2007年02月13日 03:00 [Edit]

書評 - なぜ勉強するのか?

本書のタイトルは、これで正しい。

常々「学習」を「勉強」と呼ぶなと言っている私が、なぜこの本のタイトルは正しいと言っているのか?


その理由は、この設問の答えにある。

p.40
だから、もし子どもに「なぜ勉強しなければならないの?」と訊かれたら、親は「社会をよりよくするためだ」と自身をもって答えなければなりません。

この台詞は、勉めて強いることなしには出て来ない。もしこの台詞を勉めることも強いることもなしに出したのだとしたら、そいつは掛け値なしの馬鹿だ。

しかしこれは、勉めて強いてでも、誰かが言わなければならない言葉なのだ。

目次
  • 第1章 すべてに通じる理解力、想像力、表現力
  • 第2章 明晰に、論理的に、分析的に
  • 第3章 正しい学習法
  • 第4章 世界に通用する論理
  • 第5章 未来をよりよくするために勉強する

目次にあるとおり、本書「なぜ勉強するのか?」において、鈴木光司は勉強を三つに分けている。うち理解力と想像力に関しては、私は勉強したら負けだと本書を読了した今も思っている。この二つを勉めて強いないと発揮できないというのは、その時点でこの二つを楽しんで発揮する人とは勝負にならない。

しかし、最後の表現力に関しては、勉めて強いることが時に必要となる。それは世に対して異議申し立てをする行為なのだから。ガリレオの勉強は、ピサの斜塔で実験したり、望遠鏡を作ったことじゃない。彼はそれらを喜々としてやったのだ。それを本に著した事、それが彼の勉強なのだ。

表現。それがどれほど勉めて強いるのかということは、世の天才たちを見ても明らかだ。ガウスは非ユークリッド幾何学を発見していたのに発表しなかった。それが数学界を勉めて強いることを知っていたからだ。彼がなぜあれほど長生きできたかといえば、「勉強」はほどほどにしかしなかったからだ。

逆に、「勉強好き」の人生は儚く悲しい。ブルーノは火あぶりにされた。ヴァン・ゴッホの絵は生前ほとんど売れなかった。カントールは精神病院で一生を終えた。

現代においては、表現に対してそこまでの「勉強」は必要なくなった。近代の「天才」の寿命が伸びたのもそのためだろう。ピカソは名前も長かったが寿命も長かった。スティーヴン・ホーキングは五体不満足なのに還暦を超えた上に宇宙旅行を目指している。しかしそれを可能にした「表現の自由」の獲得そのものが「勉強」であり、今に至るまでおびただしい涙と血が流されてきて、そして今でもその確保のための「勉強」が続いている。

そう。表現というのは、本当は痛いのだ。

それでも表現せずにはいられない。表現せねばならないものがある。

これは確かに勉強せねばなるまい。時には命をかけてでも。

それだけの価値がある答えとしては、「社会をよりよくするためだ」しかないではないか。

薫日記: なぜ勉強するのか?
日本は世直しが必要だと思うが、「国家の品格」とか「美しい国」じゃなくて、鈴木光司さんの「なぜ勉強するのか?」でも読んだほうがずっとためになる。

世直しは、現代日本だけではなく古今東西いつだって必要だったし、この瞬間もなされている。世直しが不要というのは、子供たちに「君たちは生まれてきた価値が無い」と言っているに等しい。もちろんどこをどれだけ直すかは、時代や場所によって違うけれども、世は勝手に直るものではない。勉めて強いないと直らないのだ。

だから、上の「クサい」台詞を、堂々と、勉強して言ってくれたことに感謝している。私はとてもそこまで勉強できなかった。それに比べればツッコミどころの多い各論や、「父性の誕生」とかぶっているところが多い面は目をつぶる、いや読者としてその程度は「勉強」してもいい。

とはいえ、だからこそ「勉強はほどほどに」と私は申し上げたい。だから書名の「なぜ勉強するのか?」は正しいがオビの「勉強が大好きになる!」は間違いだ。勉強が大好きな者は、往訪にして自分勉強するより他者勉強するものである。本書にも、そういう押し付けがましさは確かにある。

しかし、勉強が「たった一つの冴えたやり方」だった場合には、勉強をためらってはならない。勉強とはそういうものだ。だから勉めて強いるぐらいがちょうどいい。勉強しなけりゃ不戦敗。しかし勉強好きは本番までもちませぬぞ。

Dan the Man in Progress, Whichever Direction it May Be


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404 Blog Not Foundより そう。表現というのは、本当は痛いのだ。 それでも表現せずにはいられない。表現せねばならないものがある。 これは確かに勉強せねばなるまい。時には命をかけてでも。 泣きたくなるくら??mesk1
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この記事へのコメント
言葉を勝手に(再)定義して弄ぶばかりだから、他人と話が噛み合わない。
Posted by ことばあそび at 2007年02月14日 16:47
ガウスって長生きできたんですか?
Posted by あぽん at 2007年02月13日 20:57
あ、弾さんの場合、能力は疑われないのか。
失礼しました。
Posted by e at 2007年02月13日 18:34
このエントリでは勉強=努力ではないみたいですね。
苦行にあらずんば勉強にあらず、みたいな雰囲気を感じます。
逆境にあるか順境にあるかが勉強か否かを決める基準ですか?
まぁ「勉めて強いる」ですから間違っちゃいないのでしょうが。
しかしガウスの長生きの理由を「勉強」をほどほどにしかしなかった事に求め、「勉強好き」の人生を儚く悲しいものと決めつけるのには違和感を禁じ得ません。
勉強をほどほどしかせずに短命だった人は腐るほどいます。
「勉強好き」の人生が儚く悲しい?
トマス・アクィナスやレオナルド・ダ・ヴィンチ、オイラーの人生もですかね?
弾さんは努力が認められたか否かという結果からその人が勉強したか否かを後出しで勝手に決めつけてるんですよ。

注文ですが、漏れの多い比喩や具体例は使って下さるな。
人格のみならず能力まで疑われますよ。
Posted by e at 2007年02月13日 17:57
右翼左翼のエントリでもないような気はするけど
かつて

左翼は勉強しないとなれないが
右翼はバカでもなれる

といった著名人がいた。ちょっと変えて

左翼は勉強しないとなれないが
右翼は学習すればなれる

なんて言い換えてみると面白い。

勉強すると左翼になってしまうが
学習すると右翼になってしまう

でも面白い。

Posted by hoge at 2007年02月13日 15:18
続きです。
それとは反対にコミュニケーションが取れない教員生活38年のオバハンが、ラジオ「テレフォン人生相談」で逆ギレして、ネットで話題になりました。http://oracle.jugem.jp/?eid=911
ガチャンッ。ツー、ツー、ツー...の沈黙の後、加藤諦三氏の「コミュニケーションできない人は、人間関係の距離感がありません」のコメントが秀逸でした。

さて、表現についての考察も興味を引かれました。IT革命とは言うものの、猛烈な勢いでインフォメーション革命が進行していることへ意を注ぐことが疎かになっているように感じます。で、インフォメーション革命とは「表現すること」に他なりません。更に、表現することは共感・共鳴と切っても切り離すことができない。それは「洗練」と言い換えてもいいでしょう。つまり、反日左翼の連中は洗練されていないのですねw 上記のオバハンはその典型でしょう。
Posted by 朝日に匂ふ山櫻花 at 2007年02月13日 14:16
「社会をよりよくするため」を、もう少しこなれた日本語では「他人様(ひとさま)のため」になると思いますが如何でしょうか。人間は社会的な動物ゆえに、反日左翼の言う「個性」なんぞよりも人との繋がりを重視するのが自然。ネットワーク然りです。コミュニケーション、コミュニティ等、これらに必要とされるものは「個」よりも「繋がり」が基本でしょう。ブログ等をタダで毎日更新する努力は、繋がりや共鳴・共感がないと続けることができません。少なからず誰かの役に立ちたいという気持と、それに対する反応がなければ毎日のような更新なんぞ、とてもできるものではありません。ですから、ネットの出現はこの傾向に拍車を掛けていると思います。
Posted by 朝日に匂ふ山櫻花 at 2007年02月13日 14:14
>往訪にして自分を勉強するより他者を勉強するものである。

往々にして?ですか。

つまんないコメントですみません。
Posted by kennsuke at 2007年02月13日 13:33

とかなんとかいいつつあらゆる方法で
コソコソ励むのがオトナというものである。
Posted by 時間泥棒 at 2007年02月13日 12:32
引用箇所「自身をもって」は「自信をもって」ですか?

Posted by やえもん at 2007年02月13日 10:50
たしかに、「おたく」の人って「ほんとにそんなことやってて楽しいんかい?」と言いたくなるときがあるな。
「(自己)表現命」みたいに見えるし、勉強好きなんだろうなぁ。
Posted by haineko2003 at 2007年02月13日 07:02
今のゆとりガキは理由がなけりゃ勉強しないのかねえ・・・
好奇心とか向学心とか知識欲とかないの?
Posted by   at 2007年02月13日 03:20