2007年01月25日 16:30 [Edit]

冤罪より重い罪

モトケンさん、反論ありがとうございます。その反論に対しての反論。

問題は、この中に「無辜を処罰してしまった場合どうそれを償うか」という視点がどこにもないことだ。

元検弁護士のつぶやき: 「有罪率99%」は謎か異常か?
実務上、「10人の罪人を逃しても、1人の無辜〔無実の人〕を処罰することなかれ」という理念は失われていません。

もしそういう視点があるのであれば、なぜ刑事補償法は放置されたままなのだろうか。この点に関しては私も以前指摘している。

404 Blog Not Found:民の過ちは主の過ち
刑事補償法
第四条  抑留又は拘禁による補償においては、前条及び次条第二項に規定する場合を除いては、その日数に応じて、一日千円以上一万二千五百円以下の割合による額の補償金を交付する。懲役、禁錮若しくは拘留の執行又は拘置による補償においても、同様である。
最高で12,500円とは恐れ入る。丸一日自由を奪われてこれである。「時給」521円。最低賃金にも満たないではないか。

そして「これでは話にならない」と国家賠償訴訟を起こしても当局は徹底抗戦する。どう見ても当局にとって大事なのは国民の人権ではなく、当局自身の無謬性神話の維持ではないか。

元検弁護士のつぶやき: 「有罪率99%」は謎か異常か?
dankogai氏は、被疑者の人権というものに無神経すぎると思われます。

人権が失われる機会は、なにも事件によるものだけではない。むしろ件数から行けば、事故によるものの方が圧倒的に多い。殺人事件の被害者より交通事故死者の方が圧倒的に多いのだ。どちらも人権が損なわれることには変わりはない。

しかし、少なくとも事故の方は、「起こりうる」という形で何重ものセイフティーネットが敷かれている。セイフティーネットの厚さは事故の種類によっても異なるし、その厚さは保険金額などを通して各自調整可能だが、根本にあるのは、「それが起こりうる」という大前提である。

それでは事件、特に刑事事件はどうか。

セイフティーネットはほとんどない。被疑者に対してだけではない。被害者に対してもである。少なくとも当局にそれを期待するのは無駄であることは、今まで見てきた通りである。

 社会が無罪推定原則を理解するなら、有罪率がもう少し減少する起訴も十分ありえると思います。
 しかし、現状はマスコミは(そして世間も)逮捕有罪推定主義、起訴有罪確信主義とも言える状況です。
 逮捕されただけで職場は首になる。
 子供は学校で苛められる。
 奥さんは村八分状態。
 という事態が普通に起こるのです。

出た、「世間が悪い」(苦笑)。それではその無知蒙昧な世間を啓蒙する活動を当局はどの程度なさっているのだろうか?被疑者の敬称(?)を、「容疑者」→「被告」→「受刑者」と出世魚のごとくマスメディアが変えていることに対して、「氏で統一してくれ」ということすら言っていないではないか。ちなみ英語では一貫して"Mr."ないし"Ms."である。

 その反動として、起訴した事件が無罪になれば、世間やマスコミは「不当起訴」として警察や検察を批判します。

世間が悪くないとは言っていない。マスコミが悪くないとは言っていない。確かにどの国においても、当局のありようというのは世間のありようをかなりの程度反映するものだ。確かに「この程度の国民」には「この程度の当局」がお似合いなのかも知れない。

しかし、それを当局が言ってしまったら、それこそ天に唾というものではないか。

検察実務は(警察もそうだと思いますが)、権力を振りかざせばいいってもんじゃないです。

仮に権力をふりかざしているのだとしたら問題だが、この点に関して言えば日本の当局は、少なくとも一般市民が見えるところでは威圧的には振る舞わない。以下のように見えない所ではそうとも言い切れないところが悲しいところであるが。

livedoor ニュース - [踏み字]公選法違反の取り調べで賠償命令 鹿児島地裁
 鹿児島県議選の公選法違反事件に絡み、県警の任意取り調べで「家族らの名前などを書いた紙を無理やり踏まされ精神的苦痛を受けた」などとして同県志布志市の会社役員、川畑幸夫さん(61)が県に200万円の損害賠償を求めた訴訟で、鹿児島地裁は18日、取り調べでの違法行為を一部認定し、県に60万円の支払いを命じる判決を言い渡した。

だから有罪率そのものは問題ではない。この点に関しては私はモトケンさんと同じ見解だ。

問題は、当局が自らを過ちを犯しうる存在として認識していないことにあるのだ。これは別に警察や検察に限ったことではない。行政立法司法を問わず、中央から地方まで、政府のどの部門においても言えることである。

もちろん、自らの過ちを認めるのは、政府に限らず誰にとっても難しいことである。また自らの過ちを認めたとて世間が赦してくれるとは限らないのも確かだ。しかし公務員というのは、本来最も自らの過ちを認めやすい立場のはずなのである。何と言ってもその償いを個人で負わなくてもよいという点は大きい。

にも関わらず、この国では最も厚い「政府ティーネット」(ことえりナイス)に護られている者達が、最も自らの過ちに対して不寛容なのである。その上「信頼されている」と思い込むのはいくらなんでも面の皮が厚すぎるのではないか?

信頼を得たかったら、まず自らの無謬性をきちんと否定するべきではないのか。

Dan the Man to Err


この記事へのトラックバックURL

この記事へのトラックバック
 乗りかかった船なので、冤罪より重い罪(404 Blog Not Found)にも少し反論(だけじゃないですけど) 問題は、この中に「無辜を...
反論の反論への反論【元検弁護士のつぶやき】at 2007年01月27日 00:05
http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/50748346.html弾さんとこがちょっとぶりに論争モードに。むろん、連中は難しい司法試験や国1を突破したという自負からくる(?)メンツがあるのだろうが。てか、この程度の国民だからなんて言って現状維持でいいのか? 改善する...
お上のメンツ【無量大数 − 10の68乗の世界】at 2007年01月26日 00:34
この記事へのコメント
 おそらく弾さんも色々思っていたことがあったんでしょう。が、刑事訴訟法云々の話になった時点で、モトケンさんに対する反論ではなくなっちゃってますよね。

 『不起訴=無罪」ではないです。少なくとも世間は不起訴だから無罪とは見ません。』というコメントがありましたが、そういった視点に問題があるということには誰も異論はなさそうなので、いいんじゃないかと思いますけどね。(有罪ではなければすべて無罪である、という認識でいいです…よね?)
Posted by 森 at 2007年01月27日 23:27
モトケンさまも現職検事さまも共に、まことに正義感溢るる敬すべきお方であると思ひますが(皮肉ではなく)。
市民をどういった方向性において守るのか、についての現職検事と元検弁護士との立場上の義務からくる見解の相違を除けば。
Posted by t_f at 2007年01月27日 15:59
>???おいおい。裁判官が正しく事実認定を行うことは、当然の義務でしょ。「神の如くあれ」ではなく「給料分は仕事しろ」と言っているだけ。

“正しい事実認定が当然の義務”?

憲法:第76条
3 すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される。

素人なモンでスミマセン、どの法律に、裁判官に正しい事実認定を当然の義務として課す規定があるのかご教示いただけないでしょうか?
まあ、事実誤認があるとゆーんなら、上訴すればよろしいだけなんではないですかね?
Posted by t_f at 2007年01月27日 15:36
疲れる人だ。t_f
「基本原則にほかならず」→それを公然と批判してる現職検事がいることが問題なんじゃないの?
「市民は"性善説"を前提」→たしか、「検察、警察は正義の名の下に悪事を行うという性悪説」が前提で「十人の真犯人を逃すとも、、、」ができたと思いますが。
それで、t_fの言いたいことは何?「十人、、、」に反対だと言いたいのか?それにしては根拠が貧弱。もとの文脈を読めば、モトケンが「十人の精神」は生きていると言ったのに対し、それは嘘つきだという証明であって、t_fの言っていることは文脈はずれ。

Posted by 何か at 2007年01月27日 15:09
>>『「十人の真犯人を逃すとも,一人の無辜を罰することなかれ」が絶対だとは思わない方がいい。』

↑は、“疑わしきは被告人の利益に”と同様の、刑事訴訟プロセスの策定とその遂行においての基本原則に外ならず、べつに何かの理想を述べたものではありません。この原則にあっては、市民(および市民社会)は“性善説”を前提としてとらえてありますので、「十人の真犯人」を逃しても、「疑わしい」真犯人に「利益」をあたえても、それは検察・司法当局の関知するところではなく、そういった連中の再犯リスクのことなど論外なハズです。つまりは、“世界は滅びるとも正義は行われよ”ってなだけです。正義と平和(安寧)は両立しません、悪しからず。
Posted by t_f at 2007年01月27日 14:38
>裁判官に神の如くあれと求める
???おいおい。裁判官が正しく事実認定を行うことは、当然の義務でしょ。「神の如くあれ」ではなく「給料分は仕事しろ」と言っているだけ。

まあ、裁判官の事実認定がいかにいい加減かは、冤罪などを扱っているHPを見れば、山ほど事例が出てくる。レイプ事件でAB型の精液が出たのに、AB型以外の少年グループに有罪判決(保護処分)を出したりとか。
この先生のHPは、おすすめ。
http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/ennzaitokusyuu.htm
Posted by 何か at 2007年01月27日 14:34
>『「十人の真犯人を逃すとも,一人の無辜を罰することなかれ」が絶対だとは思わない方がいい。』『自分はそうではない社会に住みたい』と教えているそうです。
マンガDeath Noteの影響か、こう考える検事志望者は後を絶ちません。しかも、「犯罪者検挙のためには捜査の過程で被疑者の人権が疎かになっても、逮捕をしないことによる弊害が大きすぎる場合にはやむを得ない」とまでのたまう始末。でも、被疑者の人権をおろそかにし、厳罰化の対象が広がることで人・カネが日本の市場に入ってこなくなったり、出て行くという弊害は考えていないらしい。

こういう連中は民衆の暴走には神経を尖らせても、国家の暴走は無視してくれます。ちょうど、公共事業推進者が市場の失敗を糾弾しても政府の失敗を小さなことと扱うように。
Posted by りょうかい at 2007年01月27日 12:16
>国民が怒っているのは、「裁判官は無私に証言を聞き、正しく事実認定を行え」ということではいか。

もし本当に↑のよーに思っているのだとすれば、これこそが日本司法を滞らせている原因といえる。弾先生は、検察当局に無知蒙昧な世間を啓蒙せよと求め、またその無知蒙昧な世間(=国民)は裁判官に神の如くあれと求める(何かさまによれば)。いったい日本司法にどーなって欲しいのだろうか?
Posted by t_f at 2007年01月27日 10:46
初めまして。モトケンさんのブログからやってきました。
dankogaiさんの論理がよく分からなかったので質問させて頂きます。
前回の話は「(現行の)確実に起訴できるもの以外を黙認するのは良くない」で
今回の話は「誤って逮捕してしまうのは良くない」
と、感じたのですが、結局どういう風になればよろしいと考えているのですか?
私は(現在のマスコミ・世論の風潮では)よほど確信がなければ起訴して欲しくないですし、その判断に誤りがあったとしたら裁判所が正すべきだと思うのです。残念ながら検察にも一部におかしな人はいると思うのですが、だいたいは信頼に足りる仕事をしていると思っています。
ちなみに冤罪の補償は国が決めるものなので司法に言うべき事ではないと思います。
Posted by kouki at 2007年01月27日 01:05
なぜ国民は裁判所に「有罪率を下げろ」と言うのに、検察に「起訴率を下げろ」と言わないかといえば、検察と被告人たる国民は対立関係にあり、「検察が被告人の利益を考え起訴を判断する」などというパターナリズムは偽善、倒錯した不健全な考え方であり、被告人の利益を保証するのは公平な裁判官であると正しく理解しているからである。

日本の裁判所は事実認定力が皆無に等しい点を東大総長は嘆いている。無能だから被害者の一方的証言で有罪が確定する。国民が怒っているのは、「裁判官は無私に証言を聞き、正しく事実認定を行え」ということではいか。
Posted by 何か at 2007年01月27日 00:44
「有罪率が高すぎる」という批判は裁判所に向けられたものであって、検察に向けられたものではない。モトケンだか知らないが「勘違い」君でしかない。

裁判所が変わり有罪率が低くなれば、検察も警察も変わり、日本の異常な刑事司法は正常化する。その道筋を言っているのであって、「有罪率が下がれば起訴率が上がる」などと不毛な議論をしていれば、日本の刑事司法は「かなり絶望的by平野龍一(東大総長、刑法学の権威)」という落第点のままだ。
Posted by 何か at 2007年01月27日 00:43
松永さん、
>平成16年における起訴率は,全事件では46.4%

これは身柄送検も書類送検も含まれているので逮捕者に対する起訴率じゃありませんよ。
具体的な数字は白書の載ってませんが、「身柄事件のうち,検察官が勾留を請求したものの比率は,93.3%であり,このうち裁判官が勾留請求を却下したものの比率は,0.3%であった」とあるので、逮捕者の起訴率は恐らく90%近いと思います。勾留請求が認められれば、大抵は起訴になると推測されるので。少なくとも半分なんてことないと思います。
Posted by 佐藤秀 at 2007年01月26日 17:38
>>松永さん

なるほど。確かに逮捕と起訴は違いますね。確かにそこの考えが飛躍していました。
それなら「起訴されたら99%有罪」ということは検察は有罪だと確信出来るとき以外起訴しないということなのでしょうが、今回話題になってる冤罪の件では何故検察は起訴したんでしょうね。
Posted by bob at 2007年01月26日 13:40
>実務上、「10人の罪人を逃しても、1人の無辜〔無実の人〕を処罰することなかれ」という理念は失われていません。
というのは、ウソのようですね。
http://blogs.yahoo.co.jp/hinabeneko/44144765.html
この弁護士の話によれば、検察官が司法修習(司法試験合格者が裁判官や検事や弁護士になる前に受けなければならない研修)の教官としてやってきて、
『「十人の真犯人を逃すとも,一人の無辜を罰することなかれ」が絶対だとは思わない方がいい。』『自分はそうではない社会に住みたい』と教えているそうです。

あやふやな被害者の証言を証拠として、「有罪の確信が持てた」と言っているような検事は、ほんと何とかしたいものです。
Posted by うそつき at 2007年01月26日 10:45
>それではその無知蒙昧な世間を啓蒙する活動を当局はどの程度なさっているのだろうか?

啓蒙を当局に期待することこそが
「お上」→「下々」
の構図に見えるのですが…
Posted by べざとる at 2007年01月26日 00:00
「この程度の国民にはこの程度の当局がお似合い」とは言い得て妙。
Posted by 通りすがり at 2007年01月25日 22:18
>それではその無知蒙昧な世間を啓蒙する活動を当局はどの程度なさっているのだろうか?

そもそも「当局」を無謬だと信じ込んでる「無知蒙昧な世間」に、その「当局」自身が“自分たちもまつがうことはあるんだ”と「啓蒙する」ことなんて可能なんでしょうか?“エピメデスのパラドックス”のように感ずるんですが。どのみち「世間」は、自ら蒙を啓く以外にはないと思ひます。
Posted by t_f at 2007年01月25日 21:38
ていうか、Dan氏が自らの誤りを認めることが少な過ぎるような。
「核心的なことを言おうとすると、人は自分を棚に上げざるを得ない」
という端的な例です。

話半分に聞けない人が、Dan信者になっていくんでしょうねえ。
あ、私このブログのファンですよ。いや、ホントに。
Posted by ぐん at 2007年01月25日 21:37
>信頼を得たかったら、まず自らの無謬性をきちんと否定するべきではないのか。

モトケンさんのblogから辿ってきた者です。
あちらの医療崩壊問題の討論をご覧になっていると思いますが、
医療者の方々が医療の不確実性をさんざん主張されていても、
国民はそれを受け入れるわけではないのがわかります。
ですので、自分も上記意見には同意するのですが、実際のところは、
逆に不信感を増大させるだけではないかと考えます。
Posted by ひとこと at 2007年01月25日 20:08
不起訴=無罪とは見ません、の間違いです。すみません。
Posted by k3c at 2007年01月25日 19:56
46%有罪、は起訴猶予の割合を無視しているのでは?「不起訴=無罪」ではないです。少なくとも世間は不起訴だから有罪とは見ません。だから「容疑者」という呼称がまかり通るんですよね?
Posted by k3c at 2007年01月25日 19:55
bobさんの論理には一箇所致命的な飛躍がありますね。
逮捕されてから起訴される確率が無視されています。
平成16年における起訴率は,全事件では46.4%
(http://www.moj.go.jp/HOUSO/2005/hk1_2.html)とありますから、
逮捕されても「46%有罪」でしかありません。有罪の確率は半分以下です。とすれば「逮捕=有罪」であるかのごとく解釈する人たちがおかしいといえます。
Posted by 松永 at 2007年01月25日 19:36
確かに「起訴されたら99%有罪」であるからこそ逮捕されたら「逮捕されただけで職場は首になる。子供は学校で苛められる。奥さんは村八分状態。」という状態になるのであって、「起訴されても無罪のことも多々ある」ということになれば逮捕されただけで上記のようなことにならないようになるでしょう。
日本の法曹関係者はもう少し我が身を省みたほうがいいことは確かでしょうね。
Posted by bob at 2007年01月25日 17:16