2007年05月29日 01:30 [Edit]
書評 - 現代の貧困
本書、「現代の貧困」は、「ワーキングプア、ホームレス、生活保護」とサブタイトルにあるとおり、「本当の貧困」、すなわち古典的な貧困とは異なる現代の貧困を定義する試みである。
目次-
はじめに
- 格差論から貧困論へ
- 貧困の境界
- 現代日本の「貧困の経験」
- ホームレスと社会的排除
- 不利な人々
- 貧困は貧困だけで終わらない
- どうしたらよいか おわりに -- 貧困境界の再設定と「私たちの社会」
そう。定義。格差は観察するだけで顕在化するが、貧困を顕在化するには、実は定義が必要なのだ。
p.11貧困が取り上げられることが多くなったといっても、多数の日本人にとって、貧困はまだ「他人事」であろう。だが「他人事」であるはずの貧困の「再発見」は、同時に社会のだれにとっても「あってはならない」状態を明確にしていくプロセスに他ならない。つまりそれは、私たちすべてにとって生きやすい社会の条件を「発見」していくものなのである。
本書はこの視点に立脚して書かれている。目次を見ての通り、類書の多くと同じように本書にも最終章において提言がなされるが、本書の価値は提言にあるのではなく、貧困という言葉は格差とちがって「そこにある」のではなく、時代と場所にあわせて設定が必要だということを喝破したことにある。
本書が定義を試みる「貧困」に対して、「それは貧困ではない」という意見は当然ありうる。が、その場合は「ではない」ではなく「では何だ」を提示する必要があるだろう。「本当の貧困」論者に欠けている点は、まさにそこだ。彼らにとってそれは「言うまでもないほど自明」と感じているのかも知れないが、「あってはならない」を明白に定義するのは自明とはほどとおいのだから。
それでは、「私たちすべてにとって」「あってはならない」状況というのはどういうことだろうか。格差、ではないことは確かだ。年収300万円の者と年収3億円のものがいることそのものは、共産主義でもない限り「あってはならない」ことではない。「あってはならない」こと、それは「私たちすべてにとって」「ある」はずの社会へのアクセスが、特定の者達に閉ざされていることである。だから、アクセスの仕方を知らないこと--教育の不足--も当然貧困を生み出すし、「私たち」の範囲を狭めること--メンバーシップの厳格化--もまた、貧困を生み出す。しかし、個人宅の中に他人がアクセスできないからといって、それは「あってはならない」ことにはならない。
ゆえに、貧困を定義することは、社会とは何か、すなわちどこまでが「私たちすべてにとって」のもので、どこまでが「特定の誰かにとって」のものであるかということを定義することでもある。極論してしまえば、「私たちすべてにとって」のものなど存在しない、すなわちどんなものに対しても特定の所有者がいるという私有権100%の社会には貧困は定義上存在しないことになる。しかしそれは「私たちすべてにとって」「あってもいいもの」ではないだろう。
貧困の定義を拒むのは、発想の貧困であり、そして発想の貧困は「本当の貧困」の遠因ともなる。そのことに気づかせてくれるだけでも、本書は貴重な「救荒本」なのではないか。
Dan the Poor Thinker
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「高齢者福祉サービスの市民事業化における陥穽と可能性(1)天田城介
http://www.josukeamada.com/bk/bpp21.htm
「本当の貧困」論者は「貧困」のクロートなんだろと思う。
「シロートはイラクにくるな」という本があったけど、(たしかにそのとおりなんだけど)言ってる方向が違うんじゃないかと思う。道学者の経世済民は上に向かって何か言ったためしがないように思える。「カエサルのものはカエサルに」だからなぁ。
