです。
> 警官と似た格好をすることで発生する心理的効果を狙っているだけです。
> 誤解する人は少ない。それにも拘わらず、心理的な影響は受ける。

> 水伝は、「言葉の善し悪しを水に判定させる」ことなんかにはなっていません
> もしもそうなら「馬鹿と言ったら、綺麗な結晶ができた。だから、馬鹿は良い言葉だ」といったような主張になるでしょう
> 水伝シンパさんが、そんなこと言い出しますか?
> そういう話ではなくて、「良い言葉を発することで世界を良くしましょう」というのが水伝の主張です
>
> 水伝は、主観的善悪の判断に合わせて「事実認識を恣意的に操作」する(ことを推奨する)話であって、
> 事実認識を善悪の判断の根拠にした話ではありません。

28. 警報マン — November 1, 2008 @12:26:07
http://s03.megalodon.jp/2008-1101-1228-58/www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/index.php?UID=1221300325
50. 言葉革命 — November 1, 2008 @11:15:18
http://s01.megalodon.jp/2008-1101-1209-25/www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/index.php?UID=1223820038
Posted by 菊池誠氏の実像に迫る!w at 2008年11月01日 16:10
ガードマンが「自分とこの警備会社の宣伝」して、何が悪いんだ?
Posted by ニセ科学批判、って… at 2008年11月01日 16:07
>擬態するガードマンをいじめるようなものでは?

ガードマンの中に擬態したセールスマンが混じってるからじゃね?
Posted by 名無しさん at 2008年10月27日 17:13
科学による偽似科学攻撃は、警察が自分を擬態するガードマンをいじめるようなものでは? - SeaMountの雑記と書庫
http://d.hatena.ne.jp/SeaMount/20080522/1211488635
《4.仮説の自由と「ニセ科学」のレッテル》へのコメント…付:論議しながら考えた妄言など - SeaMountの雑記と書庫
http://d.hatena.ne.jp/SeaMount/20081024/1224798425


94 :ご冗談でしょう?名無しさん:2008/10/25(土) 16:27:41 ID:qb3GvT4z

こういうお遊びを国立大学のサーバーとブログを使ってセッセと発信し、小まめにコメントを返しまくっているどこかの教授は、よっぽど本業がヒマでヒマでしょうがないんでしょうね。「ひとり勝ち」の「科学エバンジェリスト」の幻想でしょうか。
Posted by アホのニセ科学批判♪ at 2008年10月25日 17:04
> 水伝は、ファンタジー(または、ポエム、オカルト、疑似科学)です

そのどれであっても、道徳の根拠にしてはならないことに変わりはありませんね。

それに、自然科学は道徳の根拠にはならぬものの何かを行う上で根拠や判断材料になるでしょう。が、それらはそういったことにも不向きです。

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38. スリ — October 25, 2008 @12:06:26

聖書を道徳の根拠にしてはならない。
Posted by あほのニセ科学批判、 age at 2008年10月25日 12:23
ただ、趣味としてニセ科学(または、科学)を受容しているだけの人々を批判することには反対したい。ある人がニセ科学を受容していたとしたら、「それはニセ科学である」という事実の指摘までに止めて、批判や説教は行わないのが穏当である。もちろん、「悪趣味」を実行する自由はある。しかし、それは悪趣味である、ということは指摘しておきたい。

というか、私自身がかなり悪趣味ではあるのだが…
Posted by 知の欺瞞04 at 2007年02月16日 20:46
重要な注意:「ニセ科学」が学校の授業の中で科学的な事実として教えられているとすれば、それは批判されるべきであろう。あるいは「ニセ科学」が詐欺に使われているとすれば、詐欺行為を糾弾し、また注意を喚起することは意味のあることである。その点で、菊池誠氏らの活動は大きな社会的な意義のあるものである、と思う。
Posted by 知の欺瞞03 at 2007年02月16日 20:45
しかし、過去においても、これと同じような事態が発生したことがある。「知の欺瞞」から始まったニセ哲学の批判である。私はこれに大変な嫌悪を感じたことをよく覚えている。(嫌悪感を持ったのは「ニセ哲学批判」であって、それ以前の「ソーカル事件」には全く嫌悪感を持たず、むしろ意義のあることとして今でも受け取っている。)恐らく「ニセ科学批判」は私の中で「ニセ哲学批判」に感じた嫌悪を想起させるのである。
Posted by 知の欺瞞02 at 2007年02月16日 20:44
そもそも科学にせよ、ニセ科学にせよ、それを受容する一般の人々は「自分の好み」、「自分の興味」に従ってそれを受容しているのである。(正規の学校の授業などを除いて。)

それはアニメ、ゲーム、漫画などのオタク、より一般に趣味と言われるものと変わるところはない。ニセ科学の批判は「ニセアニメ」の批判や「ニセゲーム」の批判と変わるところはないのである。このようなことは他人の趣味を笑う「悪趣味」なこととして了解されるだろう。
Posted by 知の欺瞞01 at 2007年02月16日 20:42
学会ってのは基本的には研究者同士が日頃の研究経過などを発表しあう場であって、学会が主体となって何かしらの行動を起こす場ではないのでなかなか難しいでしょうね。社会に情報を発信していくのであれば、それこそ「と学会」のほうが会の主旨に合っているかも知れません。
Posted by bob at 2006年12月31日 13:11
あくまでも弾さんが主張したいことは、科学コミュニティが今よりももっと強い影響力を持つ可能性を考慮すべきだというものであって、そこに創価学会や似非科学との対立軸は存在していないのでは。
僕としてはabuさんの解釈が一番弾さんの考えていることに近いように思われます。
Posted by M at 2006年12月30日 01:39
danさんは「創価学会と総科学界」を言いたかっただけでは?
Posted by yokoyari at 2006年12月30日 00:36
>>ぷらさん
「お二人とも似非科学はダメだろって点では一致してると思ったんですが…」

確かにそうですね。弾さんの意見をまとめると「エセ科学は半分宗教みたいなものだから菊池さんのように論理的に否定しても潰せない(エセ科学を信じる人は彼らの道徳観を補完するような適当な理屈を求めているだけであって真に論理的な思考を求めているのではないから)。だからどうせ叩くのなら政治的に叩かないと。でも政治的に潰すのならちっぽけなエセ科学の前に潰すべきもっと影響力が強い団体がいるんじゃない?」というものなんじゃないかと思います。出してくる例が少し的外れなせいで議論が変な方向にずれてますけど。
Posted by bob at 2006年12月28日 13:04
経済学って、ある意味、似非科学の一種じゃないですか。
学者は理論的な説明を試みますが、それらはすべて仮説の域をでることはありません。
そのうえ宗教的な部分もありますね。
集団幻想があるからお金や商取引は成り立つものですから。
Posted by wacky at 2006年12月28日 10:10
うーん、弾さんは似非科学を叩き潰すための一つの方法として、科学者ももっと政治力つけろよって話をしてるんじゃ?
お二人とも似非科学はダメだろって点では一致してると思ったんですが…
Posted by ぷら at 2006年12月28日 01:20
> 確かにそれは浅ましく、研究の邪魔以外のなにものでもないかも知れませんが、

浅ましいだの研究の邪魔だの、誰もそんな論点で議論はしてないんで。
政治に長けた「科学者」なんざ、どの政党にもおるでしょうよ。

で、どの文脈から出てきたか不明なこの文章はやはり、「科学者は実務に疎い理想主義者である」との印象操作の試みである、と理解してかまわないでしょうか。
Posted by nennpa at 2006年12月28日 00:57

非科学的なのは
宗教も似非科学も一緒

な時点で似非科学だけ責めるのかわいそ


宗教は消して穏健じゃない。
まぁ科学もそうだけど。(利権や組織がからむとどうしてもね)

どっちが偉いとかない。


宗教は影響力デカイ。宣伝や政治や、泥臭いとこもしてる。
科学はオキレイすぎ。

科学も頑張れと。
無理なら用心棒でも容易すれば?

-----
見たいな感じで、あっさりと答えつつ、〆は話題転換してる、
フツーの投稿じゃない?
Posted by abu at 2006年12月27日 21:45
弾さんは脳内変換の名手なんです。いくら反論してもそのつど脳内変換されてテーマがずれていきますから、反論すれば反論するほど、オリジナルのテーマから遠ざかります。いくら反論しても永遠に噛み合いません。保証します。
Posted by 佐藤秀 at 2006年12月27日 20:35
>正直言って菊池さんと弾さんの議論は噛み合っていないような気がします。

噛み合っていません。
うーん、噛み合うには少なくとも双方に「議論する気」ってものが必要ですが、どんどん論点をずらしていくやりかたは真面目な議論のしかたではないですから
がっかりした、というのが僕の感想です

これ以上は不毛なので僕はもう書きません

Posted by きくち at 2006年12月27日 18:59
「学会」員も「学界」員も、自分自身の持つ影響力について自覚的であるべきだ、という御主張については、異議はありません。

あと、何故学会が「学会」なのかというと、設立当初は「創価教育学会」という教育関係者の組織で、その頃の名残りが今でもあるということです。

また、フランスでのカルト認定関係は、マッスー節さん
http://blogs.yahoo.co.jp/y_ma_su/43194179.html
に秀逸な考察があります。よろしければ御一読ください。

以上マジレスでした。
Posted by eviano at 2006年12月27日 18:18
地域振興券などに見られる社会・経済への影響力云々という話は完全に論点がズレています。
例えば、創価学会 (=公明党) が、自らの教義を「科学的な」論拠として地域振興券などを発行した、というのであれば話は分かりますが……。

弾氏の主張は「『科学』にも社会・経済への貢献ないし本物っぽさを演出していく必要が (無知な大衆を科学を知るよう動機付けるためには) ある」といったところでしょうか?
そうであれば、理解できる論ではありますが、問題はその結論に至る過程の滅茶苦茶な論理展開への菊地氏に指摘・批判への対応です。

私には、弾氏が「負けたくない」一心で論点をずらしながら、さらに見当外れの方向へ議論を持っていっているようにしか見えません。
少なくとも、相手の質問や批判に対して、筋道の通った反論をすべきでしょう。
Posted by nrt at 2006年12月27日 17:34
そもそも、ほとんどの宗教とは、検証を否定して「アプリオリに信じる」ことを要求するわけで、現代的な意味での科学との相性は良いとは考えにくいと思います。もちろん、「神がおつくりになった世界の、神がおつくりになった仕組みを読み解く」という立場を全否定するわけではありませんが、それは、科学ではなく神学というべきものだと私には思えます。一方、帰依・信心するのではなく、学び、考える参考にするというレベルだと、根本において科学と対立しないでしょう。

いずれにせよ、科学と宗教の関係は、論ずるに値する問題だとは思いますが、科学とニセ科学の問題とは分けて論ずるべきものだと思います。
Posted by blackdragon at 2006年12月27日 17:33
しかしながら、宗教と科学の縄張りは明確なものではないと言う弾さんの主張にも頷ける部分はあります。
宗教が、考え方や生き方、道徳の問題だけを説いているのであれば、科学との住み分けは、それなりに容易でしょう。しかし、多くの宗教は、物質的な問題についても踏み出しているものです。
例えば、古い宗教であるカトリックですら、奇跡の存在(キリストの時代だけでなく、現在も起こっているということ)が前提となっていると言われています。科学者かつカトリック信者の人々が、そのようなことに対してどのようにして割り切っているのかというのは、とても興味深いことです。

さらに、新宗教に関して言えば、現世利益を謳っているものが多く、その主張は科学と真っ向から対立する内容であることが多いのではないでしょうか。
(続く)
Posted by blackdragon at 2006年12月27日 17:32
創価学会がニセ科学的なことを言ってきたかどうかは、ちょっとググって見ればほぼ想像はつくと思いますが、一次情報はお示しできるものとしては持ち合わせていないので、ここでは置いておきましょう。

しかし、創価学会は、宗教団体であることを明らかにしており、科学のふりをしていない点で、水伝やマイナスイオンとは大きく異なります。ニセ科学がタチが悪いのは、科学のふりをしているというのが最大のポイントですから、宗教であることを認めた上で非科学的な主張をしたとしても、それは別の話でしょう。

ですから、ニセ科学批判をするなら、創価学会批判もすべきという論理展開には全く賛成できません。
(続く)
Posted by blackdragon at 2006年12月27日 17:32
きくちさんは弾さんのコメントがすべて自分への反論であると考えて義務感から「真面目」に回答されてると思います。

しかし、僕は弾さんの意見は科学者(科学業界?)に対する「提言」として一理あると考えてます。
それは「ゲーム脳」騒動を思い出すからです。当初はゲーム好きな有志が反論をしていましたが現在ではゲーム業界全体でどう対抗していくかを検討し防御型ではなく攻撃型の、弾さんの言う「確信的」になりつつあるように感じます。


もちろんきくちさんは科学者として「そんなことに時間も労力も使いたくない」と考えるのは理解できるので、科学業界?(サイエンスライターなども含む)に対しエセ科学が不利益であると考えるのであれば「用心棒」を雇うと言うのはアリなのではないかと考えます。

Posted by やまもと at 2006年12月27日 17:29
菊池さんがいくら努力なされてもこれからもエセ科学がなくなることはないと思います。ただマスコミがそれを取り上げなければそれらは自然消滅し忘れられていくものばかりです。この件に関しては諸悪の根源は細木数子や江原なんたらを持ち上げ番組を作っている金になれば何でもありのマスコミなのではないかと思います。

お二方が何やら不毛な言い争いをされている気がするのは私だけでしょうか?
Posted by bob at 2006年12月27日 16:57
正直言って菊池さんと弾さんの議論は噛み合っていないような気がします。

論理的には菊池さんの言うことの方が正しいと思います。それに対して弾さんは色々と理屈を付けていますが言わんとするところは極論すると「そんな目くじら立ててエセ科学を糾弾しなくてもいいじゃん」くらいのことなのではないかと思います。確かにそれはそうなんですよ。一部の何かにすがらなければ生きていけない人がエセ科学にはまるのは大した問題ではなく、それを糾弾するのは大人気ない気もします。むしろ本当の問題はマスコミがそれを検証もせず全国に垂れ流し、それを「マスコミが言うんだから本当なのだろう」と信じてしまう人が結構いることなのではないでしょうか?マスコミで取り上げられることがなければ血液型占いも水伝も奇跡の詩人も局所的な問題で終わり、皆その存在すら知らずに終わっていたことでしょう。(続く)
Posted by bob at 2006年12月27日 16:56
(つづき)
もちろん彼らは日本の政治に大きな影響力をもっていますが、それだけで「学会として」対応することなど、ありえません。
地域振興券を理由に「学会として」なにかを言う理由もなければ、防衛予算を理由に「学会として」なにかを言う理由もありません。科学系「学会」の構成員には、自民党支持者も公明党支持者も共産党支持者もいます。キリスト教徒も仏教徒も創価学会員もいます。原発推進派も反対派もいます。
当然のことではないですか?
Posted by きくち at 2006年12月27日 16:00
アカデミズムの学会が「創価学会」に対して、「学会という名を使うな」と言うべきであるというわけですか? 本気ですか。
「創価学会」が宗教団体であることは周知の事実ですから、誰も誤解しません。「創価学会」が「学会」を名乗るのはけしからん、なんていう人はおかしいでしょ。
「学会」という言葉はアカデミズムに限定されないんですよ。

そんな無意味な結論に持っていってまで、がんばりつづける理由がわかりません。だめすぎです。あまりにだめすぎます。

仮に自然科学系の学会が「学会として」創価学会を批判することがあるとすれば、それは彼らが非科学的・反科学的言説によって、社会に害を及ぼしていると認められる場合だけです。
あるいは、創価学会が日本の科学行政を歪めていることが明らかなら、なにかするかもしれません
Posted by きくち at 2006年12月27日 16:00
s/正教新聞/聖教新聞/g
Posted by tmiz at 2006年12月27日 14:23