2007年02月01日 09:30 [Edit]
働かなくても生きて行ける煉獄
悲しいかな、私も同意見だ。
アンカテ(Uncategorizable Blog) - 働かなくても食っていける社会がもうすぐやってくるよつまり、「生活保護でかなりの贅沢をして暮らせるけど、『働く』為には、ものすごい才能と努力が必要になる社会」である。
大多数が働かなくても生きて行ける社会は、やろうと思えば全世界規模でさほどの困難もなく実現できる。食料なら、すでに80億人分ある。15億人分も過剰だ。その配布システムはまだ全世界を覆い尽くすには至っていないけど、仕事にあぶれた土建屋たちを動員すれば、10年とかからず出来るだろう。65億人が生きていくために必要なものは食い物だけではないけれど、全員分の衣食住を整えるだけのヒトもモノもカネもすでに充分以上ある。
実のところ、「大多数」を「過半」に代えれば、先進国においてはほとんど実現している。「中小企業白書 2006年版」によれば、日本の就労人口は2003年の時点で6600万人。五割をわずかに上回っているに過ぎない。残りはまだ就学中だったり、すでに「寿退職」していたり、定年を過ぎていたりでこの中に入っていない。それでも日本は回っているし、日本を回すのに実はこんなに就労者が必要なわけではないということは皆うすうす知っている。
それが、問題なのだ。
65億人が生きていくために必要なものを揃えるのに、65億人も必要ないことそのものが問題なのだ。衣食住を揃えるためだけなら、おそらくその1/100で足りてしまうのではないか。かなり大めに見積もっても、1/10を超えることはないだろう。
百人の島の中で、たった一人、あるいはたった十人が働いている世界。これは天国なのだろうか?
それが天国だと思う人は、今一度「失踪日記」を読んで見るべきだ。「逃亡日記」も併せて読めばなおよいが、とりあえず「失踪日記」は必須だ。「選ばれた」一人と「残りの」十人のはざかいにあることが、人の心にどれだけの負担を強いるかが分かる作品としてこれほど優れたものはほとんどない。
その吾妻ひでおが愛してやまないSFは、「働かなくても生きて行ける社会」のサンプルの宝庫でもある。この社会を肯定的に描いたものとしては「404 Blog Not Found:断絶への航海」があるが、むしろ私が思う、いや怖れる(fear)近未来は,以下のような形である。
404 Blog Not Found:終わりなき肉欲との戦い「就職からの開放」というのは、今風の言い方をすれば「人類総ニート」ということでもある。この世界では最優秀のほんの一握りの若者が、徴兵され宇宙人との戦争に赴く。
そして残りは政府から捨て扶持を与えられ、人口爆発を防ぐために同性愛が奨励されている。どうやら同性愛を奨励されなくても人口は100億未満で落ち着きそうなので政府による同性愛の奨励はなさそうだが、「終わりなき戦い」の描く近未来には、絵空事と読み捨てるにはあまりに深く刺さるリアリティがある。
finalventの日記 - 朝日社説 「産む機械」 少子化対策が心配だ大衆が秘めている本当の力というのは言葉では語られないようにできている。
「働かなくても生きていける社会」とは、この大衆が秘めている力が、常に大衆が必要としている力より過剰な世界なことである。我々はこの力が不足していたがゆえ「ヒト」から「人間」になったのだが、今度はこの過剰な力を過不足なく発散させるというのが社会問題となる。パンよりサーカスの方が大事(だいじ|おおごと)になるのだ。
「それならば、最初から必要な力を必要なところに必要なだけ使えばいいじゃないか」と思われるかも知れない。ところが、過剰な「総力」を持つにも関わらず、どこにどんな力がどれだけ必要なのかを知るほど賢くないのである。それを知らぬ故我々は競争する。1人ですむところを10人がかりでやらせて、残り9人を「捨てて」いる。
アンカテ(Uncategorizable Blog) - 働かなくても食っていける社会がもうすぐやってくるよとは言っても、これは実際には夢物語だろう。労働者がこれを受けいれるとは思えないからだ。「人は報酬を労働の対価として受け取るべきである」という倫理は、簡単に拭い去ることはできない。仕事が無くて贅沢できる社会より、ワーキングプアだらけの格差社会を、労働者が望み、その集団的な力はとても強い。資本家や企業がそれに対抗して、上記のシナリオを実現するだけの力を持つことは難しいかもしれない。
断言しよう。資本家や企業も「そういう社会」、すなわち「彼らだけが働き、残りは働かずに生きていける社会」を望んではいない。なぜなら、彼らも誰が働くべきで、誰が働かざるかを知らないからだ。彼らが知っているのは、「自分達は働く側、いや働かせる側にいたい」ということだけである。
働くにあたって何が必要か。それは「飢え」である。You gotta stay hungry and stay foolish to get a job. ということである。しかしお菓子の家の中で飢え続けているのは並大抵のことではない。もっともそれは生物にとっては手慣れた作業でもある。水に囲まれた中でペプチド結合という「水抜き」をしているのだから。
しかし、誰の「飢え」が「社会的に働く」のかを、我々は知らない。「市場だけが知っている」と経済学者は言うかも知れないが、それは「知りません」と同義である。だから資本家や企業としては、「飢え」そのものに人々を飢えさせて「共食い」させるしかない。「いや、俺たちなら知っている」とGooglersは言うかも知れないが。
我々は「働かなくても生きていける社会」で生きていけるほど慎ましくなれるのだろうか?残りの99人は「ごくつぶし」であることを従容するのだろうか?そして選ばれた1人は社会を食わせ続けることに飽きずにいられるのだろうか?
誰かに必要とされずとも生きていけるほど、人「間」は強く鈍くあれるものなのだろうか?
Dan the Insatiable
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個人的には、自分が何も生まない (生めない) 人間であることを許せる人間が、(少なくともこの国においては) もう少しぐらい増えてくれてもいいような気がしています。自分に期待して、自分に裏切られて、病気とかになっちゃう人、少なくないし。
働かなくてもいい世界では、働かない人がボランティアなどの奉仕活動をおこなうなどの代償行為が盛んになることが重要かと思います。
> そして選ばれた1人は社会を食わせ続けることに飽きずにいられるのだろうか?
でもGoogleの中の人々は意識の上では「労働」していないと思いますよ。どちらかというと遊んでいるんじゃないかなあ。
そういう意識だったら飽きずにいられるんじゃないでしょうか。
のこりの99人は、2ちゃんねるの住人みたいに自分が楽しいと思うことをほじくり出し始めるでしょうね。
その「楽しいこと」には労働が含まれても問題はないでしょう。
なんとなく、煉獄というほどではないんじゃないかなあと思いますが。
現実世界で精力的な活動をしている人には、この感覚は理解しづらいのではないかと思います。
働くにあたって必要なものが「飢え」であるとするならば、
人間の人口と食欲に限界があったとしても
つまりパンを求める量に限界があったとしても
サーカスを求める欲望に限界がないとすれば、
「働かなくても生きていける社会」であっても
誰かに必要とされつづけるんじゃないですか?
このような世界が成り立つためには、その働く「ひとり」を生み出すために、
やっぱり人はみな働き続けないとけないんじゃないか?
と思います。
とても生産性の高い人は競争の末に生まれた覇者なのであって、
生まれつき生産性が高かったわけじゃないと思うのですが、、、。
ある一人の天才の足下は何百人かの努力の山で押し上げられているんだと、、
違うのかな?
足下の人たちが自分たちは何もしなくていいんだと
(果たしている役割に気づかないで)思ってしまえば、山は低く低くなっていくでしょうね。
これが文化の衰退?
額に汗かいて働くことの気持ちよさを知らないだけだろ?
椅子に座っていたら、地獄だよ。働いていようがいまいが。
セックスの快楽を知らなければ、労働を知らないこと。
労働の快楽を知らなければ、セックスを知らないこと。
せめて、椅子の上で、セックスしてみたら?
一連の流れで言っている「働く」っていうのは
「カネを稼ぐ」ってことだけを指してたのか。
選ばれた1人を支えるために、残りの99人は
掃除をしたり
洗濯したり
おしめをかえてあげたり
食事を用意したり
切れた電球取り替えたり
庭を掃除したりと、
いろいろと働いてるのでは…。
いつかgoogleが僕のパンツを洗ってくれるのかと思ってたのに!
>額に汗かいて働くことの気持ち良さ〜
これを知っているからこそ、煉獄になるんだって話だと思う。
もし実施したら、日本人は働かなくなる? 金額による? 浮かれる最初だけ?
BIは人質とされた生活を解放し、
等価交換かは?だが、生活を解放するその取引の代償として、
『ワーキングプアやピンハネ派遣、つまり生活を人質にして成り立つ今の成長スピード』が鈍化し、またそれによりコストも上がる、
という意見がもありますが。
領主は食料庫に1000人分の蓄えを持っていても
飢えに苦しむ900人の領民から更に搾り取ろうする。
更に2000人分の富を欲して隣国に侵略するもんだ。
話はそれるが
インドでGoogleではなく「貧しい人」にパンツを洗ってもらった、
パンツ洗ってもらうことに抵抗があったが、それは間違いだとすぐ思った。今は資本家や企業がパンツさえ工場で洗おうとしているのではないかと思う。
やっぱり今は過渡期の摩擦できしんでいるんだとおもう
結局小規模な家庭内ですら果実をとってくる人が偉く扱われ他を見下すという傾向は人というレベルの枠からは身でないと解決が難しそうな気もします
または果実をとってくる人が居ない家庭などは差別対象にすらなりそうです。
ピラミッドを逆さにしてもしかり


