2007年09月20日 16:00 [Edit]

「正しい」には二つある、あるいは二つしかない

この意見は、著作権法に照らし合わせればおそらく「正しい」のだろう。

2ちゃんねるで学ぶ著作権」で著作権を学んでいる人ともなれば、少なくとも私よりは正しい答えを知ってそうに思える。

集合知を多数決で作るのは間違い。 : ひろゆき@オープンSNS
「何が正しいのか」というのを判断するのには、 コミュニティーは絶対というわけでもないのですね。

しかし、今度は著作権法そのものが正しいのか?という質問がどうしても発生してしまう。


現行の著作権法に関しては、多くの人は実は正しいとは思っていない。そして多くの場面でそれが破られている現実を、多くの人はそれが厳密に施行されている状態より間違っているとも思っていない。

そして、この「ある程度法律が破れた状態が実は正しい状態である」というのは、著作権法に限った話ではないのである。事実上、人間が作った法のほぼ全てが、「施行度」の違いこそあれそうである。刑法、それも殺人や傷害といった、厳密に適用するのが正しいとほぼ全ての人が同意するであろう法でさえ、いくつも例外事項があるのだ。

それでは、ポケットはてなやニコニコ動画からアウシュビッツや原爆投下まで、「法的、倫理的に正しくない」ものが「正しくない」かといえば、それも違う。実際に作られたもの、実際に起きた出来事というのは、現実化したことそのものをもってして、物理的には正しいということが証明されているとも言えるからだ。極論に聞こえるが、大量虐殺も著作権侵害も「神的」には正しいということになるのだ。

こうして「正しい」を観察してみると、複雑に見える「正しい」にも実は二種類しかないことに気がつく。

  1. それが実現可能か? - 神的に正しい
  2. それを人々が正しいと思うか - 人的に正しい

1と2の間の正しいというのは、その意味では正しいの根拠としては弱いとも言える。そして「法的に正しい」というのは、まさにこの過渡期の正しさであり、過渡期の正しさである以上、1.か2.の正しさにいつかひっくり返される可能性が常にある。その意味において、はてなブックマークで「間違った」回答をしている者たちが間違っているとはとても言えないのである。

しかし2.の正しさというのは、常に変化している。ガリレオの例のように、1.の正しさを人々が認めることによって変化する事もあるが、実はそのほとんどが「それが我が身に起こった時、私はどう思うだろうか」という形で変化して行く。そして起こりえる事が人と時代によって変わって行く以上、2.の正しさのまた永遠に正しいままではあり得ない。

「正しい」について語るときに話が堂々巡りしがちなのは、「いつの時代の誰にとって」という主語が抜けているか、「今の自分」という、自分自身にしか自明でない主語が聞き手にも自明であるかのごとく話してしまうことにあるのだろう。正しく議論するには、まずどちらの「正しい」に関して議論しているかを明らかにしなければならない。そして、1.に関しては実は議論は必要ない。実現してしまえば正しさはおまけについてくるのだから。

それゆえ、圧倒的多数の「正しさ」に関する議論は、2.に関してである以上、「正しい」というのは断言しがたい。断言できる「正しさ」ほど、それが「正しい」相手が少なくなるからだ。「正しい」と言い切れるのはせいぜい「今の私」が主語になっている場合で、それすら明日には正しくなくなっているのかも知れないのだから。

その意味において、たとえ現行の法律に照らし合わせて「間違っている」といっても、集合知が出した「正解」を「間違っている」というのは「間違い」なのではないかと最近の私は思っている。法の方が集合知の方に歩み寄る場合もあるし、「みんな」に語りかけることで集合知の結論の方が変わる場合もあるが、それらは「正しい」の定義に照らし合わせても「いつかは正しいに至る」というのが正しいのではないだろうか。

とはいえ、そうやって得た「正しい答え」が「正しい期限」に得られるとはまた限らない。「いつかは正しいに至る」を待つ余裕があれば集合知の結論を待つのもよいが、少なくとも「正しい結論」から利益を標榜している者にはそれでは間に合わない。集合知は後だしじゃんけんなのだ。

ゆえに、「正しい」を憶測して実践することが常に必要になる。たとえそれが間違っていても、まさに間違うことで憶測の精度も集合知も上がって行くのだから。正しいからやるのではない。やらないと正しいかどうかわからないからやるのだ。

Dan the Right One


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漢字説明ジェネレータ (tags: Japanese tool k...
links for 2007-09-21【気になる記事の書き出し帳】at 2007年09月21日 18:38
「正しい」には二つある、あるいは二つしかない 理屈としては納得できるし、やってみるしかないという結論も判ります。法律も例外になることはなくて、実際には正しいとも正しくないとも言い難いものがある。というか、
重要なのはその先なんでしょうけど【Kazu'Sの戯言Blog(新館)】at 2007年09月21日 16:17
今、いちばん大切な本→通常、経済学はそういうものだと思われていない。お金の話だと思われている。でも、経済学はそれにとどまらない。「今」を引き起こした人間の各種選択行動とその根底にある原理を探すのが経済学となる。読みたい。。。愛国心をおそれてはいけないよ...
[最近読んだ]9月20日【BUILDING AND DEBUG ERROR】at 2007年09月20日 23:18
この記事へのコメント
>横からさん
しかし、false(かつjustice)にthenの処理をしてる代表は、
ひろゆきが親である2ちゃんとニコニコと言う罠があります。

#「少なくとも私よりは正しい答えを知ってそう」は
そっちの意味でもある、と言うのは私の読み過ぎでしょう:-P
Posted by zyx at 2007年09月27日 20:01
ひろゆきが言ってるのは false かどうかだけであって、justice かどうかまでは言ってないと思うよ。てか、ひろゆきが言ってるのって「true か falseかって問題(地動説とか法律違反か否かとか)は必ずしも集合知では正解を出せない」ってことであって、そこに justice かどうかって問題を絡めるのは場外乱闘だよ。
Posted by 横から at 2007年09月23日 20:16
>なにもさん
どんなに遅くとも、winny以降、webの世界は「falseかつjustice」な
著作物がアップされる世界になった、と言うことでは?
(ウイルスはfalseかつevilなので例外ですけど)

矛盾してるように見えますが、「falseかつjustice」は確実に存在します。
例えば、ニコニコの動画の半分以上は「falseかつjustice」ですが、
その論法だと、それらはelseの処理をされることになります。
特にゲームカテゴリ、アニメカテゴリはほぼ全滅でしょう。
elseの処理をされた典型例は、winnyだったりしますし。

弾さんが言っているのは、「falseかつjusticeなものの処理をどうするか」であって、falseの時点で処理するのは早計なのでは、と言う話では?
Posted by zyx at 2007年09月22日 08:25
そんな難しく考えなくてもいいんじゃないかと思ったり。

正しい(その1)は「真実であるか」「真理であるか」を問うものですね。true とか truth とかの問題。
正しい(その2)は「正義であるか」「適当であるか」を問うものですね。justice とか right とかの問題。

で、くだんの著作権云々は、「この事例は著作権法に照らして違反しているかどうか」を問題しているので true を問うている問題ですね。ソフト屋的に言うなら、if 文で then のほうに行くのか、else のほうに行くのかって問題。仕様に照らしてみてバグってないかどうかって事ですね。

小飼さんが言っている「著作権法そのものが正しいかどうか」というのは、むしろ justice とか right の問題じゃないかなあ。今のビジネス環境でその要件ってどうよ? みたいな。
Posted by なにも at 2007年09月20日 16:44