2007年09月23日 07:30 [Edit]

画評 - 地球へ…

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地球へ…(新装版全3巻)
竹宮 惠子

テラナツカシいのに、今読んでもテラ新鮮。


本作「地球[テラ]へ…」は、SF漫画の最高峰の一つ。少なくとも五本指には入る。「書評 - SF入門用ベストテン」には入れていなかったけど。「小説」という枠を外せばその中に入れないわけには行かない作品。

時ははるか未来。人類は子宮から墓場までコンピューターに管理されている。人工子宮で生まれ、「マザー」が選んだ里親の元で育てられた子供たちは、成人検査を経て大人となる世界。しかしミュウと呼ばれる超能力を持つ子供たちは、成人検査をパスできず「処理される」ことになっている。それをかいくぐったミュウたちは指導者の元にあつまり、やがて人類と戦う事になる....

というのは、今や手あかのつきまくったSF設定のように聞こえるが、「地球へ…」はそんな単純な「反逆ストーリー」ではない。「なぜコンピューター管理なのにミュウという『不良品』が出るのか」、「そもそもなぜコンピューターに管理される社会を人類が選んだのか」といった疑問に対する回答が、きちんと用意されているのだ。多くの作品が、戦いを描きたいばかりにこうした「ツッコミ」をスルーしているのに対し、「地球へ…」は真っ正面から答えている。このことだけでも、「地球へ…」は必読の古典となっており、そして古典であるにも関わらず2007年の今年アニメ化しても、大人が見るに耐える作品にしあがっている。

それでいて、戦いはないか?といえばもちろんある。人類とミュウの戦い。大人と子どもの戦い。そしてコンピューターと人間の戦い....「地球へ…」は最初から最後まで青臭い戦いの連続で、しかし「戦いのための戦い」は一つもなく、そこにはきちんと「大人の事情」があるが故に、子どもが見てもわかるのに大人もうなずかざるを得ない。

「地球へ…」は、その後の数多の作品のプロトタイプとなっていることも見逃せない。少年だった主人公が長じて父となり、そしてその子も大人になるという物語は、少年漫画では「Dragon Ball」がやるまで滅多になかったし、"The Matrix"のNeoとMorpheusの出会いを見て、ジョミーとソルジャー・ブルーの出会いを思い浮かべた人も少なくないのではないだろうか。

さすがに絵は少し古くさいかも知れない。古き佳き少女漫画絵である(竹宮惠子は少女漫画絵のプロトタイプを確立した功労者の一人なのだから当然とも言えるが)。特に宇宙船は今見ると実に古くさい。これは「地球へ…」が完結して、映画化された1980年当時でもそうで、映画版の方は宇宙船は原作からばっさり変えている。つい先日完結したアニメ版もこれは同様なのだが、宇宙船に関しては映画版が一番斬新だった。しかし、世界設定とプロットは今でも実に新鮮で、むしろその後の諸作品こそ、本作を含めた名作の劣化コピーばかりが目立つといったら言い過ぎだろうか。

「SFの小道具に関しては『ドラえもん』に出てこないものはない」という言い方をするけれども、それと似た意味で「地球へ…」は「全てのSF作品の世界設定とプロットの母」的なところがある。「ドラえもん」を大人になって懐かしんでも読む気がイマイチ起きないのは、道具はSFでも世界は子どもの枠内に納めていることも大きい。その意味では、「地球へ…」の不朽度は賞賛を通り越してあきれてしまうほど。

もっとも、「マザーコンピューター」という、中央集権的巨大電脳だけは、さすがにネットが普及した今となってはちょっとトウが立っている。アニメ版ではそこもちょびっとだけ工夫してあった。まさか「スケールフリーネットワークでは」なんて台詞が聞けるとは。それでもGoogleなどを見ると、「君らが作りたいのはグランドマザーか」と揶揄したくもなる。ハードウェアはとにかく「人類管理アプリケーション」というテーマは、陳腐化するどころかまさに旬である。

出来れば、「ドラえもん」が退屈に思えるようになった頃に出会っておきたい作品。「SF、それもましてやマンガなんて」という方は、騙されたと思って本作品を見て欲しい。地球にかけて失望しないことを約束します。

Dan the Classical Sapiens


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神作を超えた人作 - 画評 - イティハーサ【404 Blog Not Found】at 2007年12月28日 05:15
この記事へのコメント
「地球へ」と聞いて思い出すのは、萩尾望都の「あそび玉」という短編作品。
「地球へ」の連載当時、「あそび玉」は、原稿が失われてしまったということで、幻の作品と言われていました。
そんな「あそび玉」を、雑誌「奇想天外」か何かだったかが、掲載された雑誌からコピーして掲載したのです。
それを読んだとき、これはまるで「地球へ」と...ぼくは嫌な気持ちになって、結局いまだに「地球へ」は
最後まで読んでいません。
Posted by KK at 2007年09月24日 22:06
マザーコンピュータは「星を継ぐもの」シリーズにも出てきますね。
この場合は管理者ではなく巨人の良き友人としてですが。
Posted by bob at 2007年09月24日 18:52
はじめまして、Licoといいます。
自分もTBSで放送されていた「地球へ」をほぼ全話見ていました。
画評記事を見つけて、うれしかったのでコメントさせていただきます。

原作を読んだことはなかったのですが、
第2話をたまたま見て、物語と絵の綺麗さに引き込まれ
ついつい、それ以降を全部見てしまいました。

この記事で、おっしゃられているとおり
>「なぜコンピューター管理なのにミュウという『不良品』が出るのか」
>「そもそもなぜコンピューターに管理される社会を人類が選んだのか」
といった、
世界観が構築された背景的理由が、最終回で説明されていたので
とてもよかったです。
良い作品が、最終回を迎えて、終ってしまうのは寂しいものですね。

PS.
僕のブログもlivedoor Blogなので、
僭越ながら読者登録させていただきますね。
よろしくお願いいたします☆
Posted by Lico (System Architect) at 2007年09月24日 08:38
コメントのテスト。記事の投稿が不能につき。
Dan the Blogger Hereof
Posted by at 2007年09月24日 00:31
なんとも言えずマトリクス。
もうてらへ・・・は唄しか思い出せませんね。
Posted by blog49 at 2007年09月23日 21:55