2007年04月30日 19:30 [Edit]
なぜクルマにはアクセルとブレーキがついているのか
そう。本質的には、二次元を移動する乗物には、ステアリングとアクセルだけがあれば事足りる。
A Successful Failure - アクセルとブレーキを間違えたぐらいで暴走する車が悪い安全側という概念を理解するために、ランプが1つだけしかない信号機を考える。仮にそのような信号機を設計しなければならない時、赤と青とどちらのランプを1つだけもった信号機を設計するだろうか。この場合、設計者は必ず青だけの信号機を作る。
にも関わらず、なぜクルマにはアクセルだけではなくブレーキがついているのだろうかを考えてみた。
実はアクセルしかない車というのはすでに存在する。ゴルフ場のカートがたしかそうだし(私はゴルフをしないので過去のうろ覚え)、自転車にもFixie (フィクシー)というのがあって、ペダルと後輪が直結していてハンドブレーキがない。ゴルフ場のカートは、アクセルから足を離せば泊まるし、フィクしーもこぐのをやめれば止まってしまう。しかし、こういった「クルマ」が公道の主流となることはなかった。
自転車のことを考えてみよう。たいていの自転車は、制御系として見た場合自動車よりさらに複雑だ。ブレーキも一つではなく前輪用と後輪用の二つがある。さらにたいていの自転車にはギアがついている。ATのおかげでギアチェンジが自動化された自動車と比べてなんと複雑な事だろう。にも関わらず、「自転車の不雑さが事故を招いているので安全装置をつけろ」という声はほとんどない。なぜだろう。
自転車はいきなり乗れるものではない。ガンダムをいきなり操縦したアムロだって、はじめて補助輪なしで自転車に乗ったときには転んだはずだ。しかしおっかなびっくり乗っているうちに、体が馴染んでくる。そしていつの魔に、自分がかつて自転車に乗れなかった事すら忘れるようになる。
実はこれは体が覚えているのではなくて、小脳が覚えている。このあたりの詳しいことは、「脳の不思議」をご覧いただくとして、ここで注目したいのは小脳の複雑さ。神経細胞の数は大脳の10倍。そしてそこにあるプルキニエ細胞は、人体の細胞の中で最も複雑な形をしている。なぜヒトの小脳というのはこうなったのか?
「仕組みの方に人間が合わせるため」以外の理由があるだろうか。
考えてみれば当たり前で、自然はフェイルセイフには出来ていない。その中で生きていくためには、環境をフェイルセイフにする以前に、自分の行動をフェイルセイフにする必要があった。そもそもフェイルセイルなんて考えていたら、赤子は立つ事もできない。だから行動してはそれを小脳にダメ出しさせ、そうやってうまく行った行動パターンだけを残すという仕組みになっていったのだと考えられる。考えたら負けだったのだ。
フェイルセイフの思想というのは、逆に人間に仕組みの方をあわせる思想である。極めて文明的で大脳的なアプローチだ。それがうまく行くようになったのは、仕組みの方をいじれるようになったごく最近の事なのだ。フェイルセイフが徹底したシステムを、しばしば我々が「不自然」に感じるのはそのためなのではないか。
「速度」のみを調節するアクセルをシステムで実現するのは可能だ。しかし自然界において調節できるのは「加速度」の方であって、アクセルはそちらの方に直結している。そもそもAcceleratorという名前はそこから来ている。人間の脳はそういった「不自然」な「システム」にも慣れる事ができるけど、はじめに感じる違和感は拭い難い。Segwayに乗った事がある人ならわかる思う。すぐに慣れるのだけど、最初はその「システムに再構築された環境」というのに少しとまどうはずだ。
フェイルセイフの問題は二つ。世の中を全てフェイルセイフにすることが不可能なことと、それが「我々が世の中をどう捉えるか」ということに対して一種の色眼鏡として働いてしまうこと。前者の問題がある以上、フェイルセイフの設計では単にフェイルセイフであるだけではなく、それが「不自然」でないことももとめられる。
カートのアクセルと自動車のアクセルが違う理由がここにある。低速では抵抗が大きいので、放っておくとすぐに止まるのが「自然」だが、ある程度のスピードが出ると、放っておいてもそのまま惰性で進むことこそ「自然」なのだ。惰性がある以上、自然な抵抗よりも強い減速力を得たければ「ブレーキ」を使うというのが「自然」な発想だろう。
とはいうものの、自動車というのは、たとえその仕組みが「自然」であっても、その質量はヒトのサイズから行けばきわめて「不自然」なものだ。それに見合ったフェイルセイフ機構はもっと必要だろう。参考となるものがある。馬だ。馬は障害があれば人間が指示を出さなくても避けたり止まったりしてくれる。むしろ障害にあえて進ませるためには馬を訓練した上で明白な指示を出さなくては行けない。そういう感じのフェイルセイフは充分可能であろう。
A Successful Failure - アクセルとブレーキを間違えたぐらいで暴走する車が悪いしかし、そんな複雑な機能を入れなくても、ブレーキあるいはアクセルの踏まれる加速度を検出し、加速度がある閾値を超えた場合は、踏まれたのがアクセルであってもブレーキであっても、急ブレーキがかかるという機構を導入すればよいのではないか。
これですら私にはややこしく見える。こんなことをしなくとも、バンパーに何かが接触したらアクセルを無効化しブレーキを作動させるでいいのではないか。これならば費用も大してかからないはずだ。なにより「何かにぶつかったら立ち止まる」という人の「自然な行動パターン」とも合致する。
あまりに不自然なフェイルセイフ機構は、ヒトの小脳に再教育を強いる。そしてその不自然さもまた事故の原因となりうる。エアバス関連の事故を見るとそんな感じがしてならない。
Dan the Cereb(ral|ellar) Being
この記事へのトラックバックURL
バンパーに接触するかなり前に作動させなきゃ駄目でしょう。
車は急に止まれない。
公道の全自動運転も、緊急時への自動的対処も、技術的には十分可能らしいですけどね。
自動車メーカー・国交省はそれだけの技術・統計データの蓄積はしてる様です。
ただその技術導入の決定が出来ないだけらしいです。
なんでなんでしょう?
曖昧な表現が出来ない言語が不完全であるように、
暴走の出来ない自動車は不完全なものという感覚があったりするのでしょうか…
↓
自転車の 複雑 さが事故を
でしょうか。
駐車ブレーキのついたのもあります。
MS-IME の2000以降なら、たぶん幸せになれますよ…。
に安全技術の特集が載ってますね。
http://www.sun-a.com/mook/detail.cgi?i=322
止まりたい時にはアクセルを離せばいいのですから、これなら混乱しないと思います。
もちろん、これでブレーキがいらないというわけではなく、急ブレーキをかけたい場合のためにブレーキは必要ですが、現在の(足で踏む)ような形である必要はないかもしれません(サイドブレーキがそれになる?)。
デッドマンスイッチのような仕組みが必要なのかもしれません。
もちろん運転中の人間に余計な負担をかけないモノが
望ましいですけれど
ATでもシーケンシャルMTみたいに発進時だけは一旦クラッチ切らない(AT限定の人には半クラッチでは難しいから完全にOFFでいい)と発進できないようにしたらいい。足でコントロールできないならレーシングカーみたいにハンドクラッチにすればいい。
競輪の自転車で事足りる気がする
小脳の学習かどうかは知らないけど
固定ハブのついた自転車に慣れた競輪選手は
フリーハブのついた自転車に乗るのが怖いんだそう
ブレーキを離すとそこへ向かって加速する仕組みにする
最近問題になってるピストですね。
ペダルを止めて休めないってのはけっこう疲れます。
あと下り坂がつらい。
ちょいと加速して、ペダルを止めて休めるのは大きいですよ。
長い間かけて進化した結果がフリーハブなわけで、
あるとないとじゃ大違いです。得に体力的に。
最大の問題として、変速機構が付けられなくなりますね。
さすがに変速がないのはツライ。
気をぬいた瞬間に加速してアボンする可能性が。
足で踏むにしても、2ペダルなんだから左足でブレーキ踏めばいいのに。踏み間違いはかなり減るのでは?
構造変更するのであれば、アクセルを例えば手で操作するレバーにしてしまえばいいでしょう。
ステアリングに付けて親指で操作するとかにすれば、手放しできなくなるので、運転中のケータイも排除できて一石二鳥?
ブレーキで速度調整というのはエコじゃない気がします。
でも、速度を一定に保てることになるので、高速道路の自然渋滞は少なくなりますね。
一般人は、その道の制限速度以上のスピードが出ないような制御ができれば良いのにとつくづく思います。駐車場では10km/hしかでないとか。
しかし、車の仕組みで安全を担保するようなことをしてしまうと、問題があったら自動車メーカーが訴えられて、バグ出したら会社つぶれますよね。あくまでユーザーの自己責任の原則を維持したまま安全にしていく発展が重要なのかなとは思います。
語れないんだろう?
・自転車のピストのような直結型だと、燃費的に損
・また、アクセルを離すと急減速するのであれば、追突される
リスク大
・アクセルを離しても大きく走行状況が変わらないことで、
長距離のドライブの際に楽=余裕ができて事故リスク低下
(そのために馬鹿なドライバーが増えてもいますが)
・左足は(右利きの場合一般に)右利きよりも細かい動作が
できないので咄嗟の際に余計に危険
・速度を一定に保つ装置→それこそ多様な状況に対応できない
結局のところ、自動車自体が(売り上げのため?)どんどん
簡単に運転できるようになっていますが、「相変わらず車の
運転は難しい」ということが認識されていないのが問題で。
だから油断運転するドライバーや、高齢者ドライバーが増える。
そして事故が増える。
自動操縦云々も、そんな複雑な状況にすべて対応できるかと
言われたら、胸をはってYesとは言えないでしょう。それでも、
ここの議論を自動車のエンジニアが見たら、悲しくなると
思いますよ……。
ただ、免許の取得を難しくすることによって自動車人口が減ってしまうと税収もメーカーの利益も潤わなくなってしまうので、現状の事故発生状況というのが損益分岐点みたいなもんで変わらないんじゃないですかね。
自動車事故が多いほど儲かる職業も一方ではあるわけですし。
自動車の運転は、もっと高度な技術を保有・維持した者のみに許可するべきではないでしょうか。
誰でも運転できる現状は異常だと思うのです。
車校で難易度を上げても、教わったレベルを維持することが大変です。
かといって、免許更新のたびに全員実技をやらせるのも現実的ではないか…
少なくとも車校でパニック系の教習をしてもらいたいとは思います。
危険すぎる(笑)
ペダルを一つにして、踏み込めば加速、
離せば常にブレーキという風にすればいいのでは?
Dモードで常にブレーキを踏み続けなければならないという、
現行のATの仕様がどうかしていると思う・・・。
踏み間違え事故のほとんどはNからDに移行する際に、
ブレーキ動作の時に起こっているので、
上記の改善を施せばもっと事故は減るんじゃないかなと。
低速または停止状態から、フルアクセルにできるのが
問題の原因の一つだと思うわ。
通常そのような運転はスタント映画でもない限り行われないので、
緩やかに加速されるようにするべきだね。
ところで、今回問題になっている事故のパターンにとじた話しですが、駐車場からそのまま前進して公園に進入できるっていう状態もまずいような気もします。それこそ、誤って前進する人もいるかも、というフールプルーフ的にみた場合。
条例つくって、せめて壁をつけさせるといった対策はすぐにできそうですよね。ないよりはましという程度かも知れないですが!
別にふざけているわけではなくて、現状の様に安全技術が未熟で実利優先な世界では、結局安全運転はメンタルなものだと思うのです。その殺傷力と存在感に比べて運転手の技術・メンタルレベルが低すぎるのです。現状のシステムでは、事故る人はどんな車でもいつか必ず事故ります。
注意散漫で、もしくは傲慢に運転する様な人間に免許を与えないのが一番有効です。本当に安全を言うなら、指さし声だし点検くらい義務つけてもいいんじゃないですか。
小手先の工学技術うんぬんでは無いと思います。
車乗ってるときに「今日こそ事故するかも」って思えれば、ペダルなんか間違わないでしょ。
ハードじゃ変わんない。
読ませてもらいましたが、なかなか面白い話ですね、私だったら馬型ロボットとか作ったら面白そうだなと思いますが、動物ロボットって結構需要あるような気もするのですけど、やる人いませんかね、

