2007年02月19日 18:00 [Edit]

書評 - 論より詭弁

なぜあなたは論争に勝って決議に負けるのか?

なぜあなたは相手を論破できるのに説得できないのか?

なぜあなたの正論は相手の詭弁の前に破れるのか?

答えは、本書の中にある。


本書は「論より詭弁」は、修辞学(rhetoric)のプロフェッショナル、すなわち論述の玄人が、論述がなぜ無力かを説いた本である。

目次
  • 序章 論理的思考批判
  • 第一章 言葉で何かを表現することは詭弁である
  • 第二章 正しい根拠が多すぎてはいけない
  • 第三章 詭弁とは、自分に反対する意見のこと
  • 第四章 人と論とは別ではない
  • 第五章 問いは、どんなに偏っていてもかまわない
  • あとがきにかえて - Sein を知らないドイツ語教師 -
  • 【引用文献】

なぜ議論に勝つ人々は、往々にして支持や賛同や決議を逃すのか?

その一番の理由は、「対当な議論というのはほとんどありえない」からだ、ということになる。

p.14
だが、われわれが議論するほとんどの場において、われわれと相手との人間関係は対等ではない。われわれは大抵の場合、偏った力関係の中で議論する。そうした議論においては、真空状態で純粋培養された論理的思考力は十分には機能しない。

実は同様のことを、私も本blogで何度も書いている。

404 Blog Not Found:ローマから対話が見える を編集
[〈対話〉のない社会の議論チェックリストおよび→私のつっこみ]
  1. あくまでも一対一の関係であること。
    → 聴衆を見方につけても構わない。
  2. 人間関係が完全に対等であること。〈対話〉が言葉以外の事柄(例えば脅迫や身分の差など)によって縛られないこと。
    → 人間関係の不均衡はむしろ積極的に利用する。
  3. 「右翼」だからだとか「犯罪人」だからとか、相手に一定のレッテルを貼る態度をやめること。相手をただの個人としてみること。
    → それが対決に有利であれば、レッテルは積極的に利用する。
  4. 相手の語る言葉の背後ではなく、語る言葉そのものを問題にすること。
    → 言葉以外のものを背後に控えさせても構わない。兵や金や権威にものをいわせるのもあり。
  5. 自分の人生の実感や体験を消去してではなく、むしろそれらを引きずって語り、聞き、判断すること。
    → ここは共通。ただし「対決」に有利な場合に限り。
  6. いかなる相手の質問も禁じてはならないこと。
    → 質問そのものを禁じる必要はないが、質問に対する応酬を暗に臭わせ、不利な質問に対する「抑止力」とするのは構わない。
  7. いかなる相手の質問にたいしても答えようと努力すること。
    → 無視が「対決」にとって不利にならないのであれば、無視しても構わない。
  8. 相手との対立を見ないようにする、あるいは避けようとする態度を捨て、寧ろ相手との対立を積極的にみつけてゆこうとすること。
  9. → 「対決軸」そのものの解消が問題解決をもたらすのであれば、対立を避ける事を厭わず。
  10. 相手と見解が同じか違うかという二分法を避け、相手との些細な「違い」を大切にし、それを「発展」させること。
    → 小異を捨て大同を得るのもまたよし。
  11. 社会通念や常識に収まることを避け、常に新しい了解へと向かってゆくこと。
    → 実践を円滑に行うために、あえて言動が社会通念や常識に収まるように見えるようにする工夫もまたよし。
  12. 自分や相手の意見が途中で変わる可能性に対して、つねに開かれてあること。
    → この部分は共通である。ただしあくまでも相手の意見の変化が有利となる場合に限り。
  13. それぞれの〈対話〉は独立であり、以前の〈対話〉でコンナことを言っていたから私とは同じ意見のはずだ、あるいは違う意見のはずだというような先入観を棄てること。
    → 自分が先入観を持つのは禁物だが、相手の先入観はむしろ積極的に利用して構わない。

そうなのだ。実際にものごとを話し合って何かを決める際に重要となるのは、「正しい意見」ではなく「強い意見」なのだ。そして意見の強さというのは、正しい議論が最も忌み嫌う要素によって成り立っているのだ。「論の正しさも」一応「意見力」の要素の一つではあるのだが、あくまで要素の一つ、それも後ろから数えた方が早い程度の強さでしかないのだ。しかもこの力は往々にして意見力を弱める方にすら働くのだ。

そのことを指摘すると、往々にして「正論派」は、「間違っているのは世の中の方だ」という。なんと正しく空しい指摘だろう。正論を通すのは、論の正しさではなく、論者の強さなのである。

もちろん、自らの立場をいいことに、強くても誤った意見ばかりを押し通し続ければ、それは自らの力を弱めることにつながる。馬鹿を強いた趙高はやっぱりバカだったのだ。必要もないのに正論を力でねじふせるのは、力のムダ遣いもいいところなのだから。

しかしそれでも、正論は「意見力」のトップとはなりえない。論達者はどうしてもこのことがわからないようだ。彼ら(いや、私も含めて)の正論が往々にして負け犬の遠吠えにしか聞こえないことを、論者たちはもっと自覚すべきだ。

論の玄人がそういっているのだから間違いない。もっとも左の論法は属人論法という最も代表的な詭弁ではあるのだけど。

正論ゆえに負けた事がある人、必読の一冊。

Dan the Hypocrite


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以下は全くもっておっしゃるとおり。 詭弁-△△の支持者の方が多いから、△△が正しい(多数論証) 多数論証は次の形式をしています。 前提1.Aの支持者は多数派だ。 前提2.多数派は常に正しい。 1と2ゆえ.Aは正しい。...(結論) これの前提2は誤りで...
多数決はなぜ「正しい」のか【404 Blog Not Found】at 2010年05月14日 23:41
書評 - 論より詭弁(404 Blog Not Found) を見て興味を持ったので。 『論より詭弁/香西秀信/光文社新書/2007』 著者:修辞学、国語科教育学、"生涯一ソフィスト" 評価:論理思考とディベートの問題点を指摘する・面白い! 続きを読む
論より詭弁−反論理的思考のすすめ(光文社新書)【新書中心主義−心理学者の読書日記(livedoor館)】at 2007年11月01日 06:16
この記事へのコメント
一つ抜けてました、

「不利にならないか、不利になりうるか、不利になりそうか、不利になるのであれば、無視しても構わない」

この方がより都合が良さそうです。どうもすみません。
Posted by 4月5日に書き込んだ人 at 2007年04月09日 20:08
…えー、

7. いかなる相手の質問にたいしても答えようと努力すること。
→ 無視が「対決」にとって不利にならないのであれば、無視しても構わない。

を適用した、ということでよろしいんですよね。

「不利にならないのであれば」は、「不利にならないか、不利になりうるか、不利になりそうであれば、無視しても構わない」に書き換えたほうがいいんじゃないかと思いますよ。
Posted by 4月5日に書き込んだ人 at 2007年04月09日 20:03
(続き)

 「そして、これを突き詰めたとき、譬えが大袈裟にすぎようが、マルキ・ド・サドが神をも恐れぬ行為を模索することで裏側から神に迫ったように、私もまた「レトリックの倫理」に背後から接近することができるかもしれない。」

 ―――――――――――――――――――――――――――――――――

 以上のように、香西氏は、弾氏が述べている種類のことを述べきった先に、「強い」意見が「勝つ」という理解を置こうとは思っていないようなのです。論より詭弁に書かれてあるような面を完全に認識したときに、それを人が心底嫌うだろうことを「倫理」として期待しているのです。
Posted by 引用2 at 2007年04月05日 20:35
上のAuthorのとこ切れてしまいました。「…否定的でしたよ。」です。
せっかくなので、「議論術速成法」のあとがきから、少し引用します。

 「…レトリックの復権がさまざまに試みられてきた。だが、私はそこに無理と欺瞞を感じてしまうのだ。いくらレトリックの教育的、社会的意義が語られ、その認識論的正当性が示されても、私には依然としてそれとは別のレトリックの姿が見えるからである。では、いっそのこと、レトリックを世間で「嫌われ、軽蔑され」ているとおりの技術として追究してみてはどうだろうか。道徳の問題、真偽の問題をすべて捨象し、説得のための、議論に勝つための、相手を論破するための、ただそれだけの技術として作り上げるのである。」
Posted by 引用 at 2007年04月05日 20:31
修正;


2007年04月05日 19:55
修正前:こういう言い方をする人は、「正しい意見」の立場を擁護しているに過ぎないのだが。
修正後:こういう言い方をする人は、「正しい意見」の立場を擁護しているわけだが、こういう言い方は、当然に空しいものとできるほど通用しにくい言葉ではないだろう。

2007年04月05日 19:56
修正前:仮に正論を通すのが論者の強さで決まると考えるのなら、そこで言われる「論者の強さ」は…
修正後:仮に管理人氏が述べた意味で<正論を通すのが論者の強さで決まる>と考えるのなら、そこで言われる「論者の強さ」は…


済みません。
Posted by 論より詭弁は未読ですが、「議論術速成法」のあとがきを読む限りでは、香西氏はレトリックに対して否定的で at 2007年04月05日 20:16
>もちろん、自らの立場をいいことに、強くても誤った意見ばかりを押し通し続ければ、それは自らの力を弱めることにつながる。馬鹿を強いた趙高はやっぱりバカだったのだ。必要もないのに正論を力でねじふせるのは、力のムダ遣いもいいところなのだから。

 強くても誤った意見ばかりを押し通すような考え方がまかりとおる最大の問題は、「自ら」以外の「他人」の生命すら害する可能性があることだろう。
 民主主義(「強さ」)が暴走した経験を前提とする発想は、管理人氏が語るところの「正論派」が趣味で持っている程度のものに過ぎず、
 わざわざ問題にするほどのことでもない、とでも言うのだろうか?
Posted by そもそも香西氏は著作の内容を指針として受け取られることを望んでるんでしょうか?} at 2007年04月05日 19:58
>正論を通すのは、論の正しさではなく、論者の強さなのである。

 なぜ、論の正しさ如何の問題が、論者の強さという表現から排除されているのだろうか?
 論者の強さというものがあるとすれば、それは「論の正しさ」であることは、「正論派」が特に持っている視点とは
 言いがたいはずだが。

 仮に正論を通すのが論者の強さで決まると考えるのなら、そこで言われる「論者の強さ」は、そもそも看板どおりの意味を殆ど持っていないだろう。
 要は、「論」者として強くても、そんなものは役に立たない、実力者が勝つというだけの話だろう?
 そもそも論など問題にしていないだけではないか。論を問題にしたくないなら、したくないというべきで、
 これは正論にこだわるかどうかの問題ではない。ウソをつくかつかないか、性格・人格・人柄の問題である。
Posted by まあ、この場でこんなこと書いても「負ける」んでしょうが、それが何か? at 2007年04月05日 19:56
>往々にして「正論派」は、「間違っているのは世の中の方だ」という。なんと正しく空しい指摘だろう。

 上に限らないが、「正論」をいわない「正論派」を引き合いに出せば、「正論派」がおかしくみえるのは当たり前だ。
 「間違っているのは世の中のほうだ」では、何が間違っているのか他人からまともに特定できない。空しく響くのは当たり前である。
 
 例えば、「間違っているのは世に蔓延る迎合主義だ」という例に入れ替えたら、少なくとも違った受け取り方になるだろう。
 こういう言い方をする人は、「正しい意見」の立場を擁護しているに過ぎないのだが。
Posted by 議論に負ける人も、往々にして支持や賛同や決議を逃すだろう? at 2007年04月05日 19:55
既成事実から論証的に議論を把握しようとすると、その一貫性により、
議論の問題はすべて力関係に還元され、論理を完全に無視する結論に至る。
議論が通じるかどうかは、議論の正しさが決めるのではない、議論の強さが決めるのだという考えは、
つまるところ、「現実主義」的な論理マニアのたわごとである。

そういう論理マニアは、そこでいう議論の「強さ」が、「正しさ」だと考えられていることの意味について
考えようともしないのだ。彼らの論理の正しさは、もっぱら彼らの利害関心に限定されているから。

彼らは彼ら同士が議論していないときには、彼らが議論することはないかのように話すのだ。
彼が一度議論を始めれば、「現実主義」も「強さ」もどこへやら、とたんに「正しさ」が場を支配する。
Posted by 意見力ってなんやねん at 2007年04月05日 19:34
戦争に巻き込まれないようにしながら、針をさす弾さんの
レトリックに感心しました。
Posted by 経済学以前の、君の人格の問題だ at 2007年02月19日 23:59
弾さんは正論を一切言わないで負けるから好きです(笑
Posted by 空想経済学 at 2007年02月19日 23:01
あ、池田信夫さんのこといってる〜っ!!!
Posted by あ、これは池田信夫さんのことですね at 2007年02月19日 22:09
「対当な議論というのはほとんどありえない」→「対等な議論というのは……」

「聴衆を見方につけても構わない」→「聴衆を味方につけても構わない」

毎度、済みません。
Posted by yabu at 2007年02月19日 19:44