2007年07月09日 00:00 [Edit]

書評 - 数学ガール

怪書に快書。奇書だがきしょくない。

初掲載2007.07.07;週明けまで更新

ライトノベルならぬ、ライトサンコーショ?

今年、いやここ数年読んだ中で、最も書評しがたい一冊でもある。


本書「数学ガール」は、まぎれもない一般向け数学書でありながら、同時にロマンスでもある。文庫化するなら、コバルト文庫が一番似合ってそうな数学書というのは、他にないだろう。

まずは数学的に、数学書としての本書とラブコメとしての本書を分けて考えてみる。まずは数学書の方。

目次 数学ガール | 数学 | サイエンス | サイエンス・テクノロジー・メディカル | ライブドア ブックスより追補
  • プロローグ
  • 第1章 数列とパターン
  • 第2章 数式という名のラブレター
  • 第3章 ωのワルツ
  • 第4章 フィボナッチ数列と母関数
  • 第5章 相加相乗平均の関係
  • 第6章 ミルカさんの隣で
  • 第7章 コンボリューション
  • 第8章 ハーモニック・ナンバー
  • 第9章 テイラー展開とバーゼル問題
  • 第10章 分割数
  • エピローグ
  • あとがき
  • 参考文献と読書案内
  • 索引

一目見てわかるのは、本書で扱われている設問が、高校で習う数学から見ると「横道」に当たること。本書は「受験勉強は役に立つ」の観点からは、実に役に立たない。というより、受験勉強に役立ちそうな知識はそこが出発点で, テトラちゃんの言葉を借りれば、

p.223
「これらの《微分のルール》は、a prioriにgivenとするのですね」

ということになる。その意味では、本書の「数学部分」は、高校で習う数学をきっちりやっていないとつらいかも知れない。これははっきり言って、本の売れ行きを考えると小さからぬハンデだ。にも関わらず、結城浩(ああ、敬称略にするとなんだか新鮮です>hyukiさん)がそのハンデを恐れずにそうしたのは、「数学はやさしい」ではなく、「数学は美しい」ことを描きたかったからに違いない。だいいち、「幹線道路」に関しては、すばらしい本がすでに数多く書かれている。本書の参考文献もそうだし、本blogでも「404 Blog Not Found:Math」で何冊も紹介している。それが「数学ガール」である必要はないのだ。

著者のセンスを感じるのは、その「横道」と「幹線道路」の距離。横道に見えるが、実は幹線道路からはそれほど離れていない。例えば「ωのワルツ」と「テイラー展開とバーゼル問題」をちょっと組み合わせれば、「オイラーの贈り物」はすぐそこだ。しかし、オイラーの贈り物は、美しいと同時にあまりに役立ちすぎる。どうしても「受験勉強臭く」なってしまうのは否めない。それでは本書の「ロマンス」部分が損なわれてしまう。余談ではあるが、ミルカさんとテトラさんは、和田秀樹には見向きもしないだろう。

それで「ロマンス」部分だが、本書は「僕」が、数学が得意な才媛・ミルカさんと、元気少女・テトラちゃんと一緒に数学の小径を散歩する本である。この部分が、「フィクション」として読者の好みが分かれるところだろう。ロマンスとして見た場合、本書はかなりの薄味だ。少女漫画でも、ここまで淡い味付けのものは昨今珍しいかも知れない。それでもその味がはっきりとわかるのは、まさに「背景」が数学だからだ。ここにおいて、数学は凛と澄んだ冬の夜空の役割を果たしている。他の科学でさえ、「光害」が強すぎるだろう。この「舌に神経を集中しないと味わえない」感こそ、本書の一番の魅力である。

それでも、私ならあえてミルカさんを「僕」の一年後輩(本書では同級生)、そしてテトラちゃんを一年先輩(本書では後輩)にする。数学においては主人公たちの年齢でも充分先輩後輩の逆転は起こるし、その方が物語がなめらかになったと思う。テトラちゃんは「僕」より数学が苦手となっていることにはなっているけど、まじめに授業を受けるタイプなので、一年先輩にしておいた方が「相加相乗平均ですね」という台詞の違和感がなくなるし、ミルカさんの才媛ではあるがゆえに、「a prioriにgivenされること」をよしと姿勢も、「そもそもまだ授業でやっていないのでgivenされていない」という設定になってすっきりする。「さん」と「ちゃん」はそのままでいい。一年先輩の朝比奈だって「みくるちゃん」ではないか。もっともこの場合、「僕」という便利な記号が使えないのが難点でもあるが。まさか「キョン」というわけにもいかないし。

本書のもう一つの難点が、英語。

まず「数学ガール」とはなんですか、hyukiさん、これじゃ「僕」はミルカさんからもテトラちゃんからもつるしあげられちゃいますよ。「数学ガール」ですよね。

次に、ここ

P. 175
「テトラちゃんの発音はきれいだね。"n exists"でもいいし、"there exists n"でもいいよ。such thatを補うとわかりやすい」
For all M in R, there exists n in N such that M < Σ 1/k

such thatは間違いではないけど、滑らかな英語とは言いがたい。suchはうしろに名詞がないと座りが悪いのだ。"there exists such n in N that M is smaller than the sum of one over k"と読む。なれればどってことないのだけど、such thatの代わりにもっとすっきりと切れのある where をここでは推しておく。

これまた余談だが、ミルカさんはvectorを「ヴェクタ」と発音する点がマイ萌え要素。私もしょっちゅう家庭教師や塾の講師をしていたころ(そう、ミルカさんぐらいの年頃)に、そう言っては生徒に直されてちょっと悲しかったので。これはまだいいのだけど、scalarを「スカラー」でなく「スケイラー」と発音すると、彼らをおいてけぼりにしてしまう。

それにしても、私にとって「僕」が心底うらやましいのは、このくらいの時分に、「一緒に歩く」相手がいたこと。大学に行くまで、私にはそういう相手がいなくてほんとさみしかった。大学に行けば行ったで、歩調の合う相手はそれほどいなかったのだけど。見えないほど速いか、見たくないほど遅いかのどちらかで。それでも0が1以上になった時のうれしさときたら!

本というのは、ネットとは比較にならぬほど一方的なメディアだ。それでこれだけ「一緒に歩くよろこび」を感じられる本というのは滅多にない。考え抜くのは孤独な作業だけれも、それを話す相手がいてはじめてその孤独に耐えられるのが人というものではないか。「ペアプログラミング」ならぬ「ペアラーニング」(途中から3Pになるけど:)を、あなたも是非本書でぜひ味わってほしい。

Dan the Math Boy


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数学ガール/不完全性定理 結城浩 本当に以下の通りとなった。 404 Blog Not Found:孤独解消型数学入門 - 書評 - 数学ガール/フェルマーの最終定理次はゲーデルの不完全性定理をおながいします>hyuki。 となれば読まぬわけに行かない。
自己、無限、自由 - 書評 - 数学ガール/不完全性定理【404 Blog Not Found】at 2009年10月26日 02:17
その頃には、もう予約入れてましたってば。 数学ガール/フェルマーの最終定理 結城浩 404 Blog Not Found:Math - π vs. ナベアツ - id:itaさんのコメント &gt; ちょっと数学が足りないなあ レビューするからhttp://www.hyuki.com/girl/fermat.html を送って....
孤独解消型数学入門 - 書評 - 数学ガール/フェルマーの最終定理【404 Blog Not Found】at 2008年08月01日 02:38
これがスゴ本でなくて何をスゴ本と呼べばいいのか。 数学でつまずくのはなぜか 小島寛之 「『(数学|算数)がわからない』がわからない」人は、必ず手に入れよう。教師、塾の講師、家庭教師はまず必読。家で子どもの宿題を教える機会のある父母兄姉も必読。教わる方...
数学は友達だ! - 書評 - 数学でつまずくのはなぜか【404 Blog Not Found】at 2008年01月20日 06:57
http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/50866933.html こちらで 数学ガール 作者: 結城浩 出版社/メーカー: ソフトバンククリエイティブ 発売日: 2007/06/27 メディア: 単行本(ソフトカバー) の書評を読んで 無限論の教室 (講談社現代新書) 作者: 野矢茂樹 出版社/メ
「無限論の教室」みたいな本なのかな。【日本で2番目に高い山】at 2007年07月08日 20:41
この記事へのコメント
みなさんすでにおっしゃられてることですが、"such that"のくだりは数学の明確さ・厳密さに基づいた英語です。多分みんなそう読むんじゃないでしょうか。

理系の人って、英語の論文を読んだり書いたりするせいか、会話に微妙に英語が混じりますよね。"a prioriにgivenとする"って文にちょっと共感(笑)
Posted by at 2007年07月23日 22:59
> tako

COBOLは、加減乗除しても1円単位まで誤差が出ないのが特徴の言語と聞いたことがあります。

http://ja.wikipedia.org/wiki/COBOL
Posted by 通りすがり at 2007年07月11日 13:12
題名として「数学ガール」としたのは,正解だと思います.
「数学」と「ガール」のバランスがちょうどいい.
「ガールズ」にすると,視覚的にも感覚的にもこちらの方が重くなる.
内容からも,ミルカさんとテトラちゃんがそれぞれに「数学ガール」であり,「数学ガールズ」ではない.
年齢設定もちょうどいいでしょう.
3年生を登場させないところは秀逸,センス抜群.
Posted by bear56 at 2007年07月11日 00:27
アメリカで数理系のPhDコース取ってるんですが、
授業で∃n∈N 〜というときにはsuch thatで読んでます。
(むしろ間違えて(?)は∃n∈N s.t. 〜って書く先生もいます。)
そもそもs.t.って略されますし、such 名詞でないといけない、
というのはこの成句に関してはあてはまらないでしょう。
(Oxford Dictionary of Englishにも載ってます。
用例としては、数学ではなく、言語学っぽいのが出てます。)
あと、使い分け方としても結城さんのおっしゃるとおりでしょう。
むしろここでwhereのほうが、あれ?という感じになってしまいます。
Posted by 通りすがり at 2007年07月09日 16:37
すいません朝生で江田けんじさんが社保庁のシステムはコボルで効率が悪いということいってましたがコボルとはどんなものですか?
Posted by tako at 2007年07月08日 14:21
exist n in N such that 〜
というのは論理記号として、
∃n∈N ; 〜
なんですよね。
“;”これがsuch thatなんですよね。
Posted by ena at 2007年07月08日 03:00
"For all M in R, there exists n in N such that M < Σ 1/k"
は完璧な数学英語です。

一方
"For all M in R, there exists n in N WHERE M < Σ 1/k"
は、間違いとは言い切れないのかもしれませんが、
焦点のズレた悪いステートメントです。
数学者はそのようには書きません。
それは、結城さんがご指摘のように、使い分けがあるからです。

Wikipediaなどで簡単な数学概念をひいてみると、
such thatの使われ方がよくわかると思います。
http://en.wikipedia.org/wiki/Continuous_function
Posted by tictac at 2007年07月08日 02:49
ついでにもう一つ。
s/such thatで補うとわかりやすい/such thatを補うとわかりやすい/
Posted by hyuki at 2007年07月07日 20:19
"Mathematical Writing" (by Donald E. Knuth, Tracy Larrabee, and Paul M. Roberts)を調べてみましたが、普通に such that は使われていましたよ(もちろん whereも使われていました)。enaさんが言及していらっしゃるのとかぶりますが、such that と where では主張したいポイントが異なるように思いますがいかがでしょう。

(1) such that
... there exists n in N such that《nを使った命題》...
のように書いて《nを使った命題》の部分に重要な情報があります(such thatの「後」が大事)。

(2) where
... 《関数fを使った複雑な式》 , where f(x) = ...
のように書いて、補足的にf(x)を解説しますが、重要な情報は《関数fを使った複雑な式》のほうにあると感じます(, whereの「前」が大事)。

もちろん、弾さんが書かれているような「英語としての滑らかさ」はまた別の話かもしれませんが、一応結城の考えとして書いておきます。
Posted by hyuki at 2007年07月07日 20:15
同じく大学時代数学をかじっていたものですが、
exist と such that は一連の慣習のようなものだと思います。
少なくとも、私が読んだ洋書のテキストはそうでした。

whereで条件付けるときは ,where にして非制限用法で使うことが多い気がします。
Posted by ena at 2007年07月07日 18:50
hyukiさん、
ありがとうございます。固有名詞の音節の転置はよくやるなあ、われながら。
tさん他、
For all M in R, there exists n in N WHERE M < Σ 1/k
というもう一つの、文句のつけようのない慣用句があります。
such thatは実は結構数学以外でも耳にしますが、後ろに名詞のないsuchは気にする人は気にするようです。
Dan the Typo Generating Mathphilia
Posted by at 2007年07月07日 16:15
数学科出身ですが、教授はみんな「For all M in R, there exists n in N such that M < Σ 1/k」と読んでいました。慣習みたいなものではないでしょうか。外人はどう読むのかな。
Posted by t at 2007年07月07日 12:07

扉の下手糞な絵はいったいどなたが。
上手くても「オタ絵」にされると本屋で手に取りにくいから
それよかマシかもしれませんが


Posted by さ at 2007年07月07日 11:40
s/みるくちゃん/みくるちゃん/

書評ありがとうございます♪
Posted by hyuki at 2007年07月07日 08:55
淡くないと強化書にならないってか参考書もゴロゴとか笑いを入れたものになっていくのだろうとか
Posted by blog49 at 2007年07月07日 07:36
淡くないと強化書にならないってか参考書もゴロゴとか笑いを入れたものになっていくのだろうとか
Posted by blog49 at 2007年07月07日 07:36