2007年01月06日 22:00 [Edit]
エロはいつまで裏であり続けるのか
何ともやるせないニュースである。
「裏本の死」の宣告 息の根を止めたのはネット?|文化|カルチャー|Sankei WEB昨年秋、インターネットで次のような一文を見つけた。
「告知:裏本は発売されなくなりました。今後は裏ビデオの情報をのせていく予定です」
なぜかというと、裏本は死んでも、刑法175条はのうのうと生きているからである。
右をご覧頂きたい。ご存じ、ミケランジェロのダビデ像である。人類の宝といっても過言ではない、しかし、現時点において日本では「お宝」をこのように隠さないと、刑法175条に抵触するおそれがある。「いや、これは芸術なのだから隠さなくてOK」という人は、法の下での平等ということを忘れている。
ここで、「前バリ」をクリックしてもらう。本来のダビデ像が現れる。もう一度クリックすると、前ばりは元にもどる。両方を見比べていただきたい。どちらが「わいせつ」に見えるだろうか。
私には、「前バリ」がある方がずっと猥褻に見える。あなたはどう思われるだろうか。
「こんなの、ガキの遊びだ」。私もそう思う。しかしこんなガキの遊びを、エロクリエイター達と当局はずっと続けてきたのだ。そしてなぜ彼らがそんな事を続けてきたのかと言えば、何が猥褻で何がそうでないかを決めるのは司法ということになっていたからだ。
なんという税金のムダだろう。
しかし、当局ばかりを責めるのは間違っている。所詮当局は、「市民の声」に対応しているだけだ。当然当局はより声の大きな者により耳を傾けるだろう。
だから、私の疑問は、以下のとおりとなる。
なぜ、日本のエロ業界各位は、この状況を放置してきたのか。
「裏」を「裏」のままおいてきたのは、業界各位の怠慢なのではないか。
404 Blog Not Found:エロは弱し官吏は強し - でも外国人はもっと強し?この国ではエロは正視するのは御法度だけれども、横目で見るならユビキタスという奇妙な状況
というのは、「たまにしか取り締まらない」当局に、業界が甘えていただけなのではないか。
安田理央の恥ずかしいblog - 裏本は 発売されなくなりました。やっぱり紙媒体、厳しいよなぁ。
自業自得とまでは言わぬまでも、現在のエロ業界を巡る閉塞感の理由を、当局の取り締まりや市民団体の運動に帰するのはおかしいと思わざるを得ない。紙媒体が厳しいのはエロに限った話ではないのだ。
何も私は、白昼堂々とエロを展開して、日本をヌーディストの国にせよ、と言っているのではない。何がエロで何が芸術かを裁判所ごときに決めてほしくないだけだ。それはあなたの権利であり、私の権利であるはずで、国家の権利ではないはずなのだ。
むしろエロにきちんと市民権を与えた方が、現在の「ユビキタスエロ」な状況も改善するのではないだろうか。現在は「一部の人が極度に不快に感じるコンテンツ」を「ある程度」刑法175条が牽制している代わりに、「多くの人がわずかに不快に感じるコンテンツ」は野放しのままだ。週刊誌のヌードからメールボックスにあふれるSPAMに至るまで、刑法175条は何の救いにもなっていないのだ。
エロは「裏」を卒業し、「奥」になるべきだ。希望するものには自由なアクセスを認める一方で、希望しない者にはそれを押し付けない、という意味で。
ネットはそれを実現するための格好の道具のはずである。うまく使えば「見たい者にはいくらでも見せる」一方で「見たくない者の目に触れない」ということが同時に達成できるのだから。刑法175条も「殺す」必要はなく、一部修正でいい。たとえばこんな感じに。
わいせつ - Wikipedia - 現行の175条わいせつな文書、図画その他の物を頒布し、販売し、又は公然と陳列した者は、2年以下の懲役又は250万円以下の罰金若しくは科料に処する。販売の目的でこれらの物を所持した者も、同様とする。改正案
これだけで、エロコンテンツは当局の介入なしにネット販売できるようになる。なぜならネット販売は不特定多数ではないからだ。もちろん購入者がもう一つの条件、すなわち成年であることを満たすかをどう証明するかという問題は残るが、これは些細な問題である。
Rauru Blog ? Blog Archive ? 性風俗産業が無くなったら何が起きるか性風俗産業には、もちろん性欲を解消させるという役割もあるが、実際にはそれ以上に「性欲をかきたてる」という面も大きい。
しかしそれは芸術も同様だ。既存の芸術の存在はさらなる芸術への欲求をかき立てる。そして性欲は芸術と対立する概念ではなく、そのどちらも渾然一体となってかきたてる作品だって少なくない。多少下品な言い方をすれば、美術館所蔵作品でヌイたって構わないし、逆に「裏ビデオ」を学芸的に蒐集するのも構わない。作品をどう使うかは、使用者責任であるべきだ。
そして実際、性風俗産業やエロコンテンツ産業によって、世の中がどれだけ平和になったかを考えれば、これらの産業は弾圧すべきものではなく、奨励とは言わぬまでもそれにふさわしい尊厳が与えられてしかるべきものだと私は考えている。実際これまで何度も本blogで言ってきたように、エロに対する寛容度は長期的に上がっており、またエロコンテンツどころか売春を合法化した国や地域において、犯罪発生率が上がったという話は聞かない。むしろほとんどの場合において、暴力的な衝動を平和理に昇華しているのが性産業なのではないだろうか。
Dan the Erotic Being
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答えは、お書きになられているとおりです
>私には、「前バリ」がある方がずっと猥褻に見える。あなたはどう思われるだろうか。
http://www.weirdasianews.com/2006/10/13/world-record-in-japan-largest-orgy/
こういう下品なエロも外国に紹介されるぐらい蔓延している状況ですが。エロにはある程度「隠れてもらう」というお約束が適正な妥協点だという合意は社会において形成されておるものかと。そこを破る事に「ビジネスチャンス」を見出す粗忽者が、お縄に付くのはそこを汲み取る能力の欠如であり止むを得ないのではないかと。見えない部分の妄想で成り立ってる点を無視して闇雲に公開を迫るのは野暮ってもんですよ。という突っ込みを入れるのも野暮ってもんですが。
単純なエロでは売れないからみんな工夫しているわけだし、その工夫ことがまさに芸術魂であるとおいらは思うわけですが。。。
芸術性について語る時にモラルを持ち込むことのほうがよっぽど野暮な気がするよ。
エロの氾濫をなくせば嫁さんとするしかない訳で、少子化対策にもなると考えてるのかも!?
ははははは。
というわけで、そんな改正は意味なし。
未成年については、たいがい青少年条例があるし。
ネットでは、どの分野をみても、実現していないよ。
実現してみせてよ。
通達とか判例ばかりで補強して解釈の問題にして、学者や法学部のものにしている現状はどうなんだ。一般人のものだから一般人が理解できるものに直して欲しいね。
そう思うことが恥なのか。それじゃあいつまでたっても裁判員制度なんて支持されないだろうよ。とわたしは思う。
以下、法律的な観点からのコメント。
ゾーニングだけで他の規制はいらないということでしたら、「公然陳列」の意義が問題になると思います。
頒布・販売は通常契約によって行われるので、頒布・販売によって欲しくない人のもとに強制的にわいせつ物が移る、ということにはならないはずです。
よって、頒布・販売は、未成年その他に対するもののみ規制すれば十分ということに成り、今の法文は改正の必要があるということになると思います。
ただし、紙媒体のものでも、書店の陳列方法、宣伝方法で規制が必要になると思います。(かなりの部分は「公然陳列」の問題に解消されると思いますが、それだけで不十分なところも残るでしょう)
一方で「公然陳列」に関しては、ホストコンピュータのHDDにエロ画像をおいて、パソコン通信でアクセス可能にした行為が公然陳列になったケースがあるそうです(大阪高判H11.8.26 http://www.courts.go.jp/search/jhsp0030?action_id=dspDetail&hanreiSrchKbn=01&hanreiNo=22240&hanreiKbn=02)。
この解釈をもとにすると、(少なくとも日本にサーバーをおいて)エロ画像等を配信している業者は違法行為をしていることになるのか。例えば、トップページに年齢認証を設けていればいいのか、会員登録制のサイトにすればいいのか、といった議論をすることがまず必要になると思います。
(それで、今の解釈ではゾーニングの目的を達成できないとなれば、法改正をするということになると思います。)
学生のコメントなので、内容の信頼性は吟味してください。
趣きがあると私は思うんです。