2007年07月29日 05:45 [Edit]

逃走という名の闘争

この設問こそ、it dependsというものだろう。

jkondoの日記 - 自分はもうこれ以上は仕事できない、というところから5回くらいは壁を越えられる気がする
「疲れたから仕事を離れてのんびりする」というのではなくて、「疲れたからこそ仕事のことを考える」という事をやるところから、自分の道が始まるんじゃないかなあという気がします。
檜山正幸のキマイラ飼育記 - みんながとても頑健なわけじゃない
「死ぬ気でやってみろよ、死なないから」って論法だが、実際は「死ぬ気でやって死ぬこともある」んだよ。死んじまったら、けしかけた人はどうやって責任取りますか?

この設問は、"depends on whom?"だけではなく、"depends on how old?"でもある。同じ人でも、それが人生のどのステージにいるかによって、どうすべきかの答えは変わってくるからだ。まだ成長の余地がある人が逃走するのも悲劇だし、もう成長の余地がそれほどない人が闘争するのもまた悲劇なのだから。

しかし、前者の懸念の方が大きいのに、後者の懸念をしているのは、もう悲劇を通り越して喜劇なのではないか。

ホワット・ア・ワンダフル・ワールド リミットブレイク
結果的に,成功者の素晴らしい御高説は,真面目な人間に不必要な焦りや劣等感を与え,駄目人間の耳には届くことが無いという,不毛な結果に終わってしまうのでは.

1983年生まれには、この台詞は文字通り10年早い。こういう台詞は

finalventの日記 - 自分はもう少し仕事できそう、という直前で5回くらいは壁をずり落ちている気がする
厄年越えてから。

ぐらいになってはじめて似合うはずのものだ。

www.textfile.org - 自分はもうこれ以上は仕事できない、というところから5回くらいは壁を越えられる気がする
時には「逃げる」ことも大事。「捨てる」ことも大事。「恥をかく」ことも大事。「あきらめる」ことも大事。「ごめん、やっぱ、自分にはダメだわ。できません!」というのも人生においては大事。自分の命には「かけどき」というものがある。しょうもないことに命をかけてはいけません。

しかし皮肉なことに、上手に逃走するためには、闘争するだけの体力が必要なことも多いのだ。私事で恐縮だが、10代の頃の私がそうだった。私は学校からも親からも逃げていたのだが、どう考えても逃げないで白旗を挙げてた方が楽だったはずである。それでもその時は、それ以外の方法というのは思いつかなかったし、そうしなければ文字通り死んでいたはずである。実際そのころ、私は何度か自殺未遂もしている。そのころの私にとっては、それすら「壁を越える」方法の一つに思えたのだ。

はっきり言って、莫迦である。しかしその時に培った莫迦力が、今まで私を生かしてきたこともまた事実である。それすら数ある「成功者のご高説」の一つかも知れないが、私はそういった「成功者のご高説」に対してシニカルな気持ちにはとてもなれない。彼らの大半が、ずっと低いところから一歩づつ高みへと這いずり上っていったことが伝わってくるから。

黎明日記 - (自分が)過労死してもいいじゃないか
何かの為に死ねる(死んでもいいと思える)ということは基本的に幸せなことだと思う。

そこで考えを止められる、あるいはそこまで考えたところで息の根を止められるというのはかなり幸せなことではないか。

問題は、その後に生き残ってしまうことも多々あること。いや、確率から行けば、その方がずっと高いのだ。するとどうなるのか、「これ以上何もしないで死ぬ」ということが、「何かのために最適」という状態になるのだ。そのような状態を、私は「余生」と呼んでいる。

これがおとぎ話なら、"And they lived happily ever after." -- 「そして彼らは幸せに暮らしましたとさ」でおしまいだが、私にはこれが未だに理解できない。闘争死は不幸だと見なされているが、かといって逃走によって得た生が幸せをもたらすようにもまた見えない。厄年を超えればその辺はわかるようになるのだろうか...

Dan the Aging Man


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この記事へのコメント
京極夏彦の「鉄鼠の檻」と坂口尚の「あっかんべ一休」がそーゆー話でしたね。
Posted by TOSHI at 2007年07月29日 07:11
「死ぬ気でやってみろよ、死なないから」って論法だが、実際は「死ぬ気でやって死ぬこともある」んだよ。死んじまったら、けしかけた人はどうやって責任取りますか?

この手のけしかけをする大半の理由はその対象者が「だいたい死ぬ気でやれといってもほとんど手を抜く人」であることが考えられます。もう一本気なやつにそんなことを言うと本気で死ぬまでやるので・・・もうアッパーまでやってる人にそんなこといいませんわ。だいたい力のこめ方がわからない人への気概の表現でね。。。そういわれる人の大半はその言葉を真摯にとらえることがない。というリーマン経験則。
木っ端管理職 
Posted by blog49 at 2007年07月29日 10:00
とある社長のブログには

血反吐はいても諦めるな〜

とか書いてあったけど、血反吐吐くと正直やばいよなぁ。。

言葉のアヤでしょうがね(笑
Posted by 通りすがリスト at 2007年07月29日 14:04
一理はあると思うけれど、それを人を雇う側の人間が言いますかね。
Posted by な at 2007年07月29日 14:26
「身を立て、名を上げ」るまで死ねませんよ。
Posted by 柵原 at 2007年07月30日 00:57
同級生が部活のしごきで死んでいるので、
逃げる選択肢が奪われる可能性があるとき、
ガンバルのは怖くて仕方がない。
Posted by coffee at 2007年07月30日 01:17
個人が主の社会の中で、なんで組織のために死ぬ気でやらなきゃいけないの?というのがそもそもの疑問。
ライフワークなら、死ぬ気でというより、無我夢中で取り組むこともあるだろうけど。
ようするに、ライフワークを生きてる成功者がそうだからそう言っても、ライフワークを仕事にしてない人には、そもそも無意味。
あるいは、ただ社員がそのほうが都合が良いから、という理由もありそうですが。
Posted by roman at 2007年07月30日 10:52