2007年07月27日 18:30 [Edit]

書評 - 医療の限界

元気が出る悲観論。

もしかして、本書は書によって医療の限界を超えようとする著者の試みかも知れない。


本書「医療の限界」は、医療現場の現状、いや惨状を現場から告発した本、ではない。本書は、医師による社会論であり文明論である。その範囲は広く、読者によっては大風呂敷を拡げ過ぎに思われるかも知れないが、医療の限界を打破するには、これくらいのことは必要なのだろう。

目次 - http://www.shinchosha.co.jp/book/610218/より
  • はじめに
  • 第一章 死生観と医療の不確実性
  • 第二章 無謬からの脱却
  • 第三章 医療と司法
  • 第四章 医療の現場で〜虎の門病院での取り組み
  • 第五章 医療における教育、評価、人事
  • 第六章 公共財と通常財
  • 第七章 医療崩壊を防げるか
  • あとがきに代えて――「厚労省に望むこと」

目次を見ての通り、本書では医療現場のみならず、行政、立法、司法といった政治から世界情勢まで、医療に影響をあたえざるをえない現象が、これでもかこれでもかという具合に登場する。その網羅の範囲の広さを見ると、本書は一医師というより一哲学者が書いた書にすら思えてくるが、にもかかわらず形而上感をそれほど感じず、主張の一つ一つが地に足がついたように感じるのは、やはり著者が外科医という、地に足をつけねば何も出来ない仕事を生業としているからだろう。

外科医というのは、おそらく医師の仕事の中で、最も「手応え」、すなわち自らの手腕が結果に反映されることが大きいはずである。その外科医が、もはや医療だけでは医療の目標は得られないという主張は、患者となりうる全ての人が傾聴しておくべき意見なのではないか。

その著者の主張の核を成すのが、「無過失保証から無過失保障へ」という提案だ。昨今の医療を巡る問題は、無過失の保証を患者が求め、それを司法とマスメディアが後押ししていることにあると著者は喝破する。無過失が当然で、過失は罰するとなると、罰を恐れて過失を減らすというメリットよりも、罰を恐れて職を放棄するデメリットの方が大きいというわけである。

実際このことは、医療業界のみならず、自動車保険にも見ることができる。合州国では、事故の際の過失を裁判で争うことに制限を設けて、物損事故程度であれば過失を問わず保障で解決する、無過失保障を導入した州とそうでない州が存在するが、無過失保障を導入した州(例えばニューヨーク)とそうでない州(例えばカリフォルニア)では、保険料が三倍も違うのだ。

同じ「ほしょう」でも、「保証」と「保障」ではこれだけ異なるのだ。

もちろん、著者は野方図な無過失保障の適用を訴えているわけではない。司直の医療現場に対する知識不足を指摘した後は、返す刀で同僚たちの技量不足を批判している。しかし、一人の手ではいかんともしがたい不幸に対して、無過失保障が医療に限らず最も効果的な処方箋であるということは、私も同意する。

最後に、「厚労省に望むこと」を全文引用して本entryを締めくくることにする。出来れば本書で直に読んで頂きたいが、一人でも多くの人にこの文章を見ていただきたいので。著者におかれてもこのやや長過ぎる引用を許されたし。

Dan the Impatient Patient

pp. 216 - 220

 どのような心構えで現在の危機に対応するのか。厚労省でいくつかのことを申し上げました。「厚労省に望むこと」を最後に提示してあとがきとします。これは、私自身の心構えでもあります。また、すべての国民に望むことでもあります。

「厚労省に望むこと」

 現在、日本の医療が崩壊しつつあります。厚労省の官僚は、口ごもりがちだった今までの態度を変化させる必要があります。今の状況はそれを許すと思います。

 第一に、歴史の大きな流れの中で現在を位置づけることを求めます。我々は、どこから来たのか、どこへ行くのが適切なのか、歴史の流れの中で考える必要がある。現在の危機はチャンスでもあって、日本の歴史の転換点になりえます。とにかく、小手先の解決ではなく、根本的な改革案を考える必要がある。実現性についてはその後で考えれば良いことです。大きな案の実現性は以外にあるものです。歴史は終わるのではなく、継続します。しかも、社会の変化は長い目で見れば大きいし、必ず変化するものなのだから、そのつもりで変化を制御しなければなりません。短い時間枠の中で絶望するのは合理的ではない。大きな案が実行に移せない場合でも、実際の対応策の良否を、歴史の視点にたった根本的な改革案との対比で考えなければ成りません。

 第二に、思想・コンセプトの問題に正面から取り組む必要があります。現在の医療の危機は、制度や人間の行動の背後にある思想の齟齬によるところが大きいと思うのです。思想の問題に正面から取り組む必要があります。私は、思想を扱う担当者が必要だと本気で思っています。公務員は憲法いnおける立場上、思想の唱道者になることは難しいかもしれない。しかし、意識する、しない、にかかわらず、思想のせめぎあいに参加していることは間違いありません。参加しているのだということを明白に意識して、医療に関わる思想の問題を掘り下げることを望みます。現在の日本を支えている思想群がいかなるものなのか、互いの対立点、矛盾点は何なのか。それぞれの思想は、現実に対するときにいかなる利点があり、いかなる問題をはらんでいるのか。もし、思想運動が必要なら、どのような方法がありうるのか。誰がそれを担うのか。様々な思想をもつ外部の人間の議論を、思想のも代が明らかになるようにセットすることぐらいはできるはずです。現実には、多くの官僚が、もっとも踏み込んだことをやっています。多分思想から離れた行政というもがありえないあらでしょう。必要なら外部の人間と協力するぐらいのこたは考えるべきです。

 第三に、リアリズムです。現実の人間のいやな部分を正視する必要があります。人間はコントロールがなければ暴走します。一定の条件かに置かれると、日本人も大虐殺をしかねない。何も、厚労省が高い立場から善導せよというのではありませn。国政を三権に分け、互いにチェックさせバランスをとっているのと同様に、個々の人間(患者と医療従事者)に対しても、暴走を制御するには、チェック・アンド・バランスが必要だということです。

 さらに、メディアが持っている無責任な甘いコンセプトを捨て去る必要があります。「安心・安全」などという状態はないのです。ないものを求めると無理が生じます。幻想にとらわれてはなりません。統治に虚構がつき物なのは常識かもしれませんが、虚構であることが非統治者[第四版ママ;被統治者?]に明らかになった後でも、なおそれを押し通そうとすれば、統治の正当性が傷つきかねません。一〇〇パーセントの安全をもとめると現場に無茶な責任を負わせることになります。現場の信頼をなくすだけではなく、士気を奪います。現状は、守れない規則だらけです。法令が実情にあっているか検証すべきです。

 状況を正確に把握するためには、数字で表現された現場の実態だけではなく、現場の人間の認識と考え方を、本気で収集する必要があります。考え方も社会を動かす立派な現実です。

 日本の医療費は、世界的に見ても低く、ぎりぎりの状態で運営されています。もし、費用を抑制するとすれば、どのサービスをやめるのか、あるいは、サービスの質をどこで落とすのかがセットで議論されなければならない。それを国民に納得させることを恐れたり、怠ったりしてはなりません。

 最後に、現在の医療危機への対応は、歴史を作る作業に他なりません。未来の日本人に対しても責任が生じる。関わる人間には、使命感が求められます。当然のこととして私は厚労省の職員に使命感を要求します。

 二〇〇七年四月

小松秀樹


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書評 - 医療の限界404 Blog Not Foundより を見て興味を持ったので。 『医療の限界/小松秀樹/新潮新書/2007』 著者:泌尿器科医 評価:日本の医療体制の危機を知り対策を述べる・良書 続きを読む
医療の限界(新潮新書)【新書中心主義−心理学者の読書日記(livedoor館)】at 2007年10月23日 21:28
『医療の限界』という本が、404 Blog Not Foundにて紹介されていました。 書評 - 医療の限界 http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/50880661.html 読みたいですね。 『医療の限界』
医療の限界【医療経営コンサルタントのつぶやき】at 2007年07月27日 22:36
この記事へのコメント
 検察は次のように打出の小槌を使用します。

1.検察が有罪ストーリーを作る。
2.検察が有罪ストーリーに沿って抜粋した資料を打出の小槌に入力する。
3.打出の小槌が鑑定書を出力する。
4.裁判官が鑑定書を理解したつもりになって有罪の心証を得る。

 検察官は裁判官と同様に、確率統計リテラシーを持たず、法曹用語を知る人ですので、鑑定書の出来栄え(裁判官に与える心証)を評価できます。
Posted by 脱福者@医師じゃないです at 2007年07月28日 21:31
裁判においては、被告医師と原告側鑑定者(こちらも医師)は、確率統計を知り、法曹用語を知らない者の言葉で発言します。それらの言葉を、裁判官は、確率統計を知らず、法曹用語を知る者の耳で聞き、読みます。両言語とも、大部分が日本語に類似しているので、意味が誤って伝わっていても、表面的には質疑応答のようなものが成立します。
 
 原告側鑑定者も、被告医師も、自分の言葉がどのような意味で裁判官に伝わってしまったかをフィードバックする機会を持ちません。

 もちろん、原告側鑑定者として選ばれる医師は、原告(刑事事件なら検察、民事事件なら遺族)にとって都合の良い鑑定を出す医師が選ばれます。検察は、誰がそのような「打出の小槌」であるかを知っています。

Posted by 脱福者@医師じゃないです at 2007年07月28日 21:29
医療訴訟制度について、知ってる範囲でまとめてみるよ。

「90人が生還し10人が死ぬ」という人々に医師が治療を与えて、
「99人が生還し、1人だけ死んだ」という結果を得たとします。

現行刑法を厳格に適用すれば、医師は業務上過失致死の犯人になります。
民事判例を適用すれば、医師は損害賠償の義務を負うことになります。

これは、現行法の不具合の1つです。法学者らは、この不具合を放置したまま、「現行の医療水準」なるものが存在すると誤認しているようです。「現行の医療水準」に照らして後悔しうる点が存在すれば、それを口実に医師敗訴です。

このblogにお集まりの皆さんならわかることでしょうが、医師に限らず、複雑系や複雑適応系を扱うエンジニアが過去の仕事を振り返って、後悔しうる点が存在しないケースなどきわめて稀です。

Posted by 脱福者@医師じゃないです at 2007年07月28日 21:28
どうみても引用というよりは転載。
Posted by aoi at 2007年07月27日 21:07
非常に考えさせられるエントリだと思いますが、ミスタイプが多すぎます。一度ご自身で読み直しては。
Posted by あ at 2007年07月27日 20:19
すみません、最後の引用のところで、
「n」が二箇所出てしまっています。
Posted by くま at 2007年07月27日 20:04
なんか訴える先が違うんじゃ?なんかお上意識?
Posted by pinoko at 2007年07月27日 20:02
病院でもつぶれる時代となりました。今のところ経営の失敗が主な原因ですが。保険関係の変更で今後はもっとつぶれると思います。公的病院や大資本の病院は総合化しリニューアル、予算のない小さな自治体が運営する病院の老朽化の激しいこと。一方で税金もまともに払わない個人医師も多数。年金とともに制度疲弊とか思いますが。。。身近にあることでも考えさせられますね。。。

病弱なブロガー。
Posted by blog49 at 2007年07月27日 19:06