2007年11月06日 16:30 [Edit]

成長が止まった大人が思い出すべき事実

子供のころ、以下を徹底すると早々行き詰まる。その時に思い出すべきことがら。


自分は誰かにとっての「特別」である

「自分が死んだら世の中が代わってしまう」と自他ともに認める人はほとんどいないでしょう。またそれに耐えうる人も。私が死んでも世の中は死なないというのは、空しくもありますが安心感の方が勝ります。しかし、「世の中」を「家族」に変えたとたん、その印象は逆になるでしょう。そこまで行かなくても、「職場」でも「コミュニティー」でも、あなたがいなくなったらそこは元の場所ではなくなる場というのを、誰もが多かれ少なかれ持っているものです。

自分が特別でないと思っている人は、一度そうやって「自分がいなくなるとそこはどうなるのか」ということを考えてみるといいでしょう。

自分を優遇してくれる人のためのバカになろう

確かに無差別なバカは、無差別に優遇から外されます。しかし誰かにとってバカになれる人を、その誰かは優遇せずにはいられないのです。面白いことに、これは英語でも同じ。"fool"と"fool for you"の違いを考えてみましょう。

バカとは誰のためにもバカになれない人のことなのです。

「疑え」を疑え

私は明日も明後日もこのblogが存在することを疑っていません。増田が存在することも疑っていません。明日それらが存在しなくなる可能性があることは知っています。にもかかわらず疑っていません。

なぜなら、それらを疑って行動するよりも、それらを信じて行動する方が遥かに楽で安上がりだからです。疑うのにもコストがかかるのです。9.11以来ただ飛行機に乗るのにずいぶんとコストが上がったと思いませんか?それは航空会社があなたを信用できなくなったからです。

確かに元発言の言う通り、疑い方を知らない人が生きていけるほどこの世はまだ(易|優)しい場所ではありません。しかし信じ方を知らない人に疑うための必要経費を気前良く渡すほどやさしい世の中ではましてやないのです。

結論を言うと、疑うためのコストと同じだけのコストを、信じてもらうために費やした方が費用効果は高いことを私は実感しています。充分以上の信頼を築けば、だまされそうな局面ですら、こうして培った信頼できる相手が教えてくれるのですから。

大人なら誰の何を見習うべきかは自分の責任

大人というのは、「見習うべき人」を全く意味しません。それは120%同意です。しかし、大人の中に見習うべき人がいないというのはそれよりもさらに痛く間違った見解です。なぜ我々が群れて暮らしているかといえば、見習うべきことを持つ、見習うべき人がそこにいるからです。

「知る人」を知りなさい

法律は、問題の始末はときどき手伝ってくれますが、問題解決は全くしてくれません。法律に出来るのは、「こうなってしまった場合こうしてやる」ということばかりで、抑止力とはなりますが、すでに勃発してしまったことには非常に無力です。法律は殺人者を罰することは出来ますが、死んでしまった人を生き返らせることは出来ないのです。

同じ知るのであれば、それよりも「知る人」を知る方がいいでしょう。これは法に関しても同じこと。法曹になる才能と意欲がある人を除けば、自ら法を勉強するより、必要な時に教えてくれる法曹を知っている方がよっぽど役にたちます。

もちろんそのためには、「代価」を用意しなければなりません。金銭で済む場合も少なくないのですが、一番よいのはその「知る人」が知らないことを知る人となることです。

blogを書きなさい

「本を読みなさい」。これは大人にも子供にも使える、「風邪になったらあったかくして寝る」のと同じぐらい役立つ知恵です。しかし知恵も出さずに貯めすぎると滞留して新しい知恵が入って来づらくなります。

だから、本を読めなくなったら何か書きましょう。増田や2chやmixiでも充分ですが、blogはさらにいいでしょう。重要なのは、「ただ書く」のではなく、「誰かに見えるように書く」ことです。blogの場合、その誰かの数は最大となりえますし、そしてそこから受け取れる反応も最大となりえます。しかし最大が最良とは限りません。自分にあったメディアを見つけて使いましょう。

Dan the Perpetually Premature

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この記事へのコメント
>金銭で済む場合も少なくないのですが、一番よいのはその「知る人」が知らないことを知る人となることです。

その一番よい方法は、一番よい結果となりました。

経験者より。
Posted by anonymous at 2007年11月14日 11:10
>大人なら誰の何を見習うべきかは自分の責任
>これは、自分の親すら疑えって琴田。

人間はどこまで行っても自分以外(家族含め)は他人だと思います
他人から見習うべきところも沢山あるけど
結局全ては自分が決めること
視野の狭い自分よがりになってはいけないけど
周りに流されない 自分が決める「基準」「価値観」が大切

って
生意気すいませんw
Posted by DON at 2007年11月07日 20:53
このブログごちゃごちゃしていて読みにくい
Posted by at 2007年11月07日 12:50
なぜなら…彼もまた、大切な存在だからです
Posted by at 2007年11月07日 02:46
大人なら誰の何を見習うべきかは自分の責任
大人というのは、「見習うべき人」を全く意味しません。それは120%同意です。しかし、大人の中に見習うべき人がいないというのはそれよりもさらに痛く間違った見解です。なぜ我々が群れて暮らしているかといえば、見習うべきことを持つ、見習うべき人がそこにいるからです。

これは、そのとおりです。けど、見極めるのは難しい。
これは、自分の親すら疑えって琴田。
Posted by ははせせせせ at 2007年11月07日 02:15
「成長する」「成長が止まった」という枕に胡散臭いものを感じました。
Posted by 成長ってなによ? at 2007年11月07日 01:01
ごろーさん、
いつもありがとうございます。
typoに関しては「バカになる」ではなく「バカである」私。
でも、ことえりは優遇してもいじめてもバカになります:)
Dan the Typo Generator
Posted by at 2007年11月06日 23:14
「自分を優遇していくれる人」→「自分を優遇してくれる人」
Posted by ごろー at 2007年11月06日 22:28
> 疑うためのコストと同じだけのコストを、信じてもらうために費やした方が費用効果は高いことを私は実感しています。

 それぞれの費用・効果に対する係数が、人それぞれの主観で決まる部分が多く、そのためにみんなバラバラというあたりが問題というか、世の中の面白ところいうか、苦労するところといいますか...。
Posted by kuma_hati at 2007年11月06日 19:56
「知る人」を知りなさい、まで書いて、
blogを書きなさいというところは書かず、
それでも、blogを書きたくなるようなモチベーションを与えられる文章だったら、
カッコいいのになぁ。

大人なら誰の何を見習うべきかは自分の責任
と書いているわけだし。
そもそも、ブログは見習う対象ではないのかもしれないね。
パソコンとネットに時間を割く時間が大きすぎる。

俺なら、もっと映画演劇を見なさいといいたい!
それも一人ではなく、誰かとね。
Posted by ほほう at 2007年11月06日 17:03