2007年01月02日 23:30 [Edit]

生産性の凄惨性

分裂勘違い君のentriesはいずれも要約が極めて困難なのだが、一つ要約しやすい視点がある。

生産性、だ。


分裂勘違い君の言う生産性というのは、辞書通りの生産性、すなわち「あるものを産み出すのにどれだけのマンパワーが必要か」ということだ。彼(/女?)の主張はこの点に関しては単純かつ簡潔で、 「分裂勘違い君劇場 - 大多数が余裕を持って暮らせる豊かな社会の作り方」もその例外ではない。

しかし、「生産性」という言葉を我々が発するとき、それが本当に「産み出された」ものなのか、あるいは他から「奪ってきた」ものなのかを区別するのは、不可能と言わぬまでも難しい。

まずは単純な図式で考えてみよう。ある会社が、従業員の延べ労働時間を全く増やさずして売上高を一年で倍にしたとする。この会社の労働生産性は一年で倍になったということになる。この会社は従業員を増やしてはいるけど減らしてはいない。単に生産性が倍になり、その結果売上げが倍になっただけだ。果たして、この会社は誰からも何も「奪っては」いないのだろうか?

実は、それはあり得ない。ある組織の生産量の増加が、社会全体の生産量の増加より多ければ、その組織は必ず社会の別のどこからその差を「奪って」いることになる。この会社だけ見れば生産性は「倍」だが、この会社が増やした利益のうち、インフレ増分以上の部分に関しては、社会のどこかで必ず「減って」いるのだから。

それでもまだ、こうした増減が一つの組織の中で完結していれば、「奪った結果による生産性向上」というのは目に見えやすい。生産性を上げた部門が、生産性が上がらなかった部門から「奪った」雇用やボーナスは、奪った方からも奪われた方からも感じることが出来る。

しかし、現在においては、この「奪い奪われる」という関係は、会社どころか国境を超えて成立していて、しかもこの「収奪の決済」は、貨幣という形で一旦匿名化がなされる。奪っている方も誰から奪っているかはわからないし、奪われている方も誰が奪っているかはわからない。

もちろん、「奪う事」そのものは悪ではない、というより悪とはなりえない。人間は所詮従属栄養型動物であり、何かを得ようとする時には「奪う」のがそもそもデフォルトである以上、「奪う」を悪としてしまうと、存在そのものが悪、ということになってしまう。「原罪」などの形でそれもやはり悪、とする宗教もあるけれど、私はその立場は取らない。「原罪」は悪にあらず、というのが私の立場だ。

しかし、「原罪」そのものは存在し、そしてそれが「悪」なるものの原点ではある、という点もまた忘れたくない。「組織」と「貨幣」には、この「原罪」を不可視化する力がある。「生産性」という言葉も例外ではない。

少なくとも、福祉は政府に押しつけ、不祥事は従業員に押しつけ、その他もろもろの「非生産的業務」を会社外に追いやった結果、「生産性がこれほど上がりました」というのは、「生産性」という言葉の軽さをより耐えられなくするものではあると感じている。

Dan the Economic Sinner


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この記事へのコメント
これってジョーク?

いってることが論理的におかしいじゃん。

ひょっとして、書いてる本人は
マジでわかってないの?
Posted by pelican at 2007年01月16日 11:36

「自分本位制」に戻したらよりよくなるのでは?
全国民、採集経済で自給自足。
Posted by Bar at 2007年01月04日 16:48
金本位制に戻せばいいのでは、、、
Posted by hama at 2007年01月03日 02:05