2007年09月21日 14:30 [Edit]

黙って引っ込んでいられなくなった玄人

かつて専門家全般を通して黙認されていたこれも、今や法曹界でしか通用しない。

la_causette: 黙って引っ込んでいるべき素人
しかし、専門家の具体的な仕事に関しては、顧客等の人生ないし生命等が係っていたりしますので、専門家が素人の無責任な意見など一顧だにしないというのは当然のことだと思います。

しかも、その法曹界においても、急速に通用しなくなりつつあるように見受けられる。


なぜか。

顧客が、Whatだけでは満足できず、Whyを要求するようになったからだ。

狐の王国 ameblo vs mala事件が話題になるのは技術屋ってもんが一般の目に触れない場所に隔離されてるからなんだろなあ
昔はね、それこそそういう職人さんたちが街のあちこちにいた。靴屋に行けば靴職人がいたし、自転車屋にいけば自転車の職人がいた。そういう職人さんたちは、たいてい口が悪くて、気難しくて、スマートな振る舞いなんてできるような人じゃなくて、決してお上品な人間なんかじゃなかった。

彼ら職人がそういられたのは、彼らは「いい仕事」さえしていれば、客が満足してくれたわけだ。「口は悪いが腕はいい」職人たちに、かつて素人たちは優しかった。

しかし、かつては職人が提供していたモノゴトが企業によって組織的に提供されるようになると話は変わってくる。大量生産で価格は安く、それでいて管理工学により品質は高く、極めつけにそれを口が滑らかな営業が売る。これで口は悪いが腕はいい職人たちもたまらない。結局のところ、客は「口もうまいし腕もいい」方がいいのだから。

この流れは、多かれ少なかれどんな分野もたどって来た道である。工業製品はそうなって久しい。ストッキングは破れたら買い直すものであって、修繕するものではなくなった。パソコンの「修理」もその実態は「部品交換」であって職人の出る余地はあまりない。

そして、かつては「職人」でなければ出来なかった、客ごとの知価提供もこの例外ではなくなってきている。本来「量産」できないはずのこうしたサービスも、マニュアル化されアウトソースできるようになってきたのだ。かつてソフトウェアのサポートを、プログラマー自身がやっていた時代もあった。今電話の向こうで話している相手がいるのは、バンガロールだろうかそれとも大連だろうか。

法曹界だけが、その例外でいられると、誰が言えるだろうか。

確かに法曹という専門家は「大衆化、組織化」が最も難しい組織の一つである。しかし専門家である以上、「顧客の奴隷」であることを免れない。そして、今や顧客たちは法曹に対しても大衆化、組織化を要求している。既存の専門家にさんざん揶揄されつつも、法科大学院が導入され、そして裁判員制度が導入されようとしているのはその何よりの証拠だろう。「素人を黙らせておいた」ツケを、こうしてまとめ払いさせられているわけだ。

それでは、「素人に黙っていて欲しい」専門家は、今後どうするべきか。

方策は、結局のところ二つしかないのではないか。

  1. 口のうまい営業を挟む -- 染之助・染太郎方式
  2. 自ら口もうまくなる -- ホンダディーラー方式

分業が比較的楽な業種に関しては、1.の方式がすでに多くの知的労働の世界でも取り上げられているように見受けられる。ITの世界でも例外ではなく、多くの場合「ディレクター」という職種がこれに相当する。

狐の王国 ameblo vs mala事件が話題になるのは技術屋ってもんが一般の目に触れない場所に隔離されてるからなんだろなあ
技術屋がお上品で人あたりがよくなったら、スーツどもなんかいらないんだよ。営業職の価値観に技術屋を押し込めるな!

そのスーツ、というわけである。この場合、幸いなことに職人は口の悪さを直す必要は少ない。ただし、職人はこのスーツないし別の職人に対してしか毒舌を吐けない。この「mala事件」でなぜmalaが支持されているかといえば、彼が「腕のいい職人」として認められていることもさることながら、彼が「無能でクズ。アホでバカ。低脳でワーキングプア」と呼んだのは、別の「腕の悪い職人」だったからだ。もしこれが顧客に対しての台詞であったなら、即刻首である。少なくとも、私が彼の上司であればそうしていた。

しかし、自ら素人に対して語る事を要求される職種では、そうも言っていられない。腕だけではなく口も磨かなければ今後務まらないのだ。ちなみに「ホンダディーラー方式」というのは、そこでは営業よりもメカニックの方が丁寧な接客をしているから。前に乗っていたのがホンダだったのだが、このギャップには妻ともども苦笑させられた。もっともこれが逆だったら我々はキレていただろうが。

話を元に戻すと、医療は法曹といった、客の不運・不幸を糧にする専門家は、まさにこれに分類されるだろう。客は「よいこと」であればワンクッションおいても聞いてくれるが、「わるいこと」は担当の口から直接聞きたいものなのだから。実際、医療スタッフの「ホンダメカニック」化は著しい。目上口調で話す医師はかつて珍しくなかったが、今やなかなか目にしない。

法曹界も、そろそろ備えた方がいいのではないだろうか。特にヤメ検の諸氏は。

そして、いずれは「ホンダディーラー方式」だけでは足りなくなってくる。医療がまさにそうだ。現場レベルでの「口磨き」(ムンテラにあらず)は、かなり進んでいる。それでもスポークスパーソン不在のおかげで、マスメディアにさんざん痛い目にあわされているのはご存じの通り。

最後にもう一度繰り返す。職人は、それがどんな職種であれ、客の奴隷である。そして客には「潜在顧客」も含まれる。すなわち素人である。

それがわからない職人は、尼寺ではなくアマチュアへ行くべきだ。

Dan the Reckless Slave of Yours


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404 Blog Not Found:黙って引っ込んでいられなくなった玄人
404 Blog Not Found:黙って引っ込んでいられなくなった玄人【】at 2012年01月21日 00:19
大勢の人の価値観は Web 2.0 とか集合知とかで分かるかもしれないけれど、何が正しいのかは判らない。特に専門的な領域について素人の知識を集めても、集まった知識は「素人が犯しがちなよくある間違い」になる可能性がある。
玄人とか、素人とかの話。【Kawasaq通信】at 2007年09月24日 00:37
最近ネットでは、「素人は黙って引っ込んでいろというのか」云々という言い回しが流行っているようです。 la_causette: 黙って引っ込んでいるべき素人  まず、どこでそのような言い回しを目にしたのか、ソースを明らかにしましょう。その現場へのリンクをいくつか提示する
小倉さんの議論が紛糾した件について整理します。【風のコメ】at 2007年09月22日 23:45
ちなみに「ホンダディーラー方式」というのは、そこでは営業よりもメカニックの方が丁寧な接客をしているから。  あれは、ホンダディーラー方式というのか。 ちなみに私は営業の軽妙なトークが苦手だ。表裏を使い分ける彼らの前においては弱みを見せられない緊張と、...
ホンダディーラー方式【Last_Hacks】at 2007年09月22日 13:33
 小飼弾さんよりトラックバックを頂きました。ただ、何か勘違いをしているような気が
潜在的な顧客ですらない【la_causette】at 2007年09月22日 02:27
黙って引っ込んでいられなくなった玄人http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/50916417.html→僕は恩師からプロ意識というものはアカウンタビリティを持つことからだといわれた。アカウンタビリティは説明責任、聞かれたら納得できるだけの理由を応えられることであ...
[最近読んだ]アカウンタビリティレベル【BUILDING AND DEBUG ERROR】at 2007年09月22日 00:22
やっぱり、Dan Kogaiの人はスーツだと思いました。
口が達者なら、そりゃスーツだよ【散歩師漫画居士柴岡秀一のくだらなクラブ(R)日記】at 2007年09月21日 23:34
超メジャーブログ、「ふぉーりん・あとにーの憂鬱」に、ブログ上で展開される意見交換、論争に関する興味深いエントリ「異種格闘技戦の文法」がアップされました。それを受けて、自分の感じたことを以下、先生のエントリを引用しつつ、記事にしてみることにします。 まず...
ブログは境界線を否定するか (ブログとは何だろうか??4)【NED-WLT】at 2007年09月21日 16:57
この記事へのコメント
たぶん、皆さんよりは職人といわれる仕事に近いです。

>職人は、それがどんな職種であれ、客の奴隷である。

奴隷だと思って仕事をしたことはないですね、
できる部分は最善を持って、無理な部分はご説明して
ご要望に近い形になるように、ご存知ないような部分は
ご案内していきます。

そして仕事を仕上げていく。

どちらかというと、お客様との間に立っているときの
営業さん(「スーツ」ですか?)のほうが奴隷に見えますけどね。

きちんとしたお客様は、そんな対応はなさらないものですけどね。


Posted by おっちゃん at 2007年09月28日 01:29
本文自体は別に変なことを言っている訳じゃないけど、小倉氏のエントリーを全く理解していないことは問題かと。

>bobさん
責任能力についてですが、「自己の行為の責任を弁識できるか」という観点から行為者を見て、その能力がない者を「責任無能力者」といっているわけで、別に医学的に病気であるとか、脳に異常があるとかいうことで直ちに「責任無能力者」であるというわけではありません。
なお、近年責任能力についての批判が強まってきていますが、これは科学動向というより、「同じ被害が発生しているのに、被害者とは関係ない犯人の知的能力によって刑罰に差が出てくるのはおかしい」という価値判断に基づくものだと思われます。
Posted by ケケケ at 2007年09月22日 15:25
ようするに、科学も法理もメタ的にその原理性を追求していくだけでは限界があり、どこかの地点で無謬性を放棄せざるをえないわけです。すると、科学も法理も根本的には人々の合意により成立しているとしか言えなくなるわけで、現にどちらも一定の合意を集めることのできる公理・定義にその権力を託しているのですね。ですから、科学の原理性が法理に干渉するためには、どうしても法理を立脚点とした一定の合意が得られなければならないのです。よって、「非科学的だから法理を変える」というのは科学と法理とがそれぞれ別の空間に属していることを考えると、決して自明に正しいと言えるような主張ではないのではないでしょうか。
それから、いわゆる「責任能力」が問題とされているのはその表層においてであって、その根本においてではないと思われます。
Posted by ofc at 2007年09月22日 15:10
>bobさん
私が疑問を抱いているのは、科学が法理に比べて果たして上位に位置することのできる概念であるのかどうかということです。科学も法理も決して無謬の論理ではないということは「科学も全てはより現実に沿った仮説に過ぎませんが」という記述からも了解いただけていると思いますが、では科学よりもさらに上位に位置している「普遍性、再現性、反証可能性」という概念はいったいどこに端を発しているのでしょうか。また、法理がそうした概念を満たしていないのだと仰られるのでしたら、その根拠はどこに求めればいいのでしょうか。
↓参考までに
http://www.let.osaka-u.ac.jp/~irie/kougi/kyotsu/2002ss/2002A03popper.htm
http://blog.livedoor.jp/khideaki/archives/50864719.html
Posted by ofc at 2007年09月22日 14:55
>職人は、それがどんな職種であれ、客の奴隷である。

この考え方が日本の強さの元であり
同時に壁になっている。

一流にはなれても超一流にはなれない。
Posted by beagle at 2007年09月21日 23:33
>>ofcさん
科学は妄想ではありませんよ。ofcさんが使っているPCは妄想の産物なのでしょうか?
科学も全てはより現実に沿った仮説に過ぎませんが、現実との整合性という試練を越えてきたのですから法学なんかとは比べないで欲しいです。普遍性、再現性、反証可能性などを備えたのが科学です。宇宙の片隅の銀河系のまた片隅の太陽系のちっぽけな地球に蠢く有機物生命体のローカルルール如きと一緒にされては困ります。明日人類が絶滅して法律なんか必要なくなっても、科学を基に作られた貴方の時計は電池が切れるまで動き続けるでしょう。
それに「宗教や科学を排斥するところから法学という新たな科学がスタートしてきたわけで、」は明らかに誤っていると思いますよ。科学とは別のところでスタートした法学が現実に合わせてDNA鑑定等の科学を受け入れて来たのが実際のところでは?
Posted by bob at 2007年09月21日 23:24
 医療紛争の中で見えてきたのは、専門家が知識を分かりやすく説明するだけではやはり不充分だということです。理解を求めることは無力です。まして、医療分野は取り返しのつかないことが多いですし。

 悲嘆に暮れ、怒りの遣り場のないご本人・ご家族には、その前の段階、聞く耳を持って頂くまでの環境作りの方がよほど難しいです。ほんとうに困ってしまいます。

 マスコミや一般人もほぼ同じで、不用意に理屈や知識を説明すればするほど、却って不信が深刻化しています。
Posted by rijin at 2007年09月21日 22:13
>このような非科学的な妄想を土台にして作られている刑法
それを言ったら科学も法学的には妄想ですよ。というよりも、科学が妄想じゃなくなるのは科学の内部においてのみです。外部から評価される限り「責任能力」も「脳科学」も妄想です。巷で責任能力という概念が問題になっているのは、その扱いかたがまずいからであって、その概念が内部に欠陥を抱えているからということではないかと。まずそうしたことについて了解を得て、宗教や科学を排斥するところから法学という新たな科学がスタートしてきたわけで、無論その内部から「法とは何か?」という問いが生まれるのですから、科学でもって法の論理の妥当性を問い直すのでは結局いたちごっこになってしまいます。もっとも、最近では皮肉なことに排斥したはずの科学が「法学至上主義」として生まれ変わってしまっているわけで、そのあたりがおそらく弾さんの問題意識であると思うのです。
Posted by ofc at 2007年09月21日 18:38
いつも楽しく拝見しております。書評もいつも参考にさせて頂いております。事後になってしまいましたが、過去に同じ話題に関して考えたことがあったのでTB致しました。
Posted by NED-WLT at 2007年09月21日 18:11
 整備のあとにインジェクター周りから燃料漏れ。ディーラーに電話すると営業がごちゃごちゃとイイワケをしていたが、メカニックが何も言わずに急いで飛んできた。いくらなんでも営業の対応、状況に無理解すぎ。
Posted by 元ホンダ車オーナー at 2007年09月21日 18:01
法曹界の問題はまた別なのではないかと思います。
法の論理と一般人の論理が乖離して来たせいで法に対する信頼が揺らいでいるのが原因でしょう。法律関係者は「一般人は黙って俺らの言うこと聞いてりゃいいんだよ」という態度を改めて「法とは何か?」を懇切丁寧に啓蒙することに努める必要があります。
ただその前に法律家自身が「法の論理」の妥当性について問い直すべきでしょう。例えば凶悪事件のたびに出てくる「責任能力」という奴ですが、これは脳の専門家からすればちゃんちゃら可笑しいトンデモ能力です。このような非科学的な妄想を土台にして作られている刑法などは根本から作り直す必要があるのに、その努力をしているという話は終ぞ聞いたことがありません。
Posted by bob at 2007年09月21日 17:04
IT技術の発展による社会のフラット化って、専門家の活動を素人の思いつきレベルに引き下げようという動きではなかったはずなんですが、日本ではどうも誤解されているような気がします。→ウェブの中では「専門家」であるかどうかはどうでもいいということに気がついていないというか。すでに専門家ではない素人も専門家を超える場合もあるわけで。
意図までは読み込めませんが、玄人を超える素人の出現を理解または認知できていないような感じを受けます。
Posted by blog49 at 2007年09月21日 15:51
話を元に戻すと、医療は法曹といった、
s/医療は法曹/医療や法曹/;
Posted by 北斗柄 at 2007年09月21日 15:24
おっしゃることはもっともなのですが、小倉先生の言いたいのは、外野にいる無責任な立場の素人の声を傾ける必要はないであろうということであって、依頼者の声に耳を傾ける必要はないということではないので、まったくかみ合っていないのではないでしょうか?



Posted by こりき at 2007年09月21日 15:18