2007年03月24日 03:25 [Edit]
書評 - ボクがライブドア社長になった理由
なぜそれが正解だったか?
平松庚三その人がいたからである。
本書「ボクがライブドア社長になった理由」は、株式会社ライブドア代表取締役社長である平松庚三の自伝。率直に行ってしまえば、自伝としての面白さでは前代表取締役社長の 堀江貴文の本の方が面白い。
しかし、今のライブドアが必要としている長は、面白い自伝を書ける人ではない。面白いサービスを提供し維持する社員たちに、存分に力を発揮してもらう人である。平松庚三ほどの適任者が他に存在するだろうか。
ソニーを出て以来、平松氏は「外様社長」を歴任してきた。合州国では比較的よく見られるこのキャリアパスだが、日本では希有である。しかし、会社というものの機能を考えれば、社長というのはむしろ外様であることこそふさわしい。
言うまでもなく、会社というのは法人である。法人というのは、読んで時のごとく法的に人として扱われる存在である。人とはなにかという形而上的な質問はさておき、もし法人が人であるならば、その構成員は細胞にあたる。
人の細胞というのは、神経細胞や心筋細胞といった一部例外を除けば、3年もすればほぼ全て入れ替わってしまうそうだ。それをもって「三年前の自分」と「現在の自分」を違う存在とする人もいるけれど、法も社会通念もどちらの自分も自分として扱う。ゆく川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらずというわけだ。堀江が常々口にしてきた「諸行無常」に通じる考えでもある。
会社とは、川なのである。
そして、人は水である。どんな人でも、同じところにいれば濁るのである。
川が川でありつづけるためには、水は流れ続けなければならない。しかし水が絶えてしまえば川はなくなってしまう。
それでは、ライブドアとはどのような川なのだろうか?
P.262ボクがライブドアに移籍し、仕事に着手したとき、驚いたことがある。 それは、世間では「虚業」とか、「何をしているのかわからない会社」といわれていたライブドアが、じつは高度な技術集団を抱えたテクノロジーカンパニーだったということだ。
そういう川であることを平松が認識してくれたことを、そこを流れていた水だった一人としてうれしく思う。そう。この川筋は私がつけた川筋でもあるのだ。そしてその川筋をさらに多くの水を流れることで、小川は大河となっていく。
島国日本の河川では、上流に降った水はあっという魔に海に戻って行く。エチオピア高地に降った雨が数ヶ月かけてデルタに至るナイルとはそこが違う。だからといって日本の河川がナイルほど意味がないという人がいるだろうか。
ある会社が本当に川だったのか、それともただの水たまりだったのかは、実は源流の水が一巡するまではわからない。その意味ではライブドアという会社はずいぶんと早くその審判のときが来た。その結果を見る限り、ライブドアはやはり川であった。
日本で誰よりも多くの川を流してきた水である平松以上にそれを知っている人はいないだろう。
自らが水であることを知らない人もふくめ、全ての水は本書から得るものがあると感じる。
それだけに、本書の「器」を担当したソフトバンク クリエイティブは、本書の形体についてもっと考えて欲しかった。ハードカバーというのは本書にはそれほどふさわしくない。なぜソフトバンク新書の方で出さなかったのだろう。社長の自伝はハードカバーでなければならないという不文律でもあるのだろうか?新書がだめならせめてソフトカバーにするべきだったと思うのだが。
その点を除けば、本書は「ホリエ本」ほど「面白く」ない点も含めて、出るべき時に出すべき著者が出した本であり、それを読むべきときに読めたことに、届けられるべき本を届けるべきに届けてくれた「本が好き!」プロジェクトも含めて感謝したい。
Dan the Customer & Shareholder Thereof (元オン・ザ・エッヂ 取締役最高技術責任者)

ボクがライブドアの社長になった理由
- 著:平松庚三
- 出版社:ソフトバンククリエイティブ
- 定価:1575円
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×読んで時のごとく法的に
○読んで字のごとく法的に
こんなコメントで申し訳ない。
弾先生。私のブログです。
全くの0知識からゲームプログラマーになろうと思うのですが、何かオススメな本とかありませんか?
コメントとかあれば、ヨロデス。


